松尾山城

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松尾山城

小早川秀秋が本陣をおいていた城で、主郭からは関ケ原が一望できます。松尾山城は廃城になっていた城を修復して使ったもので、主郭の周辺には5つの郭があり、かなり技巧的で見ごたえあります。関ヶ原の戦いでは松尾山城には伊藤盛正が入っていましたが、小早川秀秋が追い出して入城します。

■不遇だった秀秋
小早川秀秋は秀吉の甥っ子で豊臣秀次につぐ後継者候補でした。ところが秀頼誕生によって運命が狂わされます。毛利一族の小早川家に養子に出され、秀吉に領地を減らされたり散々な目にあいます。そら豊臣家には恩よりも恨みの方が強いでしょうね。

決戦日前日に1万5千もの軍勢を松尾山城へいれます。関ケ原には大谷刑部しかおらず、大垣城を守っていた石田三成ら西軍の面々は小早川に対抗するため、関ケ原へ移動します。戦いが始まると小早川秀秋は日和見をして、家康に鉄砲を打ちこまれるシーンがドラマに出てきますが、実際はさっさと東軍についていたようで、ただし山を下るのに1時間ほどかかります。小早川勢に向けて陣を構えていた大谷刑部は攻撃を跳ね返しますが、結局は破られてしまいます。

関ケ原勝利の立役者になり岡山55万石となりますが、無類の酒好きで子供の頃から飲んでいたため22歳の若さで病死しています。無嗣断絶だったため小早川家は改易となりました。

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