
中小企業診断士は5年ごとに資格更新する必要がありますが、更新要件として毎年1回、理論更新研修を受けなければなりません。
大阪商工会議所6階会議室が研修会場でした。大阪商工会議所といえば敷地内にあるのが若宮商工稲荷神社。若宮稲荷神社と商工稲荷神社が一緒になったものですが、商工稲荷神社を祀ったのが大阪商工会議所初代会頭の五代友厚で大阪商工会議所前に銅像が建っています。
商売繁盛の霊験あらたかですから、研修前にお参りしてきました。
中小企業診断士は5年ごとに資格更新する必要がありますが、更新要件として毎年1回、理論更新研修を受けなければなりません。
大阪商工会議所6階会議室が研修会場でした。大阪商工会議所といえば敷地内にあるのが若宮商工稲荷神社。若宮稲荷神社と商工稲荷神社が一緒になったものですが、商工稲荷神社を祀ったのが大阪商工会議所初代会頭の五代友厚で大阪商工会議所前に銅像が建っています。
商売繁盛の霊験あらたかですから、研修前にお参りしてきました。
本日も大阪はゲリラ豪雨。朝からバスタオルをベランダに干して出てきたのに!
「庭草に 村雨降りて こほろぎの鳴く声聞けば 秋づきにけり」なんて優美な歌が万葉集に出てきますが、昨今のゲリラ豪雨は村雨(むらさめ 強く降ってすぐ止む雨)という雰囲気じゃありませんなあ。
そうそう、村雨といえば南総里見八犬伝で犬塚信乃が持っていた刀が村雨ですね。徳川家に災いをもたらす妖刀村正からの発想ですかねえ。
村正は桑名の刀工で馬道駅近くに屋敷跡があったとも伝わっています。走井山の麓にあり、戦国時代、走井山には北畠の矢田城がありました。信長の伊勢侵攻で滝川一益に攻められて落城し、長島一向一揆攻略の前線基地となりました。
真田信繁が真田丸で活躍する大坂冬の陣では堺筋本町でも戦いが行われていました。大阪府よろず支援拠点がある大阪産業創造館のすぐ横に本町橋があります。この本町橋の南に陣を置いていたのが蜂須賀軍です。蜂須賀小六が秀吉の天下取りを助け、その功績で子孫は徳島をおさめることになりました。徳川方として出陣していたのが蜂須賀至鎮です。
本町橋の南を守っていたのが蜂須賀家老だった中村重勝。尾張・中村が本貫ですので秀吉や加藤清正と同じですね。ここに夜討をかけたのが塙団右衛門直之で、寝入っていた蜂須賀郡の兵士はビックリ。中村重勝も討ち取られています。塙団右衛門は広報戦略が得意だったようで、「夜討ちの大将・塙団右衛門直之」の木札をたくさん作り、討ち入り時にばらまかせました。SNSのない時代でしたのでクチコミ効果を狙ったのでしょう。塙団右衛門は本町橋の上に床几を置いて、そこで指揮を取っていたそうです。
さて戦死してしまった中村重勝ですが、初代中村勘三郎が息子という説があり、18代中村勘三郎さんが徳島の中村重勝の墓を墓参りしたそうです。本町橋の南というと一華、ぢどり亭あたりが戦いの舞台だったのかなあ。
三重県立博物館が開館5周年ということで記念特別展「この男がジブリを支えた。近藤喜文展」を行っています。前から気になっていたのですが、午前中の予定がうまく空いたので、のぞいてきました。
アニメータ近藤喜文の原画やイメージボード、スケッチ等が多数展示されていて、ルパン三世、未来少年コナン、赤毛のアン、名探偵ホームズなど懐かしいですねえ。会場では日米合作映画「リトル・ニモ」のパイロットフィルムが上映されていました。
スタジオジブリ時代になると火垂るの墓、おもひでぽろぽろ、魔女の宅急便、紅の豚、もののけ姫などが展示され、監督をした「耳をすませば」は特に充実しています。会場の最後には「耳にすませば」に出てくる猫「ムーン」と一緒に写真が撮れる撮影コーナーがあり、SNS対策もしていました。それよりも帰りに見つけたのが博物館入口の階段のところにあったのがムーンのシルエット。細かい仕事をしていますなあ。
大阪などで同様の展示会を行えば連日、長蛇の列でしょうが、さすがに平日の三重県立美術館なんで、ゆったり見られます。9月16日までで、平日月曜は休館です。
知り合いからビアガーデンに行きませんかというお誘いが
”一番暑い夏の金曜夜にビアガーデンに行こう”となんでも6月早々に12名で予約していのを忘れていたということで、そこらへんに声をかけているようです。ビヤガーデンなんて久しぶりなんで、OKと返事。
