土曜の夜は奈良県中小企業青年中央会でセミナーを担当してきました。
タイトルは「スマホ、タブレットを使って会社のレベルをあげよう」。新しい情報機器であるスマホ、タブレットが登場し、今後の経営としてどういうことを考えないといけないかをテーマにした内容です。
奈良県社会福祉総合センターの前にあったのが龍の噴水(?)。なんで龍なのかよく分かりませんが、龍神信仰でもあるのかなあ。
土曜の夜は奈良県中小企業青年中央会でセミナーを担当してきました。
タイトルは「スマホ、タブレットを使って会社のレベルをあげよう」。新しい情報機器であるスマホ、タブレットが登場し、今後の経営としてどういうことを考えないといけないかをテーマにした内容です。
土曜日に畝傍御陵前駅近くでセミナーでしたので、近くにある本薬師寺跡へ行ってきました。写真は塔跡から見た畝傍山です。
大和三山に囲まれた地域で古代には藤原京がありました。西ノ京に薬師寺がありますが、平城京遷都の時に移転しましたので、、ここは「本薬師寺跡(もとやくしじあと)」と呼ばれています。
本薬師寺跡は住宅街を抜けたところにあり、入口に案内がなければ通り過ぎるところでした。小さなお堂と金堂の礎石が残っています。周囲は湿地帯になっていて2つ盛り上がったところがあり、ここが塔跡で、こちらにも礎石が残っています。伽藍配置は西ノ京の薬師寺と同じだったんですね。
680年、、天武天皇が鵜野讃良(うののさらら)皇后【後の持統天皇】の病気平癒を祈願して建立されました。従来は平城京への移転説が主流でしたが、発掘調査によるとしばらく併存していたようで、今は西ノ京の薬師寺は移転ではなく新築説が有力です。ただ本薬師寺と同じ古い瓦が出たこともあり、、西塔は藤原京からの移築だったとする説もあるようです。
鉄道に関する本に近鉄・南大阪線の不思議について書かれていました。
日本一の超高層ビル「あべのハルカス」のある阿部野橋駅から近鉄・南大阪線に乗ると道明寺駅の手前で速度を落とし、ほぼ90度曲がって南に下ります。しばらく走ると古市駅でまたグニャーと曲がって奈良の橿原神宮前駅へ向かいます。
■なんで90度も曲がっているの
なんで90度も曲がっているかといえば応神陵など200メートル級の古墳が点在する古市古墳群があるので、古墳を縫うように走るためという説明を聞いたことがあります。
確かにそうなんですが、もともとはJR柏原駅から出ている現在の道明寺線(上の青い部分)と道明寺駅から古市駅の間、古市から河内長野駅に向かう長野線(下の青い部分)が1本の路線で河陽鉄道という明治31年開業の鉄道会社が運営していました。ですので、もともとは1本のまっすぐな路線だけでした。
■南海に負けたのでカーブが多い路線に
大阪から高野山の参詣客を運ぼうと考え河内長野駅まで線路を伸ばしましたが、高野登山鉄道(南海電車)に高野山まで先にのばされ敗退。
これじゃダメだと大正時代に道明寺駅からミナミの玄関口である阿部野橋駅まで路線を延ばすと、お客さんが増えて成功。次は古市駅から橿原神宮前へのばします。まっすぐな線に後からつけ加えたので、道明寺駅と古市駅でグニャーと曲がる近鉄南大阪線になりました。
午前中は原稿書き、午後は専門家派遣に出かけていました。
珍しく、地元の東大阪商工会議所からの依頼で、企業さんの場所を聞いたらウチのすぐ近く。「近くなので歩いていきます」と言ったのですが、「いやいやお迎えに行きます」ということで商工会議所の車で企業さんへ。ほんまに、すぐ近くでした。と言うか時たま散歩に通るところでした。(笑)
迎えに来てもらった経営指導員に聞くと、案件に対して東大阪をキーワードに専門家を探したそうです。データベースでは細かい住所まで出てこないので、まさかこんなに近い専門家とはと驚いていました。驚いたのは住所を聞いたこっちもです。
いつもは三重の大田舎、名古屋、神戸など遠方の企業さんが多いのですが、たまには近くもいいもんですね。帰りは歩いて帰ってきました。
今日の仕事はこれで終了なので、一杯はじめています!
