伊勢音頭恋寝刃

油屋
御園座の歌舞伎公演が10月に行われますが演目の一つが「伊勢音頭恋寝刃」。歌舞伎俳優が古市の資料館などを訪れたそうです。
伊勢神宮・外宮から内宮へ続く街道の途中に古市があり、昔は遊郭としてにぎわっていました。ここで起きたのが油屋騒動。油屋は古市にあった遊郭で、ここに遊女「お紺」がいました。かなりの売れっ子だったようで、宇治のお医者さんがお紺を座敷に呼んだのに他の部屋の客に呼ばれて行ってしまいます。
お医者さんは下男下女になだめられて帰ろうとしましたが、酒を飲んでいたこともあって刃物で次々に切りつけ死傷者を出す事件となってしまいます。お医者さんは逃げましたが、逃げ切れないと自刃して果てます。
伊勢へは全国から参拝客が来ていますので、あっという間に事件は全国に知られ、一目、お紺を見ようという客で油屋は大繁盛。事件を題材に歌舞伎が作られました。
油屋は現在の古市街道が近鉄線をまたぐ橋のたもとにあり、石碑が建っています。お紺は49歳で病死しましたが、事件を起こしたお医者さんと共に祀られ「比翼塚」になっています。お紺にとっては迷惑な話です。油屋騒動の舞台が行われる時は、出演者がお参りする風習があるそうで四谷怪談と同じですね。

名古屋のパワースポット高牟神社(たかむじんじゃ)

高牟神社
朝、津新町駅からいつもより早い電車に乗って、30分ほど早く名古屋に着きましたので途中下車してパワースポット巡りをしてきました。名古屋も古い土地で、邪馬台国説もある奈良の纏向遺跡には東海地域の土器が入り、尾張が古代から国造りに関わっていたことが分かっています。
地下鉄桜通線・車道駅のすぐ近くにあるのが物部神社。式内社ですから、そうとう古くからあります。祭神は物部氏の祖神である宇麻志麻遲命(うましまじのみこと)。境内に大きな石があり石神神社とも呼ばれています。
物部神社から400mほど行ったところにあるのが高牟神社。ここも式内社で、高牟とは鉾のこと。物部氏の武器庫があったようです。境内には延命長寿に霊験があるという名泉「古井の清水」があります。手水場がそうなんですが、朝からペットボトルに水をつめている人がいました。
最近では、この水を飲むと「恋が生まれる」とも言われているそうで、ほんまですかねえ。一帯は物部郷古井村と呼ばれ物部氏の拠点があったようです。湧水が豊富な土地だったようで、近くの吹上にはサッポロビール工場(今の浩養園)がありました。
高牟神社から吹上に向かって郡道を歩くと左右が坂になっていることがよく分かります。郡道は台地の尾根道になっていて伊勢神宮外宮から内宮へ向かう参宮街道ほどきつくはないですが建物がなければ遠くまで見渡せる一等地です。最後に吹上八幡社にお参りして名古屋市新事業支援センターに到着。

中古車のベストマイカー

ベストマイカー
名古屋市新事業支援センターのある吹上ホールの隣が吹上公園。小さな公園ですが、緑が多く都会のオアシスになっていて、朝夕によく通っています。
朝、吹上公園を歩くと鳥の声が聞こえますが、時たまカッコウの声まで聞こえ、癒されます。すごいなあ、こんな小さな公園にまでカッコウがいるんだと思っていたら、実は隣にある中古車のベストマイカーが流しているBGMの音。
夕方には洋楽がかかっていますが、最近、流れているのは高校野球のラジオ放送。どっちが勝っているのかよく分かります。
ベストマイカーですが、展示されている中古車には値札はついておらず、フロントガラスにペンキで金額やエアコンの有無、走行距離などが直接書かれています。「今から48年前の車」というのもありますが、10年前に見た時も同じ文句じゃなかったけ?
平日の朝、夕しか店の前を通らないので、日中は知らないのですが中古車を売買する人は来ているんですかねえ。買ったらあのペンキは店で落とすのかなあ。

