薬師寺は藤原京からの移築ではなかった

本薬師寺
本薬師寺

平城京跡で太政官跡(首相官邸のようなもの)とみられる建物の土台が見つかるなど考古学のニュースが届いています。藤原京跡では本薬師寺で東西幅約15メートルという巨大南門の跡が見つかりました。

本薬師寺は聖武天皇が奥さんの鵜野讚良(持統天皇)の病気平癒を願って作ったお寺で本尊は薬師如来です。本薬師寺の伽藍配置は西ノ京の薬師寺とまったく同じで藤原京から平城京へ遷都した時に西ノ京へ薬師寺を移築したという説があります。今回の発掘では2つの南門の構造が全然、違うことが分かり、西ノ京の薬師寺は移築ではなく新築説が有望になりそうです。当時、部材はよくリサイクルされており長岡京遷都の時は難波京の大極殿などが長岡京に移築されました。

本薬師寺は武士が台頭する11世紀頃までは存続したようですが、そのあとは廃れたようで金堂などの礎石だけ残っています。となると藤原京と平城京の2つで薬師寺を管理していたので経費がかかりますがお金はどうしたんだろう。本薬師寺は近鉄・畝傍御陵前駅から東に歩いた集落近くの田んぼにあり、少し南へ歩くと飛鳥です。

勧請縄

勧請縄
勧請縄

野洲駅近くの中山道沿いに背比べ地蔵があり、隣にあるのが行事神社です。中畑、行畑地区の総鎮守で、行事神社という名前がなぜついたかは不明です。

行事神社境内に変わった注連縄がかかっており、これが勧請吊り、勧請掛、勧請縄と呼ばれるもの。道切りともいいます。ムラの出入口や神社境内にかけて、異界(ムラの外)から災害や疫病が入ってこないようにするもので、いわゆるバリアですねえ。大和の田舎や伊賀などでも川によくかかっています。滋賀県の湖南・湖東地方にも勧請縄は多くあります。

この勧請縄の真ん中にトリクグラズと呼ばれる丸い輪がついています。なんでトリクグラズという名前なんでしょうかねえ。鳥居も結界の一つですからトリ+クグラズが語源かもしれません。このトリクグラズの左右に常緑樹を編んだ小勧請縄を平年は12本(閏年は13本)吊るします。

武家の信仰があつい勝部神社

勝部神社
勝部神社

■物部の神様
勝部神社(かつべじんじゃ)は守山・勝部の地にあり正式名称は物部郷総社・勝部神社で昔は物部神社と呼ばれていました。東大阪、八尾は物部の地で、物部守屋が蘇我馬子、聖徳太子連合軍に敗れたのが八尾ですが、近江も物部の地として有名です。守山には物部の地名そのものが残っていて、神武天皇よりも前にヤマト入りをした饒速日命が物部氏の祖先ですから、勝部神社は伊勢遺跡(近江の邪馬台国)のすぐ近くなので、当時から物部氏が在住していたかもしれません。

■武将に信仰された神社
勝部神社は大化5年(649年)に物部広国が祖神を祀ったのが起源と社伝に伝わっています。主祭神は天火明命(饒速日命)、宇麻志間知命、布津主神で物部の祖です。特に布津主神(ふつぬしのかみ)は霊剣を意味し武神です。物部といえば大伴と同様に武人一族として有名なため武家の信仰があつく、近江守護・佐々木六角氏が出陣する際は、勝部神社の竹を旗竿としました。

勝部神社近くにあったのが鈎の陣で、応仁の乱後、幕府をないがしろにする近江守護・佐々木六角氏に対して第9代将軍・足利義尚が近江に攻め込んだ時に本陣にしたところです。佐々木六角氏側についた甲賀忍者が攻め込むなど忍者が登場した最初の戦いとしても有名です。この時に勝部神社も戦火に巻き込まれて消失してしまいました。1497年に佐々木六角高頼が社殿を建て直し、現在の本殿(重要文化財)になっています。織田信長も勝部神社を保護し、近江八幡を開いた豊臣秀次も社領の寄進などをして保護しました。

