企業相談で伊勢へ
伊勢の入口にあるのが宮川です。けっこう大きな川で伊勢へお参りに行くにはこの川を越えねばなりません。昔は渡しがありました。
伊勢へ行ったついでに新道商店街にある「いせTMO(伊勢タウンマネージメント協議会」へ寄ってきました。昔の商店街の話(新道商店街は元遊郭だったことなど)の他に、倭姫命の話題に。伊勢らしいですなあ(笑)
宮川の下流に磯町という町があるのですが、ここが倭姫命が伊勢神宮を決める前に巡行した伊蘇宮のあったところで、現在は磯神社が残っています。この神社に静の井戸というのがあり、静御前(義経の奥さん)が生まれたという伝承があるそうです。本当かいな?
もう一つ聞いた話が磯町と御園町が飛び地のように宮川の両側にあります。これは江戸時代の地震の影響で現在の宮川ができて町が切り裂かれたからなんだそうです。本当かいな?
カテゴリー: 地域の話題
藤堂高虎入府400年(津市)
藤堂高虎が津に入府して来年で400年になります。
津の百貨店、松菱へ行くと手作りで作られた高虎の甲冑が展示されていました。遠くからもはっきりわかる兜ですね。
「武士たるもの七度主君を変えねば武士とは言えぬ」藤堂高虎の言葉が残っていますが、今の外資系ビジネスマンのようなバリバリの人物だったのでしょうね。義理人情に厚かったようで関ヶ原合戦の後に捕まった石田三成に他の武将が罵声を浴びせる中、勝負は時の運と陣羽織をかけた話が残っています。また「出世払い」という言葉は高虎が語源です。
■出世払い
藤堂高虎が浪人していた頃、吉田(豊橋市)あたりを放浪していた時に餅屋で無銭飲食してしまいましたが、店主に旅費までめぐんでもらい助けてもら いました。後に津藩の藩主となり江戸に向かう途中、この餅屋で行列を止め、お礼をして家臣一同に餅をふるまったそうで、これが「出世払い」の語源になりました。
■上野は伊賀上野が語源
東京の上野はもともとは忍岡と言っておりましたが、伊賀と伊勢の藩主である藤堂藩の藩屋敷があり伊賀上野の丘によく似ていることから上野の地名がついたそうです。
■東郷平八郎と連合艦隊が津へ
日露戦争の日本海海戦の後に津へ寄ったという話があり、最初は海軍のあった佐賀の三重津造船所と思っていたのですが、津だったんですね。
1905年10月13日に東郷平八郎が連合艦隊を率いて津を訪れています。これは藤堂高虎を崇拝する東郷平八郎が水軍司令で有名な高虎が津へ入府する故事を再現したパフォーマンスだったそうです。また伊勢神宮に戦勝報告したそうです。
水入りとなった薪能
昨晩、近くの枚岡神社で行われた薪能へ
観阿弥は伊賀上野出身というのは知っていたのですが、観阿弥の母親が、このあたりの出身でどうも楠木正成の姉妹だったようですね。そんな縁もあり、枚岡神社で毎年、薪能が開催されています。
さてまず最初に狂言です。「名取川」の狂言が終わったところで雨が降ってきました。
衣装を濡らすわけにはいかないと、外での興行は中止になりました。ということで肝心の能は見ずじまい。外での興行ですので、いろいろとハプニングがありますな
早々に終わってしまったので瓢箪山にある「おでん屋」さんに皆で出かけて酒盛りに(笑)
お城に一番近い花屋さん
お城と言っても津城なのですが(笑)
国道23号線から津城に入る角(津商工会議所への道)に花屋さんができました。この3月まで三重県産業支援センターに業務補助で来ていた女性で、まだできたばっかりです。
三重県産業支援センターでは経営支援チームのホームページ作りなどを担当しておりネットにも強く、いなくなった途端に雑用などがこっちへ回ってきています。困ったものだ。(笑)
さて本職は庭の設計ですので、津近辺でご用命があれば、ぜひお願いします。それにしても女性はほんまに元気ですね!
月・火は定休日です!
