♪桑町、茅町、広小路、もひとつゆられて上野町♪
西岡たかし 「上野市(うえのまち)」 で有名な広小路駅へ行ってきました。駅と言っても小さな待合がポツンとあるだけの無人駅です。伊賀鉄道はほとんど無人駅で有人駅は3つしかありません。
駅は大和街道のすぐそばで、今はバイパスができてしまいましたが江戸時代のメインストリートです芭蕉の生家も近く。西の端には仇討で有名な鍵屋の辻があります。
広小路駅で降りて、企業周りしていましたが暑かった。
大阪から松阪へ出て、最低賃金総合相談支援センターの車に便乗して尾鷲の企業へ。写真は尾鷲南インター近くの工事現場写真。
三重県の多気町(シャープ多気工場がある所)から熊野にかけて紀勢自動車道を建設中です。この区間は国道42号線しかなく、この国道が通れなくなると、全ての物流が止まってしまいます。
4,5年前に大雨で東紀州が陸の孤島になってしまいました。物資を尾鷲に船で運んで、尾鷲から物資を担いだ人が馬越峠を越えて隣の相賀へ運びまし
た。馬越峠というのは熊野古道で、尾鷲の人に言わせると熊野古道は古道ではなく、今でも生活道路だという具合に道路事情の悪いところです。国道42号線に
変わるもう1本の道路が悲願になっています。
紀勢自動車道は多気から大内山村までは開通しましたが、大内山-紀伊長島と海山ー尾鷲北は2012年度中に開通予定。尾鷲の町に入るまで2つの峠越えをしないといけませんが、これで尾鷲の手前の1つに減りそうです。
遷宮が2013年なので、何とかそれに間に合わせたいと工事が進んでいます。江戸時代、伊勢参りをしてから熊野古道を通って熊野詣でをするのが定
番でしたので高速道路で紀伊長島まで伊勢から行けることになります。ただ工事需要が終わると民需が少ない東紀州の建設業にとっては厳しいことになりそうで
す。
四日市商工会議所の経営指導員に連れられて四日市の桜にある企業さんへIT相談へ。もう一件まわるという経営指導員と別れて近鉄・湯の山線の桜駅から帰ってきました。
近鉄・湯の山線は四日市駅から湯の山温泉駅を結ぶ単線です。湯の山温泉駅を降りると温泉街となり、その先にロープウェイがあり御在所岳へ行けま
す。かなり高い所を通るロープウェイで高所恐怖症にとっては地獄ですね。小学校の時に乗ったのですが、二度と乗らないと誓いました。(笑)
湯の山線は単線なんですが、かっては大阪から特急が出ていました。名古屋行きと連結して走り、四日市駅で切り離して湯の山線に入ります。平日もけっこう乗っていたそうです。大阪の経営者に昔、聞いた話によると新地のホステスとお忍びでデートする時に活用していたそうです。
近鉄沿線沿いには榊原温泉という温泉がありますが、こちらは大阪から1時間少しと近いため奥さんが友達と来ている可能性があり、鉢合わせしないように2時間以上かかる湯の山温泉が経営者にとってよい温泉場だったそうです。ほんまかいなあ。(笑)
朝から伊勢へ。伊勢商工会議所の経営指導員と宮川の河口近くにある企業さんを訪問してきました。
伊勢商工会議所の入口を入ると遷宮「お白石持ち」用のお木曳き車模型が置いてありました。「お白石持ち」とは宮川の河原から採集した白石を陸曳・川曳で運び、正殿用地に敷き詰める行事で地元の神領民らが参加します。
もう一つ入口にあるのが蘇民将来子孫家門と書かれた注連縄。伊勢では1年中、注連縄を飾っておく風習があります。もともとは旅行中の須佐之男命が
蘇民将来の家に泊めてもらい歓待してもらったことから、入口に「蘇民将来の子孫」と書いておけば疫病などから守ってあげると言われたのが謂れだとか。伊勢
だけでなく松阪から志摩一体で見られる風習です。
略して将門と書くと平将門を思い出すので「笑門」と書きます。同じ三重県でも津市あたりでは見たことがない風習ですねえ。雲出川あたりが境目なのかなあ。
三重県には百五銀行、三重銀行、第三銀行と3つの地銀がありますが一番大きいのが百五銀行。銀行名に番号が入っている通り、創立時は第百五国立銀行でした。
津市の岩田川の横に本店があるのですが、水はけが悪いのか大雨になると1階店舗に浸水しています。よく台風前になると入口前に土のうを積むのが風物詩になっています。高層建築が少ないので11階建はよく目立ちます。
本当は中心市街地である丸ノ内(三重会館の前)に移転する予定でしたが、調査したら津城の内堀が出てきて、遺跡保存の話もからんで進んでいないようです。
我が水谷IT支援事務所の口座も百五銀行に作っています。本当は大阪に店舗が多い三井住友銀行にする予定だったのですが、なんせ三重に都市銀行は
ほとんどありません。みずほ銀行は四日市と津に2店舗。三井住友銀行にいたっては三重県内に店舗がありません。その代わり三重銀行のATMで三井住友銀行
の口座から引き出しても引き出し手数料は無料です。と後で知りました。
結局、三重県内で店舗数が多い百五銀行に口座を作りましたが大阪は難波に1店舗あるだけです。
