滝野氏居館跡

滝野氏居館跡

柏原城の隣に滝野氏居館跡があります。鎌倉時代、名張には黒田荘という荘園があり、ここの荘官だったのが大江氏で末裔が百地氏、滝野氏になったと伝わっています。第二次天正伊賀の乱では百地氏、滝野氏などの伊賀衆が柏原城に集結し、織田信長に対して最後の戦いを挑みました。

■土塁は仕寄りだった
柏原城の戦いはけっこう調査が進んでいるようで、滝野氏居館跡は何もない敷地跡になっていますが柏原城の方角にだけ土塁が築かれています。織田軍が攻めるために作った仕寄り跡と案内には出ていました。仕寄りとは竹を束にした防御壁を置き、被害を抑えながら前進するなど攻城戦での基本です。真田丸の戦いでは徳川方は塹壕を掘り、高台を作って真田丸に向かって銃を撃っていました。織田軍は柏原城の周りに仕寄りの土塁を築き、かなり肉薄した戦いを展開していました。

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