→ Tspace/
名古屋でテレビ・インタビュー
午前中から名古屋へ
新栄町にある「あいちベンチャーハウス」に寄ってから栄の方に歩いているとカメラを持ったCBC(中部日本放送)のクルーが寄ってきました。
「ちょっとインタビューさせてもらっていいですよ」
「かまいませんよ」(福田内閣についてのコメントかなあ?」)
「今日の天気いかがですか?」
「は~あ」
「いや、今日の天気なんですが」
「天気ですか、だいぶ涼しくなりましたな」
と適当に天気の話などを。後で聞いたら「えなりかずき」のローカル番組があるそうで、その取材だそうです。といっても適当に答えていたので、たぶん使われへんだろうなあ。
梅田へ
今日は梅田でお仕事
夕方、仕事が終わってから梅田の地下街を歩くと何軒もの立ち飲み屋さんに暖簾がかかっています。そのうちの何軒かは実は朝から暖簾がかかっているんですが(笑)
パッと生ビールでも飲みたいな~あ、という誘惑を振り切って帰ってきました。
床屋の前を通ると誰もおらず、即座に散髪してもらえることに。床屋の最後の客で、ビールを飲んでいたら時間的に間に合わなかったところでした。よかった、よかった。さあ、飲もうっと!
吉田松陰が泊まった立町
今日の夕方は立町商店街のお店の相談に
立町商店街は津の中心市街地にあり、近くには日本三大観音と言われる津観音があります。かっては商店街の道が東海道でした。
相談が終わって、実家に戻ってからZTV(ケーブルテレビ)を見ていたら「あのつアカデミー」と言うのをやっていました。「あのつ」とは安濃津のことで、津の古い名前です。
江戸時代の参宮街道についてのお話でしたが、藤堂高虎が伊賀から津まで整備した伊賀街道を通って吉田松陰が津へやってきました。目的は津の漢学者・斎藤拙堂に会うためで、それはけっこう有名な話なんですが、泊まった宿が、立町だったそうです。
立町は今は商店街になっていますが、江戸時代には旅籠が並んでいたんですねえ。郷土の事ながら知らなかったなあ。
ビックカメラJR京都駅前店に行ってきました
大学の帰りに京都駅前に8/23にオープンしたビックカメラに寄ってきました。オープンまもないせいもあり、平日なのにけっこう混んでいました。
場所は伊勢丹の隣でキャンパスプラザ京都の反対側です。7F建てですが、店内は思ったほど広くありません。
影響を受けるとすると近鉄百貨店の閉店に伴って八条口のアバンティに引っ越したソフマップでしょうか。しかしパソコンの品揃えはソフマップの方が上ですね。
ただ、交通の便はすごくよく、2階にJR京都駅に直結する改札がありました。改札口があるお店の中にある光景をはじめて見ました。
影清って、あの影清!
三重県産業支援センターのすぐ近くにある四天王寺(聖徳太子が建立したと言われ、境内には信長のお母さんのお墓があります。)に碑があるのを見つけました。
松のすぐ近くにある碑で「平影清鎧掛松」と書かれていました。影清ってあの落語に出てくる「影清」!
影清は盲目の人が願をかけて百日参詣することにより影清の目を神様からレンタルしてもらえるという話。平影清は平家が滅んで源氏が栄える世を見たくないと自らの目をえぐった武将ということ設定に落語ではなっています。
影清は伊勢平氏ですので、そら津に史跡があってもおかしくはないんですが
AllAbouにはちゃんと「落語」ガイドもいらっしゃるんですね!
紀伊長島で瞬停(瞬電)
今日は大阪から近鉄、JRを乗り継いで三重県の南の紀伊長島へ
松阪駅でJRに乗り換えたら関西線で故障があったそうで15分遅れで列車が入ってきました。結局、紀伊長島駅へは20分遅れで到着。
「まずいなあ、待ち合わせ時間を過ぎてしまったな」と駅から会社に向かって歩いていると、後ろから「水谷さん!」という声が。偶然社長の奥さんの車が通りかかったので、便乗させてもらいました。ラッキー。
午前中から夕方にかけて、経営についてのご相談。さて、そろそろ帰ろうかなと思うと窓の外に稲光が。
そのうち蛍光灯が一瞬消えて、またたきました。瞬停(瞬電)です。そしたら事務室で、「ワードで文章を入れていたのに!」と叫び声が。瞬停(瞬電)で、デスクトップが無常にも再起動になっていました。(笑)
帰るまでに4回ほど瞬停(瞬電)が起こりました。さすがに東紀州は雷もすさまじいですね。
結局、雨が続いていたので帰りは社長さんに駅まで送ってもらい多気経由でJRで帰ってきました。朝はあんなに晴れていたのに。
※紀伊長島は屋久島に次いで雨の多い尾鷲の隣です。