午後は桑名の企業さんへ。相談の後、世間話となり石取祭りから幕末の歴史の話に。
幕末の桑名藩主は松平定敬。松平定敬は会津藩・松平容保の弟で、。徳川慶喜らと京都で薩長と対峙していました。結局、鳥羽伏見の戦いから五稜郭まで戦った殿様として有名です。末期の新撰組に桑名藩士が多いのは、殿様自ら土方歳三らと転戦したのが理由です。
その間に若君のいる桑名藩は新政府軍の進軍路でもあり降伏しましたが、藩主の方は潔しとせず、自ら上野彰義隊、会津戦、越後戦などを戦い、最後は五稜郭で戦っています。最後は五稜郭を脱出して上海へ逃れ、やがて日本へ戻り、天寿を全うしています。
五稜郭の頃には土方歳三と一緒に戦っており、これが桑名藩新撰組です。強かったようですね。特に立見という侍は政府軍に名がとどろいていました。
西南戦争が起こった時、大久保利通などが、そうだ我々をさんざん苦しめた桑名藩の立見がいるではないかと思い出し、三重県庁に出仕していたのを陸
軍新撰旅団副長として呼び出しました。後に陸軍大将にまでなっています。薩長出身の将軍も戊辰戦争で煮え湯を飲まされた立見には頭があがらなかったそうで
す。
桑名はそんなこともあり、会津とは縁が深いですね。陸奥白河藩から松平家が移封されたため、今でもズーズー弁をしゃべる桑名市民がいるという説がありますが、さすがにガセネタのようです。
伊賀上野の企業さんへ行くためにまずはJR奈良駅へ。
駅の案内を見ると関西本線は大雨のため柘植ー亀山間は運転を見あわせており、バス代行になっていると案内されていました。駅員さんに聞くと伊賀上野までは動いているということなので、とりあえず加茂駅へ。ところが乗る予定だった列車は運転とりやめに。
加茂駅で聞くと、次の列車は動くということなので企業さんに連絡して1時間ほど駅で待っておりました。さて列車は動きましたが、さすがにほとんど
乗っていません。なんとか伊賀上野へたどり着きましたが、こっちは今朝から風と雨がすごかったんですね。佐那具駅近くの柘植川(下流にいくと木津川になっ
て最終的に淀川になります)も濁流になっていました。
さて相談が終わって、そうそうに帰ろうと駅に行くと駅に列車が止まったまま。関西本線止まっていました。(泣)しょうがないので企業さんに戻っ
て、上野市駅まで送ってもらい伊賀鉄道、近鉄経由で帰ってきました。遠かった。明日は四日市へ行かないといけないんですが、こりゃ無理かなあ。
午前中は伊勢商工会議所へ。
経営指導員と一緒に伊勢の企業へ行っておりました。
お昼はシェール (Cafe&Bar Cher)という、とってもおしゃれなお店へ。伊勢市駅近くの新道商店街入口にあり、近くには虎屋のヨウカンがあります。道路をはさんだ向かい側は月読見宮。
7ケ月ほど前にできたお店です。ランチ1000円でスパゲティーと一品の他にスープ&デザート(アイス)&ドリンクがつきます。なかなかオシャレで、おじさん二人で行くお店じゃないですね。
伊勢市駅から津駅までは久しぶりに快速みえに乗って戻ってきました。以前は2両編成で、けっこう混んでいたのですが今は4両編成となり、なかなか快適。今年は参宮線全通100周年なんですね。参宮線は伊勢神宮への参詣路線で紀勢本線の多気駅から鳥羽駅を結んでいます。
朝から雨ですが、津では七夕祭りが行われました。
浴衣姿の子供たちが岩田川にかかる観音橋から笹を流します。川には網が張られていてゴミが海に流れないようになっています。私が子供の頃も川へ笹を流しに行きましたが、当時はそのまま海に流れていましたね、あれはけっこうなゴミになっていたんですなあ。
ふだんは閑散としている商店街には津餃子やいろいろな屋台が出ていて、浴衣姿の子供や親などでたくさんの人出。地元の百貨店「松菱)前では百五銀行の行員が銀行名の入った法被を着て道行く人にウチワを配っていました。三重銀行や第三銀行はどうした!(笑)
去年も雨でしたが18時ぐらいには雨があがりましたので、集客はそこそこよかったのですが、今日はずっと降っているので売上的には減でしょう。
商店街には津のゆるキャラであるゴーちゃんとシロモチ君が歩いておりました。カメラを向けるとポーズをとってくれるのがいいですね。それにしても、これだけ湿気が多いと被り物は地獄でしょう!
近鉄 新庄駅で降りて企業さんへ。
新庄駅は四日市駅の一つ手前で普通しか止まりません。車両も2両編成か3両編成になりますので、ホームも短めになっています。急行が止まる伊勢若松駅か塩浜駅で普通に乗り換えます。
新庄駅を降りると駅前広場になっていますが、お店は何もないですね。喫茶店が一軒だけありますが、電車の客よりも車の客を狙っているため広めの駐車場になっています。同時に降りたのは5人程度でした。
午後の時間帯は1時間に3本の運行で20分間隔になっていました。四日市駅までそう遠くないので歩いてもよいのですが、この暑さではねえ。気長に電車を待って帰ってきました。