事業仕分け

知的生産の技術研究会の八木会長から構想日本が大阪市の事業仕分けをやるよと案内をもらい、出かけてきました。

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場所は天王寺にある大阪市職員人材開発センター。事業仕分けというのは「公務員の数は仕事の有無にかかわりなく一定の割合で増加する」というパーキンソンの法則がありますが、本当にその事業を公務員がやる必要があるのかどうか外部委員が検討する作業です。

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受付で分厚い冊子をもらって7階の講堂に入ると、ちょうど市役所の担当が事業の説明をしているところでした。説明は5分で、そのあと質疑応答が20分あります。委員は他の市町村や市民などで構成されており、けっこうマクロ的視点から質問し、面白かったですね。

最後に各委員から、事業を辞めるべきか、民間委託するか、市役所でやっていくか結論を出します。最終結論ではなく、提言になっています。事業仕分けは2002年から始まり37自治体で行われています。議論仕分けをしているところを公開し誰もが議論を聞けるというのが一番で、霞が関は最後まで公開に抵抗したそうです。

今日は大阪市の44事業の事業仕分けが4つの会場で行われていました。最初に入ったのは広い講堂でしたが、聴衆は30名ほどでした。次に小さな会議室に行ってみると狭い会議室が聴衆でぎっしり。議論されたいた事業は「防潮堤等の管理」でした。議論を聞いていたらビックリ。鉄扉のメンテナンスを行うのですが、何トンもある鉄扉を取り外し、工場に運んでペンキを塗り替えるのを公務員が行っていました。大阪市港湾局の職員は800人もいるそうです。

なんで、そんな仕事を公務員がと思っていたら、委員の意見も完全民営化、民間委託が大勢でした。そら、そうでしょうね。さて終わって休憩になったので、会議室をぞろぞろ出ていく人を見るとほとんど私服なんですが、グループが多いですね。会話を聞いていると大阪市職員で、関係部署かどうかは知りませんがやっぱり気になるようです。(笑)

分厚い冊子には議論となる事業が紹介されていましたが、各商店に専門家を無料で10回も派遣する事業もありました。こんなんやっていたんですね。黒板に貼り出されていた速報を見ていたら事業廃止になっていました。

尾鷲へ

今日は朝から県の職員に連れられて尾鷲へ

尾鷲へ行くには以前は松阪から国道42号線しかありませんでした。尾鷲ヒノキが育つぐらい雨がめちゃくちゃ多い地域ですので豪雨で峠が通行止めになると物流が止まってしまいます。(年に2,3回あるようです)

地元の悲願がもうバイパスになる高速道路ですが、少し前にようやく大台町から大内山村までのびました。今日、初めて大台町から先を通ったのですが、津からはずいぶん近くなりましたね。一緒に行った職員によると、こないだインターチェンジに迷い込んだ野生の鹿がいて、びっくりしたそうです。

さて、尾鷲へ着いたのはいいのですが、夕方まだずっと会議室でした。外へ出たのは昼飯を食べに行った時だけ。定食屋さんでしたが、さすがに魚の煮付けはおいしかったですね。

 

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尾鷲のスーパーに入ると鮮魚売り場には津あたりでは売っていない魚が並んでいます。初めて「まんぼう」が並んでいるのを見た時は驚きました。写真は尾鷲へ入るのに超えないといけない馬越峠で、熊野古道の一つです。

靱(うつぼ)公園

今日は大阪の本町で仕事。

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少し時間があったので、本町のIBMを少し北に行ったところにある、靱(うつぼ)公園へ行ってきました。昔、土佐堀で仕事をしていた時、昼休みになると靱公園に出かけて散歩していました。

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そういえばIBMさんでも、よく徹夜をしていましたね。3階か4階に汎用機があり、客先の環境を再現して、負荷テストなどをやっていました。端末が50台ほどあるのですが、何台からもアクセスがあるようなシュミレーションソフトを各端末に仕掛け、次々に起動することで、ゴールデンウィークや正月前のようにアクセスが集中しても、システムが落ちないかテストしていました。深夜、誰もいない端末室で、イスを走らせながら、ひたすらエンターキーをたたく、はたから見たら不気味なことをしていました。

