年齢判定ソフトによると52歳

雨の中、南港にあるインテックス大阪へ。
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本日は組込みソフトの展示会があり行ってきました。会場のブースの一つに年齢判定ソフトがありました。カメラを使った画像認識で何歳の男性、女性か判定し、何名通ったかカウントできるシステムです。

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カメラの前に立っていると、画面横に顔写真が出て52歳と出ました。実年齢とそれほど違わず、なかなか正確です。昨日、「水谷さんってもうじき 60ですか」と言われたので人間よりソフトの方が優秀ですなあ。まあソフトなんで判定した年齢からマイナスするような仕組みになっているかもしれませんが(笑)

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帰りにATC(アジアトレードセンター)へ寄ってきました。あいかわらず閑散としていますが、フェリー乗り場が出来ているんですねえ。サンフラワー号が停泊していました。

カーニバルプラザ

近鉄電車で生駒から上六に向かう途中、外環を渡る高架から近鉄ハーツが見えます。3月末に閉館しましたが、今日見たらほとんど更地になっていました。

近鉄が複数のディスカウント系専門店を集めて作ったパワーセンターで、最初の専門店の中にカーニバルプラザというシーフードを出す店がありました。店の中にメリーゴーランドがある変わった店で、子供が小さい頃はよく行きました。誕生日だと花火付きのケーキが出て、店員全員が歌ってくれるサービスがありました。これが目当てで子供の誕生日前後にはよく行きましたね。

このカーニバルプラザと一緒かどうか知りませんが、80年代、梅田にカーニバルプラザという同じ名前の店があり、しゃれた居酒屋でした。飲んだり食べたりしていると突然、店員が集まって、オペラのような歌が始まります。皆、声楽関係なのか本格的でしたねえ。なんとも変わった雰囲気のお店で好きだったのですが、このお店もなくなってしまいましたねえ。

昼から立ち飲み屋へ

LEC梅田本校で経営情報システムの講座。今年度・受験生向けの直前講座です。本試験まであと2ケ月なんですね。さて朝からウメチカを歩いていると立ち飲み屋さんは既に開店済。しかもお客さんが朝から入っています。いいなと思いながら仕事なので店の前をそのまま素通り。

さて講座を行い、昼過ぎに終わったので、昼飯を食べにウメチカの立ち飲み屋さんへ。もちろん串カツやらキャベツを生ビール付きで食べる昼飯です。(笑)おいしかった。

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そのまま谷五(谷町五丁目)へ出て、大阪古書会館で月に一回「たにまち古書即売会」を開催しているので、のぞいてきました。

さあて明日の準備をしないと!原稿も書かないといけないのですが、目の前にお酒のグラスがあるのは何でだろう?

一休寺

午前は京都橘大学でWOC認定看護師の講座

現役看護師のお姉様方がほとんどですが、男性の看護師さんが2名混じっています。ITスキルは皆さんバラバラで、なかなか大変な講義です。

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今日も昼から予定をいれていなかったので、京都駅で乗り換えて近鉄で新田辺駅へ。このあたりは京都の南に、京田辺市で同社大学のキャンパスがあることで有名です。近鉄の新田辺駅からすこし歩くと、すぐにJR京田辺駅です。この駅近くに山城地域ビジネスセンターが京田辺市商工会館にあり、知り合いの経営指導員がいるので寄ってきました。
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商工会館から歩いて一休寺へ。トンチで有名なあの一休さんの寺です。木曜の午後、京都市内にある寺はありませんので、参拝者は3組だけでした。枯山水など見どころが多いですね。
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境内には一休さんの墓もありますが小松天皇の王子でしたので、廟所は宮内庁の管轄になっています。つまり天皇陵と同じ扱いになっています。境内には小さな橋があったのですがご丁寧に「このはしわたるな」と看板がかかっていました。もちろん真ん中を歩きました。

澪標(みおつくし)

大阪市のシンボルマークになっているのが澪標(みおつくし)。南港にもありました。

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江戸時代、河村瑞賢によって開削された安治川を通って、大阪へ物資が運ばれました。入口となる天保山や水深の深い安全な水路に澪標が建てられていましたが、歴史は古く平安時代以前からこの形だったようです。

当時の物流は船が中心で、関西から江戸へ物資が運ばれました。これが「下りもの」です。初荷となる綿と酒は番船というレースが行われていました。安治川の会所で「送り切手」という参加証を受け取り、小船で外で待っている菱垣廻船に乗り込みスピードを競います。江戸まで最短で50時間で着いたそうです。

