凍れる音楽 薬師寺

法事で西ノ京へ
西ノ京からずっと東へ行くと大池というところがあります。 よく池の向こうに薬師寺の塔が見え、さらに若草山の山焼きがバックになっている写真がありますが、これはこの大池から撮られた写真です。確かに薬師寺の向こうに若草山が見えます。
さて法事が終わり、時間があったので薬師寺へ。 西ノ京は奥さんの実家がある関係からよく来ておりますが、薬師寺へ入るのはほんまに久しぶりですね。 八幡さんの方から中門を通って入ると、まずフェノロサが「凍れる音楽」と表現した東塔が見えます。
昔はこの東塔がポツンと建っていた寺でしたが、白鳳時代の伽藍復興ということで中門、金堂、西塔、講堂、回廊と次々に出来上がり、昔の面影はどこにもありませんね。

祇園祭 宵宵宮へ

今日も台風で一日荒れていると思ったら、夜に台風は過ぎさったようで朝には曇りになっていました。
これはラッキーと思い祇園祭の宵宵宮へ 地下鉄で四条烏丸へ出て、まずは白楽天山へ。観光客もあまりおらず、すいていました。鉾の間もスイスイ通れます。岩戸山、綾傘鉾、蟷螂山、北観音山、南観音山、放下鉾などを廻り、さすがに夕方になると人が多くなってきました。
コンコンチキチン、久しぶりに祇園囃子を生で聞きました。

大入道

昼から四日市へ出てIT窓口相談
今日のお昼は若鯱亭(チェーン店)のカレーうどん定食、ここのカレーうどんはちょっとクセになる味ですね。
四日市駅前の諏訪商店街の中にちょうど昔の東海道が走っており、そこに首が伸びたり縮んだりする大きな人形が置いてありました。 この人形はすぐ近くに諏訪神社があり、ここの祭礼が四日市祭で使われています。
四日市祭では京都の祇園祭のように各町内から山車が出ますが、この人形は中納屋町の「大入道」です。山車が動きながら首が伸びたり縮んだりします。他にも鯨船やカラクリなど と言いながら、まだ四日市祭を見たことがないんです(笑)

岩田の戦いで亡くなった北畠満雅(津市)

津は朝からずっと雨ですね。
実家のすぐ近くですが阿漕駅(津市)近くに「北畠満雅卿忠烈遺跡」と書かれた石柱があります。この一帯で南北朝の戦いが行われました。石柱の横には祠もありますが、そんなことがあったとは知らない人がほとんどでしょうね。
昔、日本史で習いましたが北朝方が「両統迭立」を提唱して南朝方と和解します。まあ南朝方がうぶいといいますか、結局は北朝方にだまされます。怒った伊勢国司・北畠満雅が南朝最後の天皇・後亀山上皇とその皇子を奉じて挙兵します。初戦で北畠方は破れ、阿坂城に籠城、結局包囲した足利軍と和議になりました。
和議の条件は次こそ南朝から天皇を出すという誓約でしたが、これも反故に。ほんまに甘いですね。そこで北畠満雅は再度挙兵をします。津に百五銀行本店がありますがその横を流れるのが岩田川です。この岩田川で北朝方と決戦となりました。(岩田の戦い)。結局、北畠満雅は壮絶な敗死を遂げ、これが南朝最後の大きな戦いとなりました。津は結城神社(結城宗弘)など南朝ゆかりの土地ですね。

七夕飾り

津市の中心市街地である丸の内を歩いていると、七夕の飾り付けがずらっと並んでいました。なかなか壮観ですね。
このあたりはちょうど藤堂藩の藩校である有造館があったところです。今は建物はなく津城の公園に有造館の門【入徳門】だけが現存しています。また昔はジャスコがあり、よく買物に行きましたが、これもなくなってしまい今は駐車場になっています。

夏越の祓(なごしのはらえ)

今日は津市内の企業まわり。
津城近くにある藤堂高虎をまつる高山神社へ行くと、境内に茅の輪がありました。1日早いのですが、さっそく潜って夏越の祓を。これで無病息災です。
さて用事が終わり昼飯を食べようと塔世橋近くにあるエベレストというお店へ。ここはインド・ネパール料理で、前から気になっていましたが初めて入った店です。
ランチメニューはいろいろありAセット(チキンカレー、サラダ、ナン)が850円でしたので頼みましたが、出てきたナンが大きい。通常の2倍はありますね。小さな店に店員は3名。皆、インド人のようです。

東紀州の相賀へ

朝、東大阪から津の三重県産業支援センターへ移動。支援センターの机の上にたまった書類をかたずけてから9時過ぎに担当者と出発。
目指すは尾鷲の手前にある相賀という場所です。車でひたすら峠を越えながら片道3時間かかります。東紀州は遠いな~あ。
要件は専門家派遣事業の申し込みがあった企業への事前ヒアリングです。先週、尾鷲で相談にのった企業で専門家派遣をすすめた先です。相賀は2004年台風の豪雨(津も大雨になりました)で大きな被害を受けた町で、この企業でも腰まで浸水となり、再操業するのに1ケ月以上かかったそうです。

醍醐へ

今日の大学でのお昼はテイクアウトのカツカレー(320円) うーん、我ながらカロリーが多いものを! そこで運動しようと講義後に大学から奈良街道を30分ほど歩いて醍醐へ
途中、住宅街に醍醐天皇陵がありました。これが丸い天皇陵でしてなかなか風情があります。さらに進むと朱雀天皇陵がありました。ここらへん天皇陵が固まっているんですね。
日差しが強い中、歩いている酔狂な人間はいないせいか醍醐寺の金堂へ行くと観光客は誰もいません。燈篭を掃除している坊さん一人だけで、とりあえず金堂の中に 。全部のふすまが開けられて仏像の前のタタミに座ると涼しいですね。極楽、極楽。さすがに三宝院に行くと観光客がたくさんいて有名な庭を眺めていました。 名石で名高い藤戸石って、三宝院の庭にあったんですね。

西大寺へ

昨日、雨の中を西大寺へ行ってきました。
しょっちゅう近鉄・西大寺で乗り換えていますが、西大寺そのものに行ったのは、これで2回目です。以前に行ったのは確か学生時代ですね。場所は西大寺駅のすぐ近くなんですが、観光客もあまりいませんね。
西大寺は765年、称徳天皇が四天王の造立したのが最初です。ちょうど「恵美押勝の乱」が起きた時で、聖徳太子の四天王寺建立の故事にあやかったのかもしれません。 西大寺と言うぐらいなので東大寺にはりあって造られました。大伽藍でしたが兵火に焼かれたりで、現在はだいぶ小さくなり江戸時代の伽藍になっています。
本堂がいいですね。本堂を取り巻く金属製の灯籠に明かりが入っていて、光の宮殿みたいになっています。以前に来た時はなかったですね。 寺の真ん中には創建時の七重塔の礎石が残っています。

坂上田村麻呂の墓

京都橘大学へ
今日は学生ではなく現役看護士さん向けの講義です。認定看護師教育課程という6ケ月コースで講義の内容はもちろん情報処理です。これしか教えられませんので(笑)
昼過ぎに講義が終わりましたので、大学の最寄り駅の椥辻駅近くにある坂上田村麻呂のお墓に寄ってきました。そう日本史で勉強したあの蝦夷と戦った征夷大将軍です。ただし、このお墓はニセモノで、今日の朝刊によると、ここから2kmほど離れた西野山古墓に確定したそうです。
坂上田村麻呂の墓ですが円墳のような形状で、ニセモノだとしたら、わざわざこんなものを作ったんですかねえ。