大阪は緑が少ないのですが、靱公園は貴重な公園ですね。

細長い形をしているのですが、第二次世界大戦が終わった後、占領軍が飛行場に使っていたので、そのまま滑走路の後が公園になっています。ずっと昔は雑喉場(ざこば)魚市場と靱塩干魚市場があった場所です。

風鈴列車(伊賀鉄道)

金曜日に伊賀の企業周りをしようと、近鉄の伊賀神戸駅で降りて、二両編成の伊賀鉄道に乗り込むと涼しげな音が

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いろいろな風鈴が車内に50個ぶらさがっていました。同志社大学の「まちづくり観光研究会」の企画で、同会の代表が伊賀在住で、高校時代から伊賀鉄道の存続活性化活動に取り組んでいたからだそうです。

伊賀神戸駅から伊賀へ向かいますが、この風鈴、電車が揺れるたびに音を発し、なかなかうるさい。こりゃ騒音ですなあ。

広小路駅で降りて、松尾芭蕉が俳諧で身を立てようと江戸へ出る決意をし、処女作「貝おほひ」を奉納した上野天満宮に寄ると、境内は提灯だらけでした。そういえば明日、25日は天神さんの日ですね。

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ということは大阪の天神祭は24日、25日だ!ということに気がつきました。
24日は週末の達人「小石雄一」さんに知研関西のセミナーをお願いしていたんですが、天神祭と同日ということはすっかり忘れておりました。

夕方、伊賀上野から大阪へ向かい、小石さんのセミナーを開催。

帰りの地下鉄谷町線は天神祭の帰り客で混んでおりました。

養老鉄道

今日は桑名の企業さんへ

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桑名の郊外で養老鉄道線沿いでしたので、電車で出かけました。近鉄で桑名駅に出て、養老鉄道に乗り換えます桑名と岐阜の大垣を結ぶ線で、単線です。以前、大垣のソフトピアへ行った帰りに大垣から乗ったことがあるのですが、各駅停車ですので、えらく時間がかかりました。距離は大回りになりますが、名古屋経由の方が早いですね。

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もともとは近鉄でしたが、2007年に養老鉄道として分離されました。途中に、養老の滝と水がお酒になった親孝行の「養老孝子伝説」で有名な「養老」があります。2両編成のワンマンで、のんびりしているのがいいですね。旅客を増やす工夫ということで日中は自転車持ち込みOKになています。

この養老鉄道の路線ですが、養老山脈と木曾三川に囲まれた地で、古代からの街道筋です。大海人皇子が壬申の乱で桑名から不破の関(関ヶ原)に向かったルートでもあります。

楽市楽座(いずみ苑)

近鉄・高安駅のすぐ近くに「いずみ苑」という建物があります。大正時代に建てられた重厚な建物で、広い畳の広間と庭で有名です。

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知り合いが管理しているのですが、近ければよけいに行かないという法則通り、歩いて5分ほどの所ですが全然行っておりません。(笑)ちょうど「楽市楽座」という催しをやっているのを見つけ、ウチの奥さんを誘って出かけてきました。

「楽市楽座」ということで広間にアクセサリーやらなんやら女性が好みそうなものを展示&販売しています。最も非売品も多く、半分は所蔵品の展示になっています。というわけでウチの奥さんはさっそくいろいろと品定め。

いろいろな人が入れ替わり立ち替わり現れ紹介いただいたのが、観光の仕事をしている陸奥さん。なんとこの方、All About「大阪」のガイドさんでした。こんなところで!

もう一人はリラッペ企画の山崎さん。どっかで見た印象的な鞄だと思ったら生野区で取り組んでいるミラノのモノ作りプロジェクトに参加されている方でした。自転車に取り付ける印象的な鞄をテレビで見たことがあるのですが、あの鞄を作られていた方でした。

素敵なひと時をありがとうございました。

伊勢 奥柳商店街

昼から伊勢へ。お昼はやっぱり伊勢うどんでした。

今週、伊勢の商店街にある空き店舗へ出店を考えている事業者の相談がありましたので、ついでに現地を見に行きました。

まずは伊勢市駅近くにある新道商店街にある伊勢TMO(タウンマネージメント機関)に寄って、担当者と話をすると、それなら案内しますよと高柳商店街へ連れていってもらいました。けっこう間口が広いお店ですね。