三重県の百貨店事情

松菱
三重県産業支援センターへ行く時によく松菱の前を通っています。私が小さい頃からある百貨店です。三重県内には百貨店が3つしかなく近鉄百貨店が四日市駅前と名張(桔梗が丘駅前)に、津に松菱があるだけです。
近鉄百貨店・桔梗が丘は2012年に全てテナント貸しという業態になりましたので百貨店でなく、実質的に百貨店と呼べるものは2つだけ。昔は松阪駅前と伊勢市駅前に三交百貨店がありましたが明和ジャスコなど、ショッピングモールの登場などで百貨店は衰退し、なくなりました。三重県北部(北勢)では名古屋駅まですぐなので、駅前にある高島屋、名鉄百貨店、近鉄百貨店の3店舗にもお客さんをとられています。松阪の三交百貨店は、松阪駅の陸橋からそのまま店内に入れ便利でしたが2006年に閉店。
津の松菱は津の南北にサンバレー、サティという2つのショッピングモールができサンドウィッチのような形になった影響が大きかったようです。松菱は1店舗だけの運営で、もともとは大門にあった大門百貨店が前身。昭和38年に現在の岩田橋の横に移転、店舗を拡げてきましたが業績悪化から2003年に産業再生機構による支援を受け、再建されました。北海道物産展などが催しものがあるとかなり集客しているようですが、ふだんはそうでもなさそうです、と言うほど中には入らないのですが。四日市の近鉄百貨店は地下1階が全フロア、MARUZENなので四日市商工会議所へ行く時などによく寄っています。
津新町駅は昔、駅ビルになっていて近鉄東海ストアが入っていました。駅前に津東映があった時代で、よく「スガキヤ」のラーメンを食べに学校帰りなどに寄っていました。

販売士 講師研修2日目

販売士講師研修
昨日に引き続き、大崎で朝から夕方まで販売士講師の研修。
今日は販売士3級、2級を教えるポイントなどを中心とした研修。ある講師は試験以前に販売士とはどうあるべきか、小売りの現場で応用できるように教えないといけないという心構え派。
またある講師は「皆さんプロなんで、受からせてなんぼの世界や」(東京の講師なんで大阪弁ではありません)ということで実績重視派。両方の立場からの話が聞けて、なかなか面白かったですが、両方とも必要ということなんですね。
販売士検定ですが、平成27年度から、名称が変わるそうで「リテールマーケティング(販売士)検定試験」になるそうです。また1級の面接試験は来年2月の試験から廃止。私が受験した時も、面接と言いながら、「そうですか中小企業診断士を取得されてコンサルをされているんですか・と、ほとんど世間話をしていた面接だったので、まあ廃止が妥当でしょう。(笑)

販売士講師の研修で東京へ

居木神社
販売士の講師登録研修会に参加するために東京の大崎にきています。写真は大阪駅近くにあった居木神社。なかなか古い神社で江戸時代初期に現在の場所に移ってきたそうです。
1級販売士は昨年に取得したのですが、講師研修の案内が来た時は東京でしか研修をやっていなかったので昨年は見送り。講師は販売士試験の2級や3級などの研修を担当することになります。今年も案内が来て、大阪でやりそうもないので東京の研修に参加。
参加者は55名ほどで北海道から鹿児島までいました。大阪からの参加は3名。2日間コースで初日の今日は昼からでしたが、なかなか面白い内容でした。登録講師になっても自分できっちりマーケティングしないと仕事はまわってきませんよという話は士業の共通ですね。
研修が終わってからは懇親会。流通やメーカーに勤めている人やらコンサルやら実に多彩なメンバーがいましたが、一人大学の4回生もいて1級販売士を取得し、就職はコンビニに決まったそうです。次は中小企業診断士を狙うそうで、すごいですなあ。私が学生の時なんか、そんな資格があることすら知らなかったのに。

