大学受験が華やかな頃、京都にあったのがカンブリ(関西文理学院)という地元の予備校です。本部の建物がまだ健在でした。
かって京都人文学園という民間教育運動がありました。スタートしたのは第二次世界大戦直後の1946年です。
■京都人文学園
一般教養を中心に自由な校風だったようです。「行動する思考人」の育成を目指していました。生徒が自治して、男女共学、無試験、無規則で革新的な教育を行っていたそうです。自由学園とも関係があり、旧制高校みたいな雰囲気ですかねえ。ただ学園を続けるのは大変だったようで1950年に閉校になりました。
■関西文理学院
ただ働いていた青年たちが教育理念を受け継いで夜間部を発足させ、これが社団法人京都勤労者学園となります。また赤字を解消するために1951年に予備校を創設。これが関西文理学院へと続きます。
京都人文学園の初代学園長は新村猛で、あの広辞苑を作った人物です。学園本部に当時の資料がいくつかあり、新村猛の自筆を見た時は感激しましたねえ。あの資料は長浜バイオ大学に引き継がれているのでしょう。