世界一不快な発明

昼から四日市商工会議所へ

四日市駅から商工会議所へ行くには諏訪商店街を通っていきます。ここはイオンの創業の地で岡田屋があったところです。「大黒柱に車輪をつけろ」という社訓の会社ですので、昔はジャスコがあったのですが今は空き地です。

四日市駅近くはまあまあ人通りもあるのですが、はずれにある諏訪神社の方へ行くと閑散としています。そんな中に響く歌声。見ると商店街の中でカラオケ大会をやっていました。イスに10名ぐらい座っていましたが、見物客ではなく歌う順番待ちをしているだけのようです。

それにしても商店街でカラオケをやっているのは初めて見ました。イギリスで「最も重要と思いつつ最も不快に感じる発明品」でカラオケが第一位になったようですが、この商店街に響く歌声を聞くとなるほどと思いますね。

カラオケは10人歌いたい人がいれば、その後ろには被害を受ける人が150人はいるということです。

伊勢 河崎めぐり

今日は伊勢の事業者のところへ行っておりましたので、帰りに河崎の町を歩いて帰りました。

伊勢神宮への海からの参拝や物資輸送で使われていたのが勢田川です。この勢田川のほとりにあるのが河崎の町です。

江戸、明治時代には大問屋街でしたが。戦後は水運ではなくトラックなどに移ってしまったので、寂れてしまいました。ただ古い町並みが残り、雰囲気はAllwaysの世界ですね。今は町おこしが行われています。

さて、この街並みにとけこんでいるのが古本屋「ポラン」。河崎に来ると寄るのですが、けっこういい本がありますね。重いのに3冊ほど買ってしまいました。
→ 河崎(伊勢)

七里の渡し(桑名)

11月に経営者研修会(IT経営応援隊)を行うので集客依頼に四日市、桑名の金融機関へ。ついでに桑名の企業さんを3社ほどまわってきました。

1社は九華公園のすぐ近くにあり、久しぶりに城跡に寄ってきました。九華公園は桑名城の本丸跡と二の丸跡に作られた公園で、城は残っていませんが、堀跡などが残っています。

神社の横に天守閣跡がひっそりと残っています。ちょっと登ったのですが草ぼうぼうで出てきたらズボンが「ひっつき虫」だらけに。ベンチに座って、せっせと取っていました。

城跡の近くには「七里の渡し」があります。東海道を名古屋まで進むと熱田神社近くに宮の宿があり、ここから桑名までは七里の船旅でした。桑名に着くと、桑名城の櫓と伊勢国の入口にあたるため、伊勢神宮の「一の鳥居」が出迎えてくれます。

江戸時代はこの鳥居をくぐって、お伊勢参りに出発したんですね。

出世払い(三つ丸餅)

藤堂高虎が慶長13年(1608)に伊予今治から伊賀国・伊勢国に転封となって、津城主になって400年ということで、津のそこかしこに入府400年の旗指物がひるがえっています。

藤堂高虎を崇拝する東郷平八郎がバルチック艦隊を破った後、1905年10月13日に連合艦隊を率いて津を訪れています。これは水軍司令で有名な高虎が津へ入国する故事を再現したパフォーマンスだったそうです。

入府400年の旗指物ですが、藤堂家が使っていた旗指物(三つ丸餅)になっています。これには逸話があり、浅井家から出奔した高虎が諸国を放浪していた時、三河で路銀が尽きてしまいました。

空腹に耐えきれず入った餅屋で無銭飲食をしてしまいましたが、主人は笑って許してくれ、路銀まで恵んでくれました。この恩を忘れないため、旗指物が餅になりました。「城持ち」になるという意味もこめられています。

その後、大名として江戸へ向う高虎が三河の餅屋の前で行列を止め、この時の恩に報いた話が浪曲・講談の「出世払い」で有名です。藤堂家では、その後も必ず餅屋で休息して餅を食べるという慣例ができたそうです。

足神さん

今日は伊勢商工会議所で創業相談。

最寄駅の伊勢市駅の改札を出ると、あたり一面、野口みずきののぼりばかり。商店街も同様でした。

伊勢神宮・内宮の駐車場のすぐ近くに宇治神社があります。別名が足神さんで、アスリートがお参りする神社として有名ですが、地元の人しか知りませんね。いつ行っても閑散としています。

