天理から桜井を目指す山の辺の道・南コースは見どころも多く人気のコースですが、天理から奈良を目指すコースは地味なこともあり歩いている人はほとんどいません。
さて天理から山の辺の道を歩いていくと藪の中にあるのが石上大塚古墳。案内板から20mほど登ると石室がありました。天井石などは失われた状態です。
■石上大塚古墳の被葬者は誰?
石上大塚古墳は全長107mある前方後円墳で100mほど離れた反対側には少し大きいウワナリ塚古墳があります。石上大塚古墳が造られたのは6世紀後半で、ウワナリ塚古墳より若干遅れて造られたようです。少し離れたところに別所大塚古墳がありますが、石上大塚古墳、ウワナリ塚古墳、別所大塚古墳の3つは物部氏の首長墓だったようです。
6世紀後半となると蘇我馬子&連合軍が物部守屋を攻めた587年頃ですね。これで河内の物部守屋一党は滅びましたが、一族の石上氏が物部氏の本宗家になることになります。3つの古墳の被葬者は分かりませんが、物部贄子(物部尾輿の子供で物部守屋の弟)あたりですかねえ。石上贄古という名前もあり、娘が蘇我馬子の奥さんになっています。
排仏派、崇仏派の戦いと昔の日本史では習いましたが、そんな単純なものじゃなく半島情勢や権力闘争など複雑怪奇だったようです。