
三重や和歌山など遠方の企業へ行くことが多いのですが、珍しく地元にある東大阪の企業へ行ってきました。いや~あ、近いと楽ですねえ。早々と仕事を終え家へ戻って一杯やっています。(笑)
企業へ行く途中にあったのが御厨天神社。延喜式に意岐部神社の名前があり、この御厨天神社が候補地になっています。となると古代からある古社になります。大体、知名が御厨ですからねえ。
御厨というのは全国に地名が残っていますが皇室や伊勢神宮など、有力な神社がもっていた荘園(神領)のことです。御厨天神社は神に供える食料を献納した皇室領だったようです。松阪駅の近くに御厨神社がありますが、ここは伊勢神宮と関係があります。
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返報性の原理

名張でお仕事。
大阪へ帰ろうと思って名張駅へ行くと、ちょうど電車が出たところで次の電車は30分先。駅前には本屋もないので仕方がなく唯一空いていた居酒屋へ。
スナックのようなお店で、先客は3名ほど。店のおばちゃんがエステへ行った話で盛り上がっていて、聞き耳をたてていると、きっかけはエステ店の店長がチラシを置いてくれないかと訪ねてきたそうです。
■返報性の原理
店長いわく、なかなかチラシを置いてくれる店がないというので置いてあげたらお礼にと2回ほど飲みに来てくれたそうです。じゃあ、こちらもお返しにとおばちゃんがエストへ行ったそうです。心理学でいう返報性の原理ですなあ。
おばちゃんによると初回は1,500円ですが2回目は3,500円で、初回はいわゆるお試し価格になっているそうです。結局、2回行ったようです。
「それで、しばらく見ない間にきれいになったんだなあ」という先客の言葉。この時は、おばちゃんによる返報性の原理はありませんでした。
エステ店の本拠地は隣の榛原(奈良)なんですが、名張に進出できないかテストマーケティングをどうもしているようですね。田舎の居酒屋へ入るといろいろと地元情報が入ってきます。
流れの馬場跡(摂津)

昔、上新庄に住んでいた頃、もっぱら阪急京都線を使っていましたが、摂津市駅なるものはありませんでした。
駅ができたのは、けっこう新しく2010年。まだ6年目で、正雀駅と南茨木駅の間にできました。株式会社ダイヘンの跡地なんだそうです。駅の横を境川を流れていますが、駅のすぐ近くに「流れの馬場跡」があります。
織田信長は石山本願寺と10年にわたる戦いのあと、1580年に和睦します。顕如が石山本願寺を退去したのにあわせ、戦っていた門徒らも帰村しました。摂津に本願寺の末寺である勝久寺があるのですが、住職が門徒数千と、石山本願寺にたてこもって戦っていました。
和睦が成立し摂津に帰ってきていましたが、信長軍に不意に襲撃され堂舎を焼き払われたうえ、多数の門徒たちが捕らえられて殺害されたと伝わっています。その跡が流れの馬場跡です。
桶狭間の戦いの後、今川義元が討たれても鳴海城で今川方の岡部元信が戦っていましたが、信長との交渉し、今川義元の首級と引き換えに城を明け渡します。ところが帰る道中で信長方の刈谷城を攻撃し、城を焼いていますので当時、こういう話はよくあったんでしょうねえ。
境川
薬師寺荘園
コナモン好きの大阪人

今朝のニュースでコナモンとご飯を一緒に食べる大阪人が多く、メタボの原因になっているという報道されていました。
でも焼きそば定食、お好み焼き定食ってフツウにランチメニューにあって、素直に食べますがなあ。昨日はソバ定食(ソバ+カヤクご飯)を食べたし。
報道によれば大阪府民でコナモンと一緒にご飯を頻度は、男性の約6割、女性の約半数が週1食以上になっているそうです。もちろんBMIの肥満度は高まります。
名古屋飯の代表である味仙が東京に進出したそうですが、あの台湾ラーメンはご飯という箸休めがなければ食べられませんよ!
上には猛者がいて先日、知り合いのタイムライン(Facebook)を見ていたら「お好み焼き+焼きそば+ご飯」の定食が映っていました。さすがにこれはやりすぎです。
日本酒フェスティバル(京都)
とても古い地名 額田

