いざ鎌倉へ
永福寺跡近くにあるのが鎌倉宮。ちょうど茅の輪が置かれていたので一足早く、夏越の祓をやってきました。鎌倉宮は大塔宮・護良親王を祭るために明治になってからできた神社です。
大塔宮・護良親王、日本史で習いましたね。後醍醐天皇の皇子で、後醍醐天皇が隠岐に流された後も鎌倉幕府を滅ぼすために吉野で挙兵します。吉野で幕府軍に敗れ高野山へ逃れます。幕府側は楠木正成、護良親王の二人を倒すために躍起になりますが、足利尊氏、新田義貞らによって鎌倉幕府は滅亡します。
建武の新政では足利尊氏の危険性を当初から見抜いていて対立。ところが後醍醐天皇が阿野廉子との間に生まれた義良親王(後村上天皇)を次の帝につかせたいと考えており、邪魔になった護良親王を鎌倉にいた尊氏の弟・足利直義の元に送ります。護良親王が幽閉されていたのが東光寺で、北条時行が中先代の乱を起こして鎌倉に攻め込んできた時に足利直義によって殺されます。まだ28歳でした。この東光寺跡に建てられたのが鎌倉宮です。