大阪から近鉄で松阪へ出て、JRに乗り換えて一つ手前の相賀へ。峠とお茶畑が拡がる車窓を見ながら、ようやく到着。なんせ各駅停車しか止まらない駅ですので時間がかかります。

まあ、せっかく相賀まで来ているのでお昼は刺身です。地元の人に連れていってもらったのですが「ここはうまいよ」と最初に行ったお寿司屋さんは定休日。少し離れたお店へ、でもここの刺身もおいしかった。

ホームページや検索エンジンなどについてのセミナーなどをして、またのんびり列車に揺られて帰ってきました。

大阪から近鉄で松阪へ出て、JRに乗り換えて一つ手前の相賀へ。峠とお茶畑が拡がる車窓を見ながら、ようやく到着。なんせ各駅停車しか止まらない駅ですので時間がかかります。

まあ、せっかく相賀まで来ているのでお昼は刺身です。地元の人に連れていってもらったのですが「ここはうまいよ」と最初に行ったお寿司屋さんは定休日。少し離れたお店へ、でもここの刺身もおいしかった。

ホームページや検索エンジンなどについてのセミナーなどをして、またのんびり列車に揺られて帰ってきました。

今日は大阪でお仕事。
お仕事の後、堺筋本町の大阪産業創造館へ。6月23日(水)に知的生産の技術研究会・関西セミナーを開催するので、その会場申込。
そのまま谷四まで歩いて、久しぶりに大阪歴史博物館へ。展示のスタートは10階で、難波京の大極殿からです。ここのイベントがけっこう好きです。
大極殿の柱の中で唐、新羅、日本へと流れる映像が流れます。やがてCGの難波京の大極殿が映り、朝庭にいならぶ官僚にむかい橘諸兄が難波京を都にする宣告をします。そうすると暗かった大極殿の扉が開き、見下ろすと現在の難波京が映ります。都会のど真ん中によくこんな遺跡が残っていました。

また大阪歴史博物館周辺には大きな倉庫が並んでいて、復元されています。さて展示内容ですが、古代はけっこう新しい展示に変わっていました。また「遺跡から見た奈良時代の大阪」という特集展示をやっていて、高槻で発掘された石川年足墓誌(国宝)が展示されていました。

この石川年足って、蘇我一族です。
蘇我馬子-蘇我倉麻呂-蘇我連子-蘇我安麻呂-石川石足-石川年足
となっていて、藤原仲麻呂や道鏡の時代に活躍した人物です。
鳥羽から志摩方面に入って志摩磯部駅へ。

志摩磯部駅は以前は志摩スペイン村の玄関駅でしたが、今は少し先の鵜方駅に移ったので、だいぶ寂れています。駅舎はスペイン風に作ったのですが人がいませんね。エレベーターも止まっていました。駅の周りには田園が拡がっています。

さて企業訪問が終わって志摩磯部駅から普通で鳥羽へ出て、宇治山田駅で急行に乗り換え。宇治山田駅の次の伊勢駅から鳩が乗り込んできました。次の停車駅は松阪ですので、けっこう時間があります。鳩が外へ出ようと車内を飛び回るので、大変な騒ぎに。車掌もやってきて、鳩の捕獲に乗りだします。ようやく乗客の一人が飛び回る鳩をつかまえて窓から出しました。拍手が起こっていました(笑)
朝、大阪から三重へ移動。
近鉄で大阪から奈良を通り伊賀をぬけて津へむかいます。伊賀は盆地のため平野に比べると温度が低いこともあり少し田植えが遅くなります。ですが、ゴールデンウィーク中にはほとんど終わってしまいます。
早場米の産地ですので奈良なんかよりは1ケ月早いですね。和歌山との県境の紀宝町は超早場米で、田植えは3月末に行っています。

写真の田んぼは伊賀上津駅(いがこうづ)近くにある大阪天満宮の田んぼです。神社に備えるお米を作るのでしょうが、なぜ伊賀なんでしょうね。
安岡正篤って、ご存知ですか?

