夏越の祓(なごしのはらえ)

今日は津市内の企業まわり。
津城近くにある藤堂高虎をまつる高山神社へ行くと、境内に茅の輪がありました。1日早いのですが、さっそく潜って夏越の祓を。これで無病息災です。
さて用事が終わり昼飯を食べようと塔世橋近くにあるエベレストというお店へ。ここはインド・ネパール料理で、前から気になっていましたが初めて入った店です。
ランチメニューはいろいろありAセット(チキンカレー、サラダ、ナン)が850円でしたので頼みましたが、出てきたナンが大きい。通常の2倍はありますね。小さな店に店員は3名。皆、インド人のようです。

東紀州の相賀へ

朝、東大阪から津の三重県産業支援センターへ移動。支援センターの机の上にたまった書類をかたずけてから9時過ぎに担当者と出発。
目指すは尾鷲の手前にある相賀という場所です。車でひたすら峠を越えながら片道3時間かかります。東紀州は遠いな~あ。
要件は専門家派遣事業の申し込みがあった企業への事前ヒアリングです。先週、尾鷲で相談にのった企業で専門家派遣をすすめた先です。相賀は2004年台風の豪雨(津も大雨になりました)で大きな被害を受けた町で、この企業でも腰まで浸水となり、再操業するのに1ケ月以上かかったそうです。

醍醐へ

今日の大学でのお昼はテイクアウトのカツカレー(320円) うーん、我ながらカロリーが多いものを! そこで運動しようと講義後に大学から奈良街道を30分ほど歩いて醍醐へ
途中、住宅街に醍醐天皇陵がありました。これが丸い天皇陵でしてなかなか風情があります。さらに進むと朱雀天皇陵がありました。ここらへん天皇陵が固まっているんですね。
日差しが強い中、歩いている酔狂な人間はいないせいか醍醐寺の金堂へ行くと観光客は誰もいません。燈篭を掃除している坊さん一人だけで、とりあえず金堂の中に 。全部のふすまが開けられて仏像の前のタタミに座ると涼しいですね。極楽、極楽。さすがに三宝院に行くと観光客がたくさんいて有名な庭を眺めていました。 名石で名高い藤戸石って、三宝院の庭にあったんですね。

西大寺へ

昨日、雨の中を西大寺へ行ってきました。
しょっちゅう近鉄・西大寺で乗り換えていますが、西大寺そのものに行ったのは、これで2回目です。以前に行ったのは確か学生時代ですね。場所は西大寺駅のすぐ近くなんですが、観光客もあまりいませんね。
西大寺は765年、称徳天皇が四天王の造立したのが最初です。ちょうど「恵美押勝の乱」が起きた時で、聖徳太子の四天王寺建立の故事にあやかったのかもしれません。 西大寺と言うぐらいなので東大寺にはりあって造られました。大伽藍でしたが兵火に焼かれたりで、現在はだいぶ小さくなり江戸時代の伽藍になっています。
本堂がいいですね。本堂を取り巻く金属製の灯籠に明かりが入っていて、光の宮殿みたいになっています。以前に来た時はなかったですね。 寺の真ん中には創建時の七重塔の礎石が残っています。

坂上田村麻呂の墓

京都橘大学へ
今日は学生ではなく現役看護士さん向けの講義です。認定看護師教育課程という6ケ月コースで講義の内容はもちろん情報処理です。これしか教えられませんので(笑)
昼過ぎに講義が終わりましたので、大学の最寄り駅の椥辻駅近くにある坂上田村麻呂のお墓に寄ってきました。そう日本史で勉強したあの蝦夷と戦った征夷大将軍です。ただし、このお墓はニセモノで、今日の朝刊によると、ここから2kmほど離れた西野山古墓に確定したそうです。
坂上田村麻呂の墓ですが円墳のような形状で、ニセモノだとしたら、わざわざこんなものを作ったんですかねえ。

誘惑が多い梅田の魔界

今日は大阪の梅田で仕事
お昼は梅田地下街のドトールコーヒーでコーヒーとジャーマンドッグを資料を見ながら食べることに
梅田地下街というのは不思議な空間で、おしゃれな店の隣に立ち飲み屋があったりします。それもけっこうな立ち飲み屋があり、串かつや生ビールの魅惑的な文字がそこら辺にあふれています!本当に目の毒です。
誘惑に負けず一路、仕事先へ出かけるのでした。もちろん帰りもまっすぐ帰ってきましたよ!

伊勢のお木曳

今日は伊勢商工会議所でIT窓口相談
昼休み伊勢神宮の外宮へ出かけてみました。ちょうど遷宮に向けてお木曳が行われています。 境内には白い装束の神領民の皆さんがたくさん参拝されていて、お木曳自体は終わった後でした。外宮入口には各町の旗がはためいています。
遷宮は平成25年ですが、平成17年の山口祭からいろいろなお祭りが行われています。

名古屋 伏見の大甚へ

知り合いが東京から名古屋へ長期出張しており津から「快速みえ」に乗って名古屋へ
待ち合わせ場所は伏見駅7番出口をあがったところにある大甚本店です。新橋駅のガード下の雰囲気で、酒は店員に頼めますが、酒のアテは自分でセルフサービスで取るという変わったお店。
アテはいわゆるオバンザイで油物はなし。メタボリックには最適ですなあ!!と言いながら賀茂泉をけっこう飲んでいました。
ネットで調べると大甚って明治40年創業の超老舗の大衆酒場なんですね。

壬申の乱

今日は奈良の八木駅経由で三重の桔梗が丘にある企業さんへIT相談に行ってきました。
八木駅からのんびり近鉄の各駅停車に乗って行きましたが、この近鉄のコースってちょうど大海人皇子が吉野を脱出して東へ向かったコースに重なります。
大海人皇子が吉野を出たのが672年6月24日。
大宇陀を抜けて榛原駅(菟田郡家)に着き、ここから現在の近鉄線に重なります。
榛原駅の次の室生口大野駅(大野)へ着いた頃には日が暮れてしまいました。先を急いでいる大海人皇子一行はそのまま三本松、赤目口を抜けて名張駅(隠郡)へ、着いたのは真夜中でした。ここから近鉄を離れて伊賀へ向かいます。着いたのは25日の夜明けでした。
今でしたら八木駅から名張駅って各駅停車でも30分ほどで着きますが、当時は大変だったでしょうねえ。

伊勢神宮(外宮)に神の通る道を発見!

今日は伊勢商工会議所でIT相談。
お昼、少し時間があったので外宮へお参りに。いつもは伊勢市駅から外宮へ行くのですが、先に月読宮をお参りにしてから行くことにしました。
月読宮をお参りして出ると、目の前の道に外宮への案内が、こんなことろから行けるんだとまっすぐな道を歩いていくと、これが「神路道」でした。
途中に案内があり、案内を読むと神路道とは豊受神社(外宮)から月読宮への神さんの通り道だそうです。道路の真ん中が石畳で、ここは歩いたらいけないという決まりになっています。
ずっと端っこを歩いたので大丈夫です。(笑) 神路道をまっすぐ歩くと外宮の鳥居に着きました。つまり月読宮の鳥居と外宮の鳥居が神路道をはさんで向かい合っているんですね。長らく三重におりますが、初めて知りました。(笑) 皆さんも伊勢へお参りするのなら、ぜひ月読宮から神路道を通ってみてください。