邪馬台国の前にあった伊勢遺跡へ

伊勢遺跡
伊勢遺跡

考古学で超有名な伊勢遺跡へ出かけてきました。邪馬台国ができる直前にあった東海・近畿連合の拠点と言われている遺跡です。もちろん当時の遺構は残っておらず田んぼや住居の下に眠っていて国史跡となっています。

伊勢遺跡といっても三重ではなく滋賀県守山市にあります。遺構が見つかった伊勢町から名づけられました。伊勢遺跡は弥生時代後期としては、国内最大級の遺跡。環濠集落の中に吉野ケ里遺跡のような楼閣や王の建物があり、また遺跡から生活遺物がほとんど発見されておらず、ここが祭祀にまつわる特異な場所だったようです。

■円周状に配置された大使館
とっても不思議なのが楼閣などの祭祀空間があり、この空間を大型建物が同心円上に取り囲んでいます。こんな不思議な配置は国内では見つかっておらず、一説には円周状に配置された大型建物群は各クニからの大使がいた場所で、伊勢遺跡は古代の大使館群だったようです。生活遺物が残っていないのは政治・宗教都市だったからでしょう。

漢書地理志に倭国、分かれて百余国とありますが、魏志倭人伝には30余国へと集約され最終的には卑弥呼が選ばれ邪馬台国になります。伊勢遺跡の大使館は13ほどあったので近畿や東海の13ほどのクニが集まり、さらに九州、吉備などとも話し合って纏向遺跡(邪馬台国)を作り上げたのでしょう。要がなくなった伊勢遺跡は突然、消えてしまったようです。

阪急・上新庄

上新庄駅
上新庄駅

大阪府よろず支援拠点の出張相談で大阪シティ信用金庫・東淀川支店へ。最寄駅は阪急・上新庄駅になります。

昔懐かしい駅でして、大学を出て大阪のITベンダーに就職した時、友人の家が大阪経済大学近くで学生向けの下宿屋をしていたので、そこへ転がり込んでいました。通勤は上新庄駅から阪急です。梅田から十三、南方、崇禅寺、淡路、上新庄と5駅と便利でしたが朝の通勤電車に乗ると淡路駅前のカーブでいつも信号待ち。上新庄駅から乗るとカーブで傾いている方なので乗客の体重が全部かかってきて、なかなかにしんどかったですね。

さて下宿先は、すぐ裏に銭湯があり学生街で食堂なども安く便利だったんですがプロジェクトが忙しくなると終電で帰ることもシバシバ。当然、銭湯はしまっています。

”風呂に入る生活をしたい!”ということから同じ上新庄のマンションに引越。この場所が銀行のすぐ近くで、朝見てきたらマンションは健在でした。

理論更新研修

若宮商工稲荷神社
若宮商工稲荷神社

中小企業診断士は5年ごとに資格更新する必要がありますが、更新要件として毎年1回、理論更新研修を受けなければなりません。

大阪商工会議所6階会議室が研修会場でした。大阪商工会議所といえば敷地内にあるのが若宮商工稲荷神社。若宮稲荷神社と商工稲荷神社が一緒になったものですが、商工稲荷神社を祀ったのが大阪商工会議所初代会頭の五代友厚で大阪商工会議所前に銅像が建っています。

商売繁盛の霊験あらたかですから、研修前にお参りしてきました。

大阪は今日もゲリラ豪雨

本日も大阪はゲリラ豪雨。朝からバスタオルをベランダに干して出てきたのに!

