近鉄平端駅近くを歩いて見つけたのが推古神社。
推古って、まさか推古天皇!と思ったらピンポンでした。このあたりの地名が額田部。
そうです!推古天皇の別名が額田部皇女(ぬかたべのひめみこ)で、その額田部です。額田部一族の本拠地だったようで額田部湯坐連氏が推古天皇の養育を担当していました。大海人皇子(天武天皇)も養育した凡海氏(海部一族)から海人と名付けられましたので当時はふつうだったんですね。
部とは本来は人的な集団のことで全国に分布していて、ウチの近くにも近鉄・額田駅があり額田という地名が残っています。もともとは額に旋毛(つむじ)がある馬を献上したことから額田部の姓をたまわりました。馬飼に関係した氏族だったようです。