播磨白山城

播磨白山城

書写山円教寺の大講堂、食堂、常行堂で帰る観光客が多いのですが、ここから白山権現を目指して、もうひと登りします。頂上にあるのが十地坊跡という開けた場所で土塁や2つの郭跡などが残っています。ここが秀吉と黒田官兵衛が本陣をおいた白山城です。

天正6年(1578)3月、三木城の別所長治が織田信長から毛利方に寝返ります。4月、尼子氏再興のために山中鹿之助が上月城を守っているところを毛利氏が攻めます。秀吉は後詰をしようとしましたが、うまくいかず信長の命令で上月城の救援をあきらめ書写山に入ります。翌月に上月城は落城。山中鹿之助は毛利に連行される途中で殺されます。9月には荒木村重が信長を裏切り、説得するために伊丹城へ向かった黒田官兵衛が幽閉されることになります。大河ドラマ「軍師官兵衛」でやっていましたね。

東に別所氏、西に毛利氏に挟まれる状態で両方に対応できるよう書写山に陣を構えます。北側の眺めがよく、真正面の城山山頂に築かれいる置塩城を見ることができます。赤松氏の居城でしたが、秀吉に降伏しました。

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