日本三大大仏の一つ兵庫大仏

兵庫大仏
ひょうご産業活性化センターで窓口相談。
来週、月曜(11日)が「ものづくり補助金」の締切のため、応募書類の最終確認などをしておりました。補助金の応募に認定支援機関の確認書が必要ですが、ひょうご産業活性化センター(認定支援機関)で確認書をとるには内部決裁がいるので、実質的に今日か明日が活性化センターへの提出締切になります。
さて写真は兵庫城近くにある兵庫大仏。能福寺というお寺にあり、このお寺は平家一門の祈願寺だったこともあり平清盛廟があります。また神戸事件で切腹した備前岡山藩士、滝善三郎の供養碑もありました。能福寺で一番有名なのが兵庫大仏。
明治24年に豪商によって建立され、奈良の大仏、鎌倉の大仏とともに日本三大大仏の一つでした。戦争中の金属類回収令によって供出されてしまいました。現在の大仏は平成3年に再建されたものです。でかいですな~あ!

高田中学6年コース 第9期生同窓会

津
津駅前で中学・高校時代の同窓会を開催。
6年コースという中学・高校一貫コースで現在は5クラスほどありますが、当時は1クラスしかなく12歳~18歳という多感な時代を共に過ごしました。1クラスなんでクラス替えもなく6年間ずっと一緒です。東京やいろいろな所から10名が参加。
卒業以来、初めて会う同窓生もいました。女性陣の話を聞いていると久しぶりに会っても当時の力関係がそのままだという話があり、大変ですなあ。皆さん、いい年代になりましたので話題は子供の進学・就職や病気の話。ピロリ菌をなくす薬を飲んでいる最中なので、今日は酒を飲めないという同窓生もおりました。(笑)

東大阪新聞が届く

東大阪新聞
東大阪新聞は月2回発行の新聞で、第6851号になっています。
誕生したのは昭和29年ですので、62年もたったかなり古い新聞です。ちなみに日本最古の日刊新聞は三重県にある伊勢新聞で、創業は明治11年です。
昔、中河内(東大阪、八尾、柏原)地域には15社ほどのローカル紙があったそうですが、現在残っているのは3社で、東大阪新聞以外では八尾タイムズと河内新聞があります。東大阪新聞社の社長が急に亡くなったことから、先日、知的生産の技術研究会・関西でウクライナセミナーをしてもらった小野 元裕さんが引き継いで社長をされています。
東大阪新聞は1枚もので表が東大阪版、裏が八尾・柏原版になっています。枚岡神社の巫女体験研修会などローカルなネタばかりです。きっちり広告を取っているところがすごいですね。後は中河内の城特集をしてくれると完璧なんですが
城では若江城、恩智城、高安城、信貴山城、八尾城、久宝寺城、萱振城、水走氏館などがあるのと南北朝がぶつかった四条畷の合戦や八尾・若江の戦い(大坂夏の陣)の舞台にもなっていますので、けっこうネタはありますね。

百五銀行

百五銀行
津の実家から三重県産業支援センターまで30分歩いているんですが、途中にあるのが百五銀行本店。岩田川のすぐ横に建っています。
古いビルで耐震性の問題があるし、岩田川の水位があがると、よく店舗に水が流れ込んでいました。中心市街地に移転することとなり、今、新しいビルを建てています。移転場所は三重会館の前で昔、ジャスコがあった跡地。基礎工事前に津城の内堀の石垣が見つかったのですが、ぶっ壊して工事をしてしまいました。(泣)本店の隣でも工事をしていて、こちらは営業店を作っているそうです。
百五銀行はナンバー銀行で明治時代は第百五国立銀行。ナンバー銀行というのは設立順に番号をつけた明治の国立銀行で、第一国立銀行は第一勧業銀行から、現在のみずほ銀行になっています。
松阪市には第三銀行がありますが、こちらはナンバー銀行ではなく、熊野市で誕生した合資会社がスタート、途中で第三相互銀行となり、ここから第三銀行となりました。三重には他に四日市本店の三重銀行があり、地方銀行が三行ありますが、地域No1は百五銀行になります。
津には、みずほ銀行と三菱東京UFJ銀行(昔の東海銀行)がありますが、三井住友銀行がなく不便しています。