湖北の山城は雪に覆われているだろうと思い、大和朝倉へ。予想に反して、こっちの方が雪国状態になっていました。
この辺りは南朝側だった西阿が外鎌山城、赤尾城、外山城などを築いており登城済なのですが、調べると文献に登場しない山城が竜谷にありました。大和朝倉駅から朝倉台の住宅を抜けて登っていくと竜谷集落に着きます。ここの北東端の小道を登っていくと途中から山道になります。もちろん案内板も何もありません。ひたすら尾根を目指し、尾根沿いに山頂部分にまで登ると山城があります。
細長い単郭の城で堀や土塁跡が残っています。どうみても陣城ですね。永禄6(1563)年に多聞城を根城にした松永久秀が多武峰攻めを開始します。筒井氏、越智氏、根来衆などは多武峰と組んで反三好の姿勢をとっていました。飛鳥や多武峰に城がたくさん造られましたが、竜谷城もその一環だったのでしょう。文献に残っていないので、松永久秀側か多武峰川のどちらが造った城かは不明です。