菖蒲谷砦

菖蒲谷砦

天正11年(1583年)、柴田勝家と秀吉が戦った賎ヶ岳合戦は攻城戦でした。秀吉は最前線にあった天神山砦と茶臼山砦を放棄して、前線を下げたため堀秀政が守る東野山城が最前線になります。東野山城の出城として築かれたのが菖蒲谷砦です。菖蒲谷砦から堂木山砦との間には防塁を作って北国街道を封鎖しました。

■菖蒲谷砦
菖蒲谷砦は2つの尾根上に築かれ頂上に主郭があります。北側の尾根の裾野から城を目指しましたが、かなりの急斜面になっています。ヒーハー言いながら何とか木々の間の斜面を登り、ようやく尾根筋へ出ると郭跡がありました。ここが最前線で見張り台だったのでしょう。尾根筋がまた斜面になっていて、ひたすら登っていくと主郭に到達しました。土塁や堀切が明瞭に残っていました。帯郭や虎口もあります。

もう一つの尾根筋を下ろうと思ったら違った尾根を下ってしまい、途中で切れ落ちていました。こりゃダメだと主郭まで戻り、尾根を下っていくと、こちらは見張り台のような先にも削平地がありました。当時のものかは不明ですが、虎口もあるので駐屯地だったかもしれません。さらに下って、ようやく林道に出ました。

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