場所は阪急百貨店13階にある”うめだ阪急ビアガーデン”でした。けっこう人気があるそうで19時には予約客がずらっと列を作っています。結局、7名が参加したんですが5名は初めての方ばかり。ライター、校正者、公認会計士など多彩なメンバーでした。
隣がオフィスビルになっていて、煌々と電気がついて残業している横で飲むビールは格別ですねえ。
津の丸ノ内商店街(津城の城域にあったので丸ノ内です)は国道23号線に沿って南北になっているので、暑い夏の朝は東側の日陰を歩きます。これでだいぶ温度が違いますね。
神田神保町の古書店はほとんどが北向きになっていて、これは日で本が焼けるのを防ぐためです。インバウンドで賑わう奈良の東向商店街は東側がすぐ興福寺の境内になっていて西側にしか店ができなかったので東向という名前となりました。ところが興福寺の力が弱くなり東側にも店が作られるようになって、ふつうの商店街となって名前だけが残っています。
東海地域では「伊勢の名物~赤福餅はえぇじゃないか」というCMソングがよくテレビで流れ、赤太郎という名前の漫画の侍が登場します。赤福のキャラクターになっています。
三重には伊勢新聞という地域紙があり、地域の細かな話まで掲載されています。創業は明治11年。同一題字では日本最古の日刊新聞なんだそうです。
この伊勢新聞の題字下に長年赤福が提供する「まんが天気予報」というコーナーがあります。県内を北・中部、南部、伊賀の3地域に分けて、それぞれに赤福のCMキャラクターである「赤太郎」のイラストを挿入した天気が掲載されています。時たま伊勢新聞を読んでいるんですが、天気予報が赤太郎になっていることに始めて気がつきました(笑)。
天王寺で夜のお仕事でしたので、四天王寺へ寄ってきました。
聖徳太子が物部氏との戦に勝ったお礼に建立したお寺です。四天王寺の亀井堂で経木流しという供養をするのですが亀形石の背中がプールのようになっていて、ここに経木を浮かべて供養をします。
昨年、この亀形石が飛鳥にある斉明天皇時代の亀形石造物と同じ時期にできたことが判明しました。飛鳥では酒船石遺跡で発掘されましたが、四天王寺では飛鳥時代から現役で使っていたことになります。夕方で亀井堂は閉まっていましたが、亀形石造物は外から見られました。
6月30日、上半期終了です。
本日、行われるのが夏越の大祓。「水無月の夏越の祓する人は、千歳の命延ぶというなり」ということなんで、氏神さんの枚岡神社に人形(ひとかた)を奉納してきました。これで上半期の穢れを払って、下半期を乗り切りましょう。
夏越の大祓にあわせ、白の外郎に小豆をのせ、三角形に切った「水無月」というお菓子を食べる風習があります。三角形の外郎は氷をあらわしていて、もともとは宮中で行われていた「氷の節句」からきています。氷室から運んだ氷を食べて夏を乗り切るということで、庶民が氷の代わりに編み出したのが水無月です。
というわけで夏越の大祓にあわせ、オンザロックのグラスにビールを注いで飲んでおります。
いよいよG20が始まるということで全国からお巡りさんが大阪に集まって厳戒態勢になっています。でも大阪の町を神奈川県警と書いたパトカーが走っていると、とっても違和感がありますね。伊勢志摩サミットの時は津駅に熊本県警と書いたお巡りさんが警戒にあたっていて乗客に道を聞かれて困っていました(笑)。
地下鉄のゴミ箱が撤去され、ロッカーも使えなくなったためインバウンドで民泊に泊まっている外国人などに影響が出ています。交通規制となり物流に影響を与えますので大阪経由の宅配便などは遅れるとアナウンスされています。
そこらへんで検問がはじまり、お巡りさんを、めたらやったら見かけるようになったので犯罪が減るのはいいのですが、G20の会場となる南港で商売しているお店にとってはマイナスだけ、会期中の4日間は閉店するように言われ補償は一切なしだそうです。先週あたりから南港に近づかない人も増え商売あがったりで、全国から応援にきた、お巡りさんへは弁当支給でしょうから、飲食店は軒並みダメ、仕事終わりにお巡りさんが寄ってくれるアイスクリーム屋だけは少し繁盛しているそうです。