百舌鳥・古市古墳群が世界遺産推薦へ

津堂城山古墳
津堂城山古墳

百舌鳥・古市古墳群が近々、世界遺産になりそうですね。百舌鳥(モズ)なんて、よめない人も多そうですが、これで全国的になりそうです。

戦国時代、古墳は城として使わていました。高槻にある今城塚古墳は本当の継体天皇陵と言われていますが織田信長が三好一族と争った時に城と使われたことから今城塚古墳となりましたが、実際は地震の影響によって城跡のように見えたことが判明しました。

今回の世界遺産候補にも2つの城跡が入っていて、津堂城山古墳(小山城)と仲哀天皇陵(大坂夏の陣の真田丸)です。特に仲哀天皇陵(岡ミサンザイ古墳)は最近の調査によって道明寺・誉田の戦いで徳川家康軍を待ち受けるために真田信繁が築いたもう一つの真田丸だったという説が濃厚です。

今回の世界遺産リストには入っていませんが百舌鳥・古市古墳群には他にも大塚山古墳(丹下城)、安閑天皇陵(高屋城)、黒姫山古墳(丹南城)の3つの城跡があります。

水間観音

水間観音
水間観音

根福寺城からずっと下ってくると三重塔で有名な水間観音があります。

水間観音は聖武天皇の勅願により行基が開創したと言われています。戦国時代、ここらへんは根来の支配下だったため秀吉の紀州征伐(雑賀、根来攻め)で堀秀政の軍勢に攻められて焼失しました。堀秀政といえば信長の側近で、信長亡き後は秀吉に仕え、小牧・長久手の戦いでは家康の本拠である岡崎をつこうとした時に家康に見破られ秀吉軍はさんざんに打ち負かされます。そんななか委細をはなったのが堀秀政軍で家康軍を敗退させ一矢報いました。小田原城攻めで病没してしまいました。

伽藍は江戸時代に再建されています。昔から厄除けで有名でしたが境内の愛染明王が恋人の聖地と認定されたことから厄除けと恋愛成就のパワースポットになっているそうです。知らんけど。

高津宮

高津宮

上町台地にあったと伝わるのが仁徳天皇の高津宮で、現在は神社になっています。上町大地の西端にあり西側は崖になっています。高津の富という上方落語の舞台でもあります。

仁徳天皇は宋書・倭国伝に出てくる倭の五王の倭王讃または倭王珍ではないかと言われています。お墓は堺にある世界最大の大仙陵古墳で、昔は仁徳天皇陵と習いましたが、実際は誰が葬られているのか、よく分かっていません。

高津宮といえば有名なのが「高き屋に のぼりて見れば 煙立つ 民のかまどは 賑わいにけり」という新古今集に出てくる和歌で、仁徳天皇の偉業をうたったものです。疲弊した民のために3年間、徴税をやめ宮殿が荒れ果ててしまいましたが3年経って民の家々から煮炊きの煙があがるようになったという故事に由来するものですが、プライマリーバランスを無視して、ほんまにできるんですかいな~あ。

仁徳天皇といえば難波の堀江の開削(現在の大川と言われています)と茨田堤の築造を行ったインフラ整備で有名で国力を豊かにするための施策を実行したのが本当でしょう。

額田戎神社

額田戎神社

えべっさん、今年もあんじょう頼んまっせえ!他のヤツの願いはどうでもええから、ワテの願いは絶対でっせえ!合同会社もやっているし、ほんまに頼んまっせえ!!

ということで家のすぐ近くにある額田戎神社へ。人が多い今宮や西宮へ行かなくても、ゆっくりお参りできるのが最高です。西宮のえべっさんを勧請しているので、ご利益は同じです!!と信じています(笑)。なんせ浄土真宗なみの絶対他力ですから、ほんまにあんじょう頼んまっせえ!

いつもは閑散としている額田戎神社も十日戎の間は”商売繁盛で笹もってこい!”が大音量で流れています。まずはえべっさんにお願いして、次は社殿裏にまわって木の板をたたき、もう一度お願いをします。なんせ耳が遠い神様なんで念には念をいれます。

境内でお神酒と甘酒をいただいてから縁起物を買い求めます。額田戎神社では縁起物を買うと福引ができ、今年も5等(末等)のゴミ袋でした。さあ、また1年がんばろう!

T-Site(枚方 蔦屋書店)

枚方・蔦屋書店

先日、京阪枚方市駅へ行ったついでに、やっとこさT-Siteへ行ってきました。くらわんか舟の伝統がある枚方には似つかわしくないオシャレなお店ですね(笑)。

行くのが遅いって(笑)。

T-Siteはカルチュア・コンビニエンス・クラブが運営する複合商業施設で、代官山・湘南に続く3店舗目になり、中心になるのが蔦谷書店です。 LUCUA osakaにある梅田・蔦屋書店は実に本が探しにくいですが、枚方・蔦屋書店はジャンル分けされていて探しやすいですね。

ご存知の方も多いと思いますがTSUTAYA創業の地が枚方で蔦屋書店という名前でスタートしました。てっきり喜多川歌麿や東洲斎写楽を世に送り出した蔦屋から名前をとったと思っていたら、お爺さんが置屋を営んでいて、その屋号が蔦屋だったそうです。

カルチュア・コンビニエンス・クラブが創業の地である枚方に立派な施設を作ったのとは対照的に、イオン(岡田屋)創業の地である四日市の諏訪商店街には何の店も残っていません。岡田屋の家訓が「大黒柱に柱をつけろ」ですので、創業の地にはなんのこだわりもないようです。

