大蔵幕府

いざ鎌倉へ

大蔵幕府

「鎌倉殿の十三人」で舞台となった幕府です。当時、幕府という言葉はなく、使われるようになったのは新井白石の頃からです。頼朝の邸宅に皆が集まって、やいのやいのやっていたのが鎌倉幕府になります。場所は現在の清泉小学校あたりで、角に石碑が建っています。授業の一環なのか小学生が調べた説明書きが塀などに書かれています。

頼朝が1180年に鎌倉入りすると、大倉郷に邸宅を建てます。頼朝が亡くなってかたも頼家、実朝と45年ほど、この地が幕府となりました。東・西・南・北に門がある一般的な貴族の寝殿造になっていました。邸宅には侍所もあり、侍所別当が和田義盛でした。御家人達も新しい屋敷の周辺に館を構え、今でいう官庁街ですね。

昔、習った「いい国作ろう」の1192年に鎌倉に政所ができます。三位以上となると役所を開き自分の財産などが管理できます。1190年に源頼朝は奥州藤原氏を滅ぼし都入りして二位の位階を授けられました。そこから2年を待ち、征夷大将軍に任じられてから政所を開きます。また頼朝は後白河法皇から「衛府の太刀」を授かりましたが鶴岡八幡宮に奉納してしまいました。朝廷を守る太刀ということで授けられましたが、その気はないということを示しています。

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