「庭草に 村雨降りて こほろぎの鳴く声聞けば 秋づきにけり」なんて優美な歌が万葉集に出てきますが、昨今のゲリラ豪雨は村雨(むらさめ 強く降ってすぐ止む雨)という雰囲気じゃありませんなあ。

そうそう、村雨といえば南総里見八犬伝で犬塚信乃が持っていた刀が村雨ですね。徳川家に災いをもたらす妖刀村正からの発想ですかねえ。

村正は桑名の刀工で馬道駅近くに屋敷跡があったとも伝わっています。走井山の麓にあり、戦国時代、走井山には北畠の矢田城がありました。信長の伊勢侵攻で滝川一益に攻められて落城し、長島一向一揆攻略の前線基地となりました。

本町橋の夜討

本町橋
本町橋

真田信繁が真田丸で活躍する大坂冬の陣では堺筋本町でも戦いが行われていました。大阪府よろず支援拠点がある大阪産業創造館のすぐ横に本町橋があります。この本町橋の南に陣を置いていたのが蜂須賀軍です。蜂須賀小六が秀吉の天下取りを助け、その功績で子孫は徳島をおさめることになりました。徳川方として出陣していたのが蜂須賀至鎮です。

本町橋の南を守っていたのが蜂須賀家老だった中村重勝。尾張・中村が本貫ですので秀吉や加藤清正と同じですね。ここに夜討をかけたのが塙団右衛門直之で、寝入っていた蜂須賀郡の兵士はビックリ。中村重勝も討ち取られています。塙団右衛門は広報戦略が得意だったようで、「夜討ちの大将・塙団右衛門直之」の木札をたくさん作り、討ち入り時にばらまかせました。SNSのない時代でしたのでクチコミ効果を狙ったのでしょう。塙団右衛門は本町橋の上に床几を置いて、そこで指揮を取っていたそうです。

さて戦死してしまった中村重勝ですが、初代中村勘三郎が息子という説があり、18代中村勘三郎さんが徳島の中村重勝の墓を墓参りしたそうです。本町橋の南というと一華、ぢどり亭あたりが戦いの舞台だったのかなあ。

この男がジブリを支えた。近藤喜文展

ムーン
ムーン

三重県立博物館が開館5周年ということで記念特別展「この男がジブリを支えた。近藤喜文展」を行っています。前から気になっていたのですが、午前中の予定がうまく空いたので、のぞいてきました。

アニメータ近藤喜文の原画やイメージボード、スケッチ等が多数展示されていて、ルパン三世、未来少年コナン、赤毛のアン、名探偵ホームズなど懐かしいですねえ。会場では日米合作映画「リトル・ニモ」のパイロットフィルムが上映されていました。

スタジオジブリ時代になると火垂るの墓、おもひでぽろぽろ、魔女の宅急便、紅の豚、もののけ姫などが展示され、監督をした「耳をすませば」は特に充実しています。会場の最後には「耳にすませば」に出てくる猫「ムーン」と一緒に写真が撮れる撮影コーナーがあり、SNS対策もしていました。それよりも帰りに見つけたのが博物館入口の階段のところにあったのがムーンのシルエット。細かい仕事をしていますなあ。

大阪などで同様の展示会を行えば連日、長蛇の列でしょうが、さすがに平日の三重県立美術館なんで、ゆったり見られます。9月16日までで、平日月曜は休館です。

梅田阪急ビアガーデン

梅田阪急ビアガーデン
梅田阪急ビアガーデン

知り合いからビアガーデンに行きませんかというお誘いが 

”一番暑い夏の金曜夜にビアガーデンに行こう”となんでも6月早々に12名で予約していのを忘れていたということで、そこらへんに声をかけているようです。ビヤガーデンなんて久しぶりなんで、OKと返事。 

場所は阪急百貨店13階にある”うめだ阪急ビアガーデン”でした。けっこう人気があるそうで19時には予約客がずらっと列を作っています。結局、7名が参加したんですが5名は初めての方ばかり。ライター、校正者、公認会計士など多彩なメンバーでした。 

隣がオフィスビルになっていて、煌々と電気がついて残業している横で飲むビールは格別ですねえ。