継体天皇の楠葉宮

楠葉宮

皇統が一度、途絶え王朝が交代したのではと諸説あるのが継体天皇。なんせ応神天皇の5世孫ですから異例な出自になっています。

継体天皇は越前国にいましたが有力豪族達からの誘いで楠葉宮において即位します。この時に活躍したのが河内馬飼首荒籠でした。楠葉周辺は牧(今の牧場)がたくさんあり(京阪沿線には牧野駅があります)、牧を管理していたのが馬飼部で、首長が荒籠でした。当時の馬は物流の要ですので、今でいうと大きなトラックターミナルの理事長みたいな存在でしょう。各地から届く情報を継体天皇に伝えていたようです。

■山城のような楠葉宮
継体天皇を迎えた大伴金村は任那4県の割譲による賄賂事件で失脚、新羅と通じた筑紫君・磐井による反乱事件も起き、朝鮮半島情勢を巻き込み激動の時代でした。当時、中国大陸ー北陸ー琵琶湖ー淀川が情報や物流ルートでしたので楠葉を拠点にしたのでしょう。

楠葉宮に比定されているのが足立寺跡に近い丘の上にある貴船神社で、住宅地の一角に、うっそうとした原生林に囲まれている中にあります。宮は飛鳥板葺宮など平地に作られるのが基本ですが、山城にしようと思えば、できそうな丘の上にありました。

即位19年後まで都を大和に移せませんでしたので緊迫した情勢だったのかもしれません。継体天皇が葬られたのは高槻にある今城塚古墳というのが定説になっています。

足立寺跡

足立寺跡

楠葉駅からずっと東側へ行った高台に西山廃寺(足立寺)跡があります。現在、足立寺史跡公園になっていて敷地内には和気神社もあり、和気清麻呂を祀っています。道鏡に両足を切られた和気清麻呂が宇佐宮で祈ると足が元通り生えて歩けるようになり(ほんまかいな~あ!)、御礼に男山に寺院を建て、それが足立寺(そくりゅうじ)で、古来、足の怪我に霊験あらたかなんだそうです。

発掘調査の結果、三重塔跡などが見つかり、和気清麻呂の時代よりも100年も前の白鳳時代に地元の豪族によって建てられたお寺のようで、敷地内には奈良時代の窯跡も残っていて復元されていました。寺跡はかなりの高台で楠葉、橋本の街を見渡せることができます。力のある豪族だったんでしょうね。

大和川の跡

新開地の自然堤防跡

和気清麻呂の時代から懸案だったのが大阪の東側を流れる大和川の付け替え。

古代から大和川は北に流れ、最終的に淀川と合流して大阪湾にそそいでいました。ただ洪水をよく引き起こしていたため奈良から流れてきた大和川をそのまま西に流して大阪湾へ直接つなごうという大事業です。

■大坂の陣
大坂の陣では大和川沿いに進軍してきた徳川軍を河内平野に侵入してくるところを隘路で待ち受けることにしました。これが道明寺の戦いで、後藤又兵衛が討死することになります。

当時は大和川が北に流れていましたので、京都を出発した徳川本隊は大和川の東側にある東高野街道を南下していました。街道沿いに伸びきった隊に横槍をいれようとして始まったのが八尾・若江の戦いで木村重成が討死します。このように大和川は大坂の陣の舞台となりました。

■吉田に残る大和川遺構
近くの近鉄東大阪線・吉田駅周辺には大和川にちなむ地名が今も残っています。「川中」、「島之内」など極めつけは水走(みずはい)でしょう。

大和川が付け替えされる前、吉田駅近くに新開池という池がありました。今は住宅地となってしまいましたが、今も2メートル程の段差がずっと残っています。これが新開地の自然堤防跡です。写真の住宅の向こう側に2メートルほどの段差があり、ずっと続いています。

枚岡秋郷祭り 踏切超え

枚岡秋郷祭り

河内一之宮 枚岡神社の秋郷祭り。

麓にある東高野街道沿いに枚岡神社の一の鳥居があり、朝から各町内を巡った23基の太鼓台が集合。順次、枚岡神社までの坂を登り始めます。坂を延々と登り枚岡神社までもう少しというところにたちはだかるのが近鉄奈良線の踏切。枚岡駅のすぐ横です。この踏切を渡ったところから一番急な坂が30メートルほど続き、ここが難所となります。

この踏切超えの太鼓台を見るのが一番、面白いですね。近鉄の職員がダイヤを見ながら太鼓台を通す時間を見計らいます。ところが通る近鉄電車の運転手は駅周辺の山のような人だかりを見て減速するもので、なかなかダイヤ通りにはいきません。いろいろと連絡をとりあって23基もの太鼓台を通していきます。

動画はこちらです

まもなく枚岡祭り

枚岡祭

風と共に太鼓の響く音が聞こえます。まもなく枚岡祭りですねえ。

枚岡祭りとは河内国一ノ宮である枚岡神社の秋郷祭りで。祇園祭のように日程が固定で、10月14日が宵宮、15日が本宮となります。今年は14日が日曜と重なり何とか祭りが見られそうです。

枚岡神社は日本最古の神社の1つで、枚岡神社に祀られていた天児屋根命(藤原氏の祖神)と比売神(天児屋根命の奥さん)が奈良に勧請されて春日大社(東大寺の隣にあります)となりました。ですので枚岡神社は元春日とも呼ばれています。枚岡は神武東征の舞台となった土地で社伝では神武天皇の勅命でできた神社だそうです。

枚岡祭りでは地元の9地区から大中小合わせて23台の太鼓台が出ます。9月下旬から夕方に夜にかけて太鼓台の太鼓を打つ練習がはじまり、それが風で届きます。