奈良の大仏の原点 智識寺

■奈良の大仏の出発点 智識寺
河内六寺の一つ智識寺です。仏教信徒のことを智識と言い、寺や仏像を造るために私財や労働力を提供しました。民間の力で建てられた寺院を智識寺と言っておりました。高台にある石神社には東塔の礎石があり、50mほどの塔が建っていたようです。智識寺は東西2つの塔をもつ薬師寺式伽藍だったようです。

智識寺
智識寺

この智識寺が奈良の大仏のきっかけとなりました。740年に難波宮へ行く途中に聖武天皇が智識寺を訪れ、廬舎那仏(観音立像の説もあり)と寺を支える民間の力に感動して、奈良の大仏を作ろうと考えます。この廬舎那仏が高さが18mもあったという説がありますが、よくわかっていません。

■仏教バリアで日本を守る
当時、天然痘が猛威をふるい藤原武智麻呂・房前・宇合・麻呂の四兄弟が相次いで死去します。また天平時代は例年旱魃・飢饉が続き、734年には畿内七道地震という大地震がありました。生駒断層帯が動いた直下型地震で聖武天皇も体験します。

社会不安を鎮めるために仏教で日本を守ることにします。東大寺に大仏を建立し、各地に国分寺、国分尼寺を作って日本中を仏教バリアで覆う壮大な計画を実行します。

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