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高柳商店街では毎年、梅雨のシーズンの1ケ月間、週に4日ほど夜店を開催しています。今日もそ夜店の日で、飾り付けや夜店の準備などで賑わっていました。すっかりイベントとして定着したようで、平日もけっこうな人出だそうです。商店街が賑わうのがなによりですね。

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メイン会場では二見シーパラダイスからペンギンとアシカが出張してショーをするそうで、その舞台作りもしていました。さて、そんなメイン会場近くに立っていたのがガンダム。お台場の等身モデルとは違って2メートルほどのものです。

夜店見たかったのですが、夕方には出て大阪へ戻ってきました。

一日早い夏越の祓(なごしのはらえ)

早いもので今年も半分が過ぎます。

夕方、津城の横にある高山神社へ出かけてきました。高山神社は「こうざんじんじゃ」と読み、津の藩祖である藤堂高虎を祀る神社です。

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津は夕方から雨でしたので神社には誰もおらず、ひっそりとしています。境内にはこの時期、夏越の祓用の茅の輪が用意されています。茅の輪の横に回り方が書いてあるので、それを参考に輪の中を左まわり、右まわり、左まわりと八の字に三回通ります。

確か上賀茂神社の茅の輪をくぐる時は左足から先とか書いてあったような記憶があったのですが、そこまで詳しい説明は載っていません。まあくぐればいいんだと適当に通ってきました。

これで今年の残り半分も大丈夫かなあ。本当の夏越の祓は6月の晦日となる明日ですが、一日早く夏越の祓をすませました。

教興寺の戦い

近鉄・高安駅から山の方へ向かっていくと教興寺という地名があります。

ここは戦国時代、畿内での最大の会戦である「教興寺の戦い」(1562年)が行われた舞台で、三好長慶と畠山高政が激突。勝利した三好長慶が河内国、和泉国、大和国、紀伊国を掌握して天下人となることができました。次に天下人となったのが信長ですが、信長は三好長慶のやり方をよく学んで自分の施策にいかしています。

高安駅の近隣案内で「教興寺」があるというのは知っていたのですが、今日初めて出かけてみました。外環状線まで出ると、「教興寺」という案内が出ています。ここらいったいが「教興寺」と呼ばれる土地で、ずっと山へ向かっていくと大きなお寺の屋根が見えてきました。あれかなと思ったら、天理教の教会でした。天理教を過ぎたところに小さな山門を見つけ、そこに「教興寺」と書かれていました。

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聖徳太子が物部守屋との戦いを祈願するために建立したという四天王寺のような謂れがある寺で、「教興寺の戦い」で焼失した後、再建されましたがそれにしても小さな寺ですね。寺には池があって「湯川直光公勇戦の地」という碑が建っています。

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誰だ?湯川 直光ってと調べたら畠山側で戦った紀伊国亀山城の城主ですね。雑賀衆と共に戦ったいましたが、この地で戦死したそうです。

最近、歴女が流行っていますが、さすがにこんなマイナーな戦国武将は範囲外でしょうね。高安あたりは、すぐ近くには楠木正成の右腕として戦った恩智左近の恩智城跡もあり、物部守屋が蘇我&聖徳太子と戦った場所もすぐ近くで、昔からずっと戦の場所になった土地なんですね。

誘惑と葛藤

今日は梅田でお仕事。行きは御堂筋線を使いましたが、帰りは上六(上本町六丁目)でマネケンを買おうと谷町線にしました。

しかし梅田の地下街って誘惑が多いんですね。谷町線に向かう両側に立ち飲み屋などが並んでいます。夕方ともなると、人で混んでいるんですが不況の影響か、けっこう空間が空いています。こりゃ、すっと入れるじゃないと思ったのですが、我慢、我慢。

でも谷町線に乗っている間に生ビールがちらつきますなあ(笑)
結局、上六の地下街にある居酒屋にちょっと入って気がついたらビールと焼酎を頼んでりました。今日みたいに蒸し暑い日にはたまりませんねえ!と言いましても店にいる時間は20分ほど。同じような連中が多く、アテも1品か2品仕方飲んでいませんので皆さん会計して出ていく時は1000円ぐらいです。よく考えるととっても回転率のよい商売ですね。

マネケンは忘れずに買って帰りました。