武家屋敷(松阪)

今日は松阪で企業回りをしておりました

駅前から商店街をずっと歩いて、一歩東の通りに入ると細い路地になっていて、同心町となります。地名の通り武家屋敷が並んでいたところで今も当時の雰囲気が残っています。

少し東に入ると御城番屋敷。ここは幕末の武家屋敷がそのまま残っています。江戸時代、松阪は紀州藩の土地で、幕末に起きた騒動のためにリストラにあってしまいます。浪人になったのですがあきらめずに徳川慶喜に嘆願。復帰したのですが今度は明治維新が起きてしまいました。

そこで始めたのが武家の商法。合資会社苗秀社を設立し、今も続いています。

この騒動は中公新書「幕末武士の失業と再就職」となりNHKでドラマ化もされています。

伊勢若松 大黒屋光太夫

昼から専門家派遣(コンサルタントを企業に派遣する事業)の事前ヒアリングに支援センターの職員と鈴鹿の企業さんに出かけてきました。

帰りは夕方になったので、近鉄の伊勢若松駅に送ってもらい電車で帰ってきました。この伊勢若松は井上靖の小説『おろしや国酔夢譚』で有名な大黒屋光太夫の生まれ故郷です。

伊勢若松駅の次が千代崎駅で、その次が鈴鹿サーキットの玄関駅である白子(しろこ)駅です。大黒屋光太夫はこの白子の港から神昌丸に乗りこんで出発しました。これが難破でペテルブルクまでたどり着き皇帝エカチェリーナ2世と謁見する大冒険物語になっていきます。

ということも想起しながら電車に乗って帰ってきました。

伊勢神宮 外宮へ初詣

今日は昼から伊勢商工会議所で定例相談を担当。

昼休みに近くの伊勢神宮(外宮)へ参拝に行ってきました。今年初めてです。昼間は日の光でポカポカしていましたね。

外宮の平日は割と閑散としているのですが、1月なのでけっこう参拝客が。外宮前のバス停からも内宮行きのバスがピストン輸送で出ていました。
まずは本殿をお参りしてから、坂を登って荒御魂社の多賀宮へ。本殿が和御魂(にぎみたま)を祭っていますが、多賀宮は荒御魂(あらみたま)を祭っています。今回のような不況には、こっちの多賀宮の方がお参りには最適です。
本殿だけ参る人も多いので、多賀宮まで参拝する人は若干少なめです。ついでに土宮と風宮もお参りしてきました。

お昼は「ちとせ」の伊勢うどん定食(700円)です。

世界一不快な発明

昼から四日市商工会議所へ

四日市駅から商工会議所へ行くには諏訪商店街を通っていきます。ここはイオンの創業の地で岡田屋があったところです。「大黒柱に車輪をつけろ」という社訓の会社ですので、昔はジャスコがあったのですが今は空き地です。

四日市駅近くはまあまあ人通りもあるのですが、はずれにある諏訪神社の方へ行くと閑散としています。そんな中に響く歌声。見ると商店街の中でカラオケ大会をやっていました。イスに10名ぐらい座っていましたが、見物客ではなく歌う順番待ちをしているだけのようです。

それにしても商店街でカラオケをやっているのは初めて見ました。イギリスで「最も重要と思いつつ最も不快に感じる発明品」でカラオケが第一位になったようですが、この商店街に響く歌声を聞くとなるほどと思いますね。

カラオケは10人歌いたい人がいれば、その後ろには被害を受ける人が150人はいるということです。

伊勢 河崎めぐり

今日は伊勢の事業者のところへ行っておりましたので、帰りに河崎の町を歩いて帰りました。

伊勢神宮への海からの参拝や物資輸送で使われていたのが勢田川です。この勢田川のほとりにあるのが河崎の町です。

江戸、明治時代には大問屋街でしたが。戦後は水運ではなくトラックなどに移ってしまったので、寂れてしまいました。ただ古い町並みが残り、雰囲気はAllwaysの世界ですね。今は町おこしが行われています。

さて、この街並みにとけこんでいるのが古本屋「ポラン」。河崎に来ると寄るのですが、けっこういい本がありますね。重いのに3冊ほど買ってしまいました。
→ 河崎(伊勢)

七里の渡し(桑名)

11月に経営者研修会(IT経営応援隊)を行うので集客依頼に四日市、桑名の金融機関へ。ついでに桑名の企業さんを3社ほどまわってきました。

1社は九華公園のすぐ近くにあり、久しぶりに城跡に寄ってきました。九華公園は桑名城の本丸跡と二の丸跡に作られた公園で、城は残っていませんが、堀跡などが残っています。