地元のテレビを見ていたら、野口みずきのお母さんらが足が治るように足神さんにお参りするシーンが映っていましたが、ダメでしたねえ。

尾鷲は今日も雨だったあ

大阪から近鉄、JRを乗り継いで三重県の南にある相賀駅へ

相賀は尾鷲から一つ名古屋よりの駅で無人駅です。私の他は誰も降りないなと思ったら青春18切符を持ったリュック姿のおじさんが降りました。この駅からちょっと行ったところが熊野古道の一つである馬越峠があるので、それを登るのかなあ。

さて相賀と尾鷲の企業さんを回って、最後に「熊野古道センター」を見てきました。尾鷲ヒノキの産地ですので、ふんだんに木を使った建物ですね。中は熊野古道の展示になっていました。

ちょうど夏の企画展「熊野の匠たち―その手に業あり―」をやっており、尾鷲や熊野の地域資源が紹介されていました。さて朝は晴れていて暑かったのですが、日本で屋久島についで雨の多い尾鷲ですので、雷が鳴り始め、大雨に。

ちょうど熊野古道センターから松阪駅に向かう長距離バスがありましたので、これ幸いとバスに乗って帰ってきました。尾鷲から松阪まで2時間半かけて、ひたすら峠を越えていくバスです。観光バス仕様で、ウトウトできるのが最適ですね。

夏越の祓(なごしのはらえ)

夕方、津城近くの高山神社へ出かけてきました。

もう今年も半分が過ぎ、今日は各地の神社で夏越の祓(なごしのはらえ)が行われています。

境内に大きな茅の輪(ちのわ)が作られ、この輪の中を左まわり、右まわり、左まわりと八の字にまわって穢れを祓うものです。

今日はひょっとしたら行けないかもしれないと思い、先週土曜日に大学へ行った時に近くの岩屋神社へ寄ってきました。ここは入口に茅の輪があり、説明によると左足から入って参拝し、出るときは右足から出ると書いてありました。神社によっていろいろあるんですね。

さあて、下半期もがんばらねば!

三重大学 第二食堂

昼から三重大学へ

産学官連携といっても担当者同士で交流しなければ話が進まないということで三重大学の産学官連携を担当している部署、三重TLOとの交流会がありました。

会議が終わった後は第二食堂へ移って、懇親会です。
この第二食堂で食堂で見つけたのがキャンパスソースと醤油です。オリジナルブランドがあるんですねえ!

熊野から帰る

時計もない熊野のビジネスホテルで自力で起き、まずは熊野灘へ。

壮大に波が打ち寄せています。三重にいてもなかなか海を見る機会がないもので、なかなか勇壮な光景です。熊野からは七里御浜といい、ずっと和歌山の新宮の方まで七里にわたり砂浜が続きます。ここが熊野参詣の道でした。

海岸から戻って熊野市駅のすぐ横にあるお店に。早朝なので「さんま寿司」はさすがにありませんでしたが、めはり寿司はすぐ握れますよということなので握ってもらうことに。めはり寿司を鞄につめ、いろいろと寄ったりしながら大阪まで帰ってきました。

さすがに熊野は遠いですねえ。大体テレビが東海圏ではなく関西圏でした。やっぱり紀州藩だった流れなんですね。

今日は梅田で仕事。帰り天満橋近くでがあったので橋をわたっていると、ちょうどアクアライナーが通過していきました。って、よく考えたら今月って引越以外休んでいないような(笑)

熊野のビジネスホテル

熊野でネットがつながる環境のホテルが3軒ほどあったので、とりあえず駅に近いホテルを予約。
ホテルへ着くとフロントの横がスナックのラウンジというホテルでした。(笑)フロントのおばちゃんはどう考えてもスナックのママと兼任でした。
夜、セミナーが終わってホテルへ戻ってきたら、フロントのおばちゃんはおらず、部屋の鍵がフロントに並んでおりました。ええんかいなあ(笑)大体、スナックに客がいないことも問題では。
そのまま鍵を持って入りましたが、もっとも20部屋ほどあって泊り客は5名ぐらいのようです。
おまけに部屋には目覚まし時計もないという、すごいビジネスホテルです。(笑)
こんなとこ初めてですなあ。