百済大寺

用明天皇の磐余池辺雙槻(なみつき)宮、もう一つの伝承地が吉備春日神社です。神社の横に吉備池(江戸時代に造られた溜池)があります。池にたどりつくのが大変なところで、迷いましたが結局は吉備春日神社からしか池に入る道はありませんでした。こんなところ観光客は絶対に来ないですね(笑)。吉備池廃寺跡で検索するとGoogleマップではでてきます。

吉備池
吉備池

■百済大寺
吉備池のほとりに塔跡と金堂跡がみつかり、吉備池廃寺と名づけられましたが、百済大寺とみられています。建てられたのは舒明天皇の時代とみられています。西の民は都を造り、東の民は寺を造るとの記載があり、百済大寺の西側には百済大宮があった模様です。

吉備池のほとりに大津皇子の歌碑がありました。大津皇子の辞世の句は磐余池で詠まれたので建てられていますが、吉備池は江戸時代にできた池なので絶対に磐余池と違うでしょう。もう少し西にいった池尻あたりと考えられています。

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