神社の横に天守閣跡がひっそりと残っています。ちょっと登ったのですが草ぼうぼうで出てきたらズボンが「ひっつき虫」だらけに。ベンチに座って、せっせと取っていました。

城跡の近くには「七里の渡し」があります。東海道を名古屋まで進むと熱田神社近くに宮の宿があり、ここから桑名までは七里の船旅でした。桑名に着くと、桑名城の櫓と伊勢国の入口にあたるため、伊勢神宮の「一の鳥居」が出迎えてくれます。

江戸時代はこの鳥居をくぐって、お伊勢参りに出発したんですね。

出世払い(三つ丸餅)

藤堂高虎が慶長13年(1608)に伊予今治から伊賀国・伊勢国に転封となって、津城主になって400年ということで、津のそこかしこに入府400年の旗指物がひるがえっています。

藤堂高虎を崇拝する東郷平八郎がバルチック艦隊を破った後、1905年10月13日に連合艦隊を率いて津を訪れています。これは水軍司令で有名な高虎が津へ入国する故事を再現したパフォーマンスだったそうです。

入府400年の旗指物ですが、藤堂家が使っていた旗指物(三つ丸餅)になっています。これには逸話があり、浅井家から出奔した高虎が諸国を放浪していた時、三河で路銀が尽きてしまいました。

空腹に耐えきれず入った餅屋で無銭飲食をしてしまいましたが、主人は笑って許してくれ、路銀まで恵んでくれました。この恩を忘れないため、旗指物が餅になりました。「城持ち」になるという意味もこめられています。

その後、大名として江戸へ向う高虎が三河の餅屋の前で行列を止め、この時の恩に報いた話が浪曲・講談の「出世払い」で有名です。藤堂家では、その後も必ず餅屋で休息して餅を食べるという慣例ができたそうです。

足神さん

今日は伊勢商工会議所で創業相談。

最寄駅の伊勢市駅の改札を出ると、あたり一面、野口みずきののぼりばかり。商店街も同様でした。

伊勢神宮・内宮の駐車場のすぐ近くに宇治神社があります。別名が足神さんで、アスリートがお参りする神社として有名ですが、地元の人しか知りませんね。いつ行っても閑散としています。

地元のテレビを見ていたら、野口みずきのお母さんらが足が治るように足神さんにお参りするシーンが映っていましたが、ダメでしたねえ。

尾鷲は今日も雨だったあ

大阪から近鉄、JRを乗り継いで三重県の南にある相賀駅へ

相賀は尾鷲から一つ名古屋よりの駅で無人駅です。私の他は誰も降りないなと思ったら青春18切符を持ったリュック姿のおじさんが降りました。この駅からちょっと行ったところが熊野古道の一つである馬越峠があるので、それを登るのかなあ。

さて相賀と尾鷲の企業さんを回って、最後に「熊野古道センター」を見てきました。尾鷲ヒノキの産地ですので、ふんだんに木を使った建物ですね。中は熊野古道の展示になっていました。

ちょうど夏の企画展「熊野の匠たち―その手に業あり―」をやっており、尾鷲や熊野の地域資源が紹介されていました。さて朝は晴れていて暑かったのですが、日本で屋久島についで雨の多い尾鷲ですので、雷が鳴り始め、大雨に。

ちょうど熊野古道センターから松阪駅に向かう長距離バスがありましたので、これ幸いとバスに乗って帰ってきました。尾鷲から松阪まで2時間半かけて、ひたすら峠を越えていくバスです。観光バス仕様で、ウトウトできるのが最適ですね。

夏越の祓(なごしのはらえ)

夕方、津城近くの高山神社へ出かけてきました。

もう今年も半分が過ぎ、今日は各地の神社で夏越の祓(なごしのはらえ)が行われています。

境内に大きな茅の輪(ちのわ)が作られ、この輪の中を左まわり、右まわり、左まわりと八の字にまわって穢れを祓うものです。

今日はひょっとしたら行けないかもしれないと思い、先週土曜日に大学へ行った時に近くの岩屋神社へ寄ってきました。ここは入口に茅の輪があり、説明によると左足から入って参拝し、出るときは右足から出ると書いてありました。神社によっていろいろあるんですね。

さあて、下半期もがんばらねば!