多くの政治家や財界人の精神的指導者で、吉田茂、池田勇人、佐藤栄作、福田赳夫、大平正芳などが薫陶をうけていました。今、我々が使っている「平成」の元号の発案者でもありますし、もっと前には玉音放送の原案を起草したのが安岡正篤です。

大阪生まれで、小さい時に住んでいたのが東大阪の善根寺。今もその家は残っています。自転車で15分ほどのところですので、行ってみました。って、中には入れません。
東大阪の旭町図書館には司馬遼太郎コーナーに並んで安岡正篤コーナーがあります。
松阪から国道42号線をずっと尾鷲へ向かう途中にあるのが三瀬谷です。

こんな山間にある企業さんへ行っておりました。会議室からは日本一の清流・宮川が見えています。この川がずっと伊勢まで続いて伊勢神宮・外宮の禊川となります。なんとも風光明美なところですね。
川に向かって木が生えているところに小さな石があって、宮川の対岸から逃げてきた平家がここで切られたんだそうで、こんなところまで平家伝説が残っているんですね。
まあ平清盛のお父さんの忠盛は津市が出身地で、伊勢の国は平家の本拠地ですので、まあありそうな話ですね。
四天王寺の境内を出て谷町通りを歩いていたら金剛組の看板を発見。
これが金剛組かあ!と思わず入口の写真を撮りました。(笑)

金剛組とは皆さん、よくご存じの世界一古い会社です。創業は578年。奈良で平城京遷都1300年をやっていますが、それよりも古く飛鳥に都があった敏達天皇時代です。
聖徳太子が百済から3人の宮大工を招いた一人が金剛さんで、この人が創業者になります。四天王寺や法隆寺を作りました。現在まで脈々と続き、宮大工専門の建設業です。

日本は老舗企業の多い国で創業200年以上の企業が世界に7,200社ほどありますが、43%を日本の企業が占めています。また1000年以上続く企業が19社あります。
三重に漢方薬を作っている会社があるのですが、創業を聞いてみたら1570年でした。信長が姉川の戦いをしている年です。これでも440年前で金剛組に比べたらまだまだですねえ。
今日は暑かったですね。
近鉄電車もさすがに冷房が入っていました。車窓から見ているとそこかしこで田植えをしておりました。三重県は早場米の産地でゴールデンウィーク前に植えて、お盆前には収穫しています。
和歌山との県境に近い紀宝町は、超早場米で、3月後半には田植えが終わっています。あんまり早いと季節感がないですねえ。
枚岡神社へはまあまあ行っているのですが、石切さんは、ほとんど行きません。久しぶりに出かけてきました。

と言っても、歩いて15分ぐらいのところです。まずは石切神社にお参り。石切神社はデンボの神様として有名なんですが、もともとは物部氏の神さんです。この東大阪から八尾の一帯は物部氏の土地だったので、物部の神社が多いですね。

枚岡神社は閑散としていますが、石切さんはいつも賑わっています。特に境内でお百度参りする人が多く、今日も50人ぐらいがグルグルまわっていました。平日もお参りが多いですね。さて、神社から近鉄石切駅にかけて上り坂になっていますが、この参道がけっこう変わった商店街になっています。特に多いのが占いの館。軽く30以上はあります。中には占いの長屋タイプになっているところもあるので、100以上はあるんでしょうね。これで商売として成り立っているようなので、おそるべし石切さんです。
また日本で三番目の石切大仏や水かけ不動やら、他にもわけのわからないパワースポットが並んでいます。まあ、大阪でもかなり変わった場所です。

さてこの石切参道商店街にゆるきゃら「いしきりん」が誕生しているのですが、商店街にはいなかったですね。東大阪市のアンテナショップの前にあった像の写真を撮ってきました。
ウチの奥さんから桜を見に行こうと申し出が。
最初は子供に言っていましたが、反応がないので、こちらへ。(笑)

仕事は明日にまわして、散歩につきあうことに。まずはずっと坂を上って近鉄額田駅へ

ここから枚岡公園まで桜並木が続くのですが、さすがに桜の盛はすぎておりました。枚岡公園から少し登りましたが、上の方の桜も、半分ほど散っていました。あきらめて山を下り、河内一宮の枚岡神社へ。

境内の奥に入ると八重桜があり、ちょうどよいぐらい咲き具合でした。境内にはしだれ桜もあり、ちょっと遅めの花見。酒も飲まずに本当に散歩だけでした。