牽牛子塚古墳

牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)

牽牛子塚古墳
牽牛子塚古墳

以前に行った時は竹林の中にある土の山の古墳でしたが、きれいに公園として整備されました。牽牛子はアサガオの別称で八角墳の形がアサガオに見えるところから名づけられました。最初は円墳と思われていましたが、天皇しか使えない八角墳ということがわかり、しかも石室が2つあるところから日本書紀に記載されている斉明天皇・間人皇女の合葬陵と考えられています。

斉明天皇といえば中大兄皇子のお母さんです。乙巳の変では襲われた蘇我入鹿が天皇の前にすすみますが、とどめをさされました。白村江の戦など朝鮮情勢などに振り回された時代です。斉明天皇は九州へ出兵した時に那の津(福岡)にて急死しています。

斉明天皇は多武峰に両槻宮を作り、また運河を掘るなど土木工事が相次いだため、掘った溝は後世に「狂心の渠」と揶揄されました。明日香に残る亀形石造物や酒船石は斉明天皇の時代に造られています。そうそう大阪の四天王寺にあり、今も現役で使われている亀形の石造物がこの酒船石と同時代のものです。

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