我家の隣が額田(ぬかた)という土地。
とっても古い土地で地名の由来は古代氏族である額田氏に由来します。ここに額田寺(がくでんじ)という寺があり、弘法太子に由来すると書かれています。昭和になって焼けた本堂は天正年間にできたそうで、ちょうど織田信長が足利義昭を追放して、実質的に室町幕府が滅亡した頃です。そのまま残っていたらすごかったでしょうね。
近くには額田墓地がありますが、ここもめちゃくちゃ古く、行基によりに河内国に作られたとされる7箇所の墓地の1つ。河内七墓(かわちななはか)の1つですがつくられたのが奈良時代ですので、ざっと1300年ほど前の話です。河内七墓というのは盆の14日に七墓参りをすると極楽往生できるとの謂れがあります。
額田氏が住んだ地域には額田や豊浦の地名が多いようで、近くには豊浦という地名も残っています。豊浦という地名は由緒正しく、初めて飛鳥に宮ができたのが豊浦宮、そして仲哀天皇と神功皇后が山口県下関に造ったのも豊浦宮です。なにか関係あるんですかねえ。すっかり中小企業の街となった東大阪ですが地名などに古い記憶が残っています。
四国のお遍路へ

奥さんのつきそいで四国・お遍路の旅へ。
難波をバスで出発して1番札所から6番札所を巡るコースです。初心者向けなので、ほとんどが初参加というコース。お試し価格になっていて弁当付きで一人2,980円でした。7番札所以降を巡るのは、けっこう大変で、冬は山が閉ざされていて巡礼できない札所もあるそうです。
■絶妙な値付け
いろいろなコースが用意され、こちらは通常料金。おまけに88ケ所用の朱印状を買うことになりますので、どうしてもコンプリートしたくなる気持ちをかきたてる、うまいやり方ですねえ。(笑)デアゴスティーニのようです。
おまけに逆打ちコースがあるようで、こちらは88番札所から逆に1番札所までまわるコースで、しかも一つずつ減らしていかないといけないという過酷なコース。マニア心を刺激しますね。
※順打ちは順番を入れ替えてもいいそうで、これを”乱れ打ち”というそうです。
バスには添乗員と朱印状などの販売会社社員、先達の3名がつきそいます。各札所を巡り本堂と太子堂の2ヶ所で先達に従いながらお勤め(般若心経を唱える)をあげます。この間に社員が皆の朱印状を抱えて朱印状をもらいに行っています。6ケ所を巡る間に、けっこう上達して、参拝の基本も修練してきますから、こりゃもっと回ろうという気を起こさせます。(笑)
ですが各札所近くにはビールは売っていなくって、あったとしてもアイスやジュースばかり。また地元の人が野菜を売っています。帰りのサービスエリアで飲んだビールはおいしかった!!
加賀屋新田会所

今日は住之江近くでお仕事。
お昼には終わったので加賀屋新田会所跡へ。新田開発といえば鴻池新田が有名ですが、他にもいろいろな新田開発が行われました。
付け替えられた大和川の河口でも新田開発が行われました。大和川の河口ははるか先になってしまいましたが、当時は住之江あたりから海が広がっていました。開発したのは淡路町の両替商だった加賀屋甚兵衛。そういえば大和川の付替えの発起人は中 甚兵衛といい、同じ甚兵衛です。
開発した新田は加賀屋新田と呼ばれ、一帯は今も加賀屋という地名になっています。この加賀屋が開いた会所跡が残っており、茶室や書院などが見学できます。
さあて、暑い中を歩いたし、仕事も終わったのでビールを飲んで帰ってきました。(笑)