月曜、雨の平城京

姫路で大雨だそうで、朝JRが20分ほど遅れていました。いつもの時間に大阪駅に着くとちょうど遅れた新快速が着きましたので、実際はオンタイム。京都へ出て、大学での講義の後、近鉄で西大寺へ。

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雨が降るしかも月曜日。さすがに平城京はすいているだろうと思い西大寺へ。西大寺からジャスコ方面にまわって北側から平城京へ、ルートにあまりのっていませんが平城宮跡資料館に一番近い道です。やっぱり遺構展示館、東院庭園には、ほとんど人はいませんでした。さすがに大極殿と朱雀門あたりは人出がありました。

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遺構展示館は久しく行かなかったのですあ、展示物はけっこう変わっていました。木簡を見るのが好きで、今回も面白いものがありました。役所に借金した借用書で裏にはご丁寧に保証人の裏書があり、今も昔も変わりませんね。そうそう長屋王の名前が入った木簡もありました。

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平城京の東院庭園に目の前にイトーヨーカー堂が見えるのですが、元は奈良そごう。長屋王の邸宅の上に建てたので、そごうがつぶれたのは長屋王の呪いだろうと言われましたが、さもありなん。

よく歩いたのでビールがうまい!

相賀へ

大阪から近鉄で松阪へ出て、JRに乗り換えて一つ手前の相賀へ。峠とお茶畑が拡がる車窓を見ながら、ようやく到着。なんせ各駅停車しか止まらない駅ですので時間がかかります。
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まあ、せっかく相賀まで来ているのでお昼は刺身です。地元の人に連れていってもらったのですが「ここはうまいよ」と最初に行ったお寿司屋さんは定休日。少し離れたお店へ、でもここの刺身もおいしかった。

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ホームページや検索エンジンなどについてのセミナーなどをして、またのんびり列車に揺られて帰ってきました。

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石川年足の墓誌

今日は大阪でお仕事。
お仕事の後、堺筋本町の大阪産業創造館へ。6月23日(水)に知的生産の技術研究会・関西セミナーを開催するので、その会場申込。

そのまま谷四まで歩いて、久しぶりに大阪歴史博物館へ。展示のスタートは10階で、難波京の大極殿からです。ここのイベントがけっこう好きです。

大極殿の柱の中で唐、新羅、日本へと流れる映像が流れます。やがてCGの難波京の大極殿が映り、朝庭にいならぶ官僚にむかい橘諸兄が難波京を都にする宣告をします。そうすると暗かった大極殿の扉が開き、見下ろすと現在の難波京が映ります。都会のど真ん中によくこんな遺跡が残っていました。
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また大阪歴史博物館周辺には大きな倉庫が並んでいて、復元されています。さて展示内容ですが、古代はけっこう新しい展示に変わっていました。また「遺跡から見た奈良時代の大阪」という特集展示をやっていて、高槻で発掘された石川年足墓誌(国宝)が展示されていました。

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この石川年足って、蘇我一族です。
蘇我馬子-蘇我倉麻呂-蘇我連子-蘇我安麻呂-石川石足-石川年足
となっていて、藤原仲麻呂や道鏡の時代に活躍した人物です。

電車の鳩で大騒ぎ

鳥羽から志摩方面に入って志摩磯部駅へ。

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志摩磯部駅は以前は志摩スペイン村の玄関駅でしたが、今は少し先の鵜方駅に移ったので、だいぶ寂れています。駅舎はスペイン風に作ったのですが人がいませんね。エレベーターも止まっていました。駅の周りには田園が拡がっています。

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さて企業訪問が終わって志摩磯部駅から普通で鳥羽へ出て、宇治山田駅で急行に乗り換え。宇治山田駅の次の伊勢駅から鳩が乗り込んできました。次の停車駅は松阪ですので、けっこう時間があります。鳩が外へ出ようと車内を飛び回るので、大変な騒ぎに。車掌もやってきて、鳩の捕獲に乗りだします。ようやく乗客の一人が飛び回る鳩をつかまえて窓から出しました。拍手が起こっていました(笑)

すっかり田植えが終わった三重の田んぼ

朝、大阪から三重へ移動。

近鉄で大阪から奈良を通り伊賀をぬけて津へむかいます。伊賀は盆地のため平野に比べると温度が低いこともあり少し田植えが遅くなります。ですが、ゴールデンウィーク中にはほとんど終わってしまいます。

早場米の産地ですので奈良なんかよりは1ケ月早いですね。和歌山との県境の紀宝町は超早場米で、田植えは3月末に行っています。

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写真の田んぼは伊賀上津駅(いがこうづ)近くにある大阪天満宮の田んぼです。神社に備えるお米を作るのでしょうが、なぜ伊賀なんでしょうね。