兵庫県にある知名です。「大物」を何とよみますか?
「おおもの」ではありません。
阪神電車に大物駅があり、阪神梅田へ行く路線と西九条から難波を抜けて、そのまま近鉄に乗り入れて奈良へ向かう路線との分岐駅です。もっとも普通しか停車しないので、一つ先の尼崎駅で乗り換えする人がほとんどです。
大物のよみかたは「だいもつ」。古い地名で大物は平安時代に港町として栄え、材木の集散地でした。知名は巨材を意味する「大物」からきているようです。
日本史では大物崩れ(だいもつくずれ)で有名です。赤松政祐・細川晴元・三好元長の連合軍と細川高国・浦上村宗の連合軍が戦っていて、こう着状況が続いていましたが、大物での戦いで細川高国側が敗れてしまい、戦況が大きく変わってしまいました。室町幕府の実権を握った細川氏の内紛でした。尼崎のすぐ近くですが、この地には大物城があったようです。今では何も残っていません。
御器所駅(ごきそ)から名古屋市新事業支援センターがある吹上方面に歩いていく途中で見つけたのが阿由(あゆち)という知名。
「あゆち」って、まさかあの「あゆち」!
尾張には昔から「あゆち思想」の伝説があり、「あゆち」とは海から吹いてくる幸福の風のことをさしています。万葉集には「桜田へ鶴鳴きわたる年魚市潟(あゆちがた) 潮干にけらし鶴鳴きわたる」という歌があり、愛知県の「あいち」も「あゆち」に由来していると言われています。
作家の童門冬二氏によると織田信長はこのこの「あゆち」の風を尾張だけでなく日本全国に吹かせたいと考えていたのではないか、と考えています。後に作った安土城も「あゆち」からきているのでは述べています。
吹上も昔は入海になっていて、風波が岸に吹き上げていたことに由来しますので万葉集に歌われた「あゆちがた」もこのあたりにあったんですかねえ。
三重県内のITコーディネータの集まりであるITC三重の定例会
本日はセミナーを2本開催しました。
一つ目はビジネスブレークスルー大学院大学 深尾教授による「企業のグローバル化に伴うイノベーションの新しい方向性」。ビジネス・ブレークスルー大学院大学は大前研一氏が作った実践型大学として有名です。深尾教授は長くアメリカでコンサルティングをされていた方。海外企業は自社だけでR&Dを行わず、外の意見をよく聞いてイノベーションを実施しているという話は新鮮でした。
2本目はK&Weニシゾノ企画の西園代表による「情報システムのマスター鮮度管理について」。商品が設計変更されてもマスター変更を忘れていることがしばしば。マスターの情報項目をいかに鮮度よく更新するかというお話し。
セミナー後にIT経営応援隊時代に行っていた経営者研修会をもう一度、やろうということで盛り上がり、次回にも続けて検討することになりました。
京都橘大学 WOC認定看護師コースが終了。先ほど成績をつけて大学へ送りました。
認定看護師とは、特定の看護分野における看護師の専門家で、京都橘大学の場合は創傷・オストミー・失禁(WOC)看護分野の認定看護師を養成しています。看護師としての5年以上の実務が要求されますので、受講生は現役の看護師さんばかり。例年、1、2名の男性看護師が混じっているのですが今年度は女性ばかりでした。
最終講座では「WOC認定看護師になった時の抱負」というテーマで皆さんにプレゼンをしていただきましたが、皆さん病院の期待を一身に背負って参加されていることがよく分かります。認定看護師というのは本当に希少な存在なんですね。なかにはお子さんが小さいのに単身赴任状態のお母さんもいます。大変ですが女子大生に混ざって大学生活を満喫されています。
さてプレゼンですが現役の看護師さんなので、ウチの病院の症例ですと褥瘡(じょくそう)の写真なども平気で出てきます。一般人が見るとかなりエグイ写真で、最初に講座を受け持った時はショックでした(笑)何年も講座をやっているとすっかり慣れてしまいました。