水の噴水

水の噴水
午後は梅田で仕事。というかマイナンバー制度に関する簡単な取材で、好き勝手にしゃべってきました。
JR大阪駅がリニューアルされ登場しているのが南ゲート広場にある水の噴水。水でいろいろな模様や文字、そして時刻を表現しています。海外のいろいろなメディアに取り上げられたこともあり外国人の観光スポットになっています。今では英語・中国語・韓国語・タイ語のメッセージも水で表現しています。
落下する水で計算して文字を表現するので、なかなかすごい技術です。時刻を撮ろうとしたのですが、一瞬なんで、めちょくちゃ難しいですねえ。

東京の通勤は大変

新幹線
よろず支援拠点 全国研修会の2日目
研修は9時半スタートなので虎ノ門までゆっくり行けばよいと9時前後に銀座線に乗ったら、御堂筋線なみの混雑。9時といえばふつうの会社の始業時間なので大阪の地下鉄ならけっこうすく時間帯なんですが東京は大変ですね。
虎ノ門駅の1つ前の新橋駅のホームでは入場制限をやっていました。ホームが狭いせいもあるのでしょうが、9時前後でこの状態ならラッシュ時はどんなんだろう。
研修会場は虎ノ門ツインビルという虎ノ門病院横のビルでしたが、周辺にあまり食べる所はなく地下の食堂か1階で販売している弁当を買う人で列ができていました。通勤は大変だし、ランチ難民にもなるし東京は大変そうですね。
2日間の研修は無事終了。帰り、新橋駅の駅前広場で古本市をやっていて、知っていたら寄ったのに!京浜東北線の電車に乗った瞬間に古本市を発見、さすがに戻る元気はなかったですね

映画「繕い裁つ人」の舞台

平賀邸
先日、能勢にある山下城へ行く途中に見つけたのが川西市郷土館。山下城の資料でもないかなと入館しましたが、中は鉱山資料がメインでした。
能勢って鉱山が多かったんですね。銀銅山があり、昭和初期まで操業していました。銅の製錬を業としていた旧平安家住宅を中心に展示されていて、製錬ででてきたカスを捨てた谷などがありました。そんな郷土館の一角にあったのが旧平賀家住宅というなかなかお洒落な洋館。
中谷美紀さん主演の映画「繕い裁つ人」で、市江(中谷美紀)の祖母が始め市江が引き継いだ洋裁店として使われたそうです。ウーン、映画見ていないなあ。連続テレビ小説「マッサン」では、大阪編で登場し、政春とエリーが入居を断られた洋館としても使われたそうで、室内に撮影の様子などが展示されていました。

生國魂神社・御旅所

生國魂神社・御旅所
大阪府よろず支援拠点は上町台地の麓にあります。
上町台地の上にあるのが大坂城で、ここの一角に生國魂神社・御旅所があります。「いくくにたまじんじゃ」と呼びますが、めちゃくちゃ古い神社で、国の魂とあるように日本そのものを祭った神社。
天皇の即位儀礼の1つである八十島祭も生國魂神社で行われています。当時は上町台地の麓まで海で、遠くにはイザナミ、イザナギの国生み神話の元となった淡路島が見え、現在は島と言う地名で残っている枇杷島や柴島などがたくさんの島(八十島)が連なっていました。
戦国時代、石山本願寺を造った時もそのままでしたが秀吉が大坂城を造る時に天王寺に移転が命じられます。どこに元の神社があったかは分かりませんが、大阪城の外堀近くに御旅所が作られています。

都をどりの収支

都をどり
祇園・花見小路にある祇園甲部歌舞練場へ都をどりを見に行っておりました。
会場は848席で指定席券は4,200円です。学生割引もありますが、お茶券付きになると4,800円になります。全部埋まらないので稼働率を80%にすると
4,200円×848席×80%=2,849,280円
1日4講演ありますので
2,849,280円×4回=11,397,120円
1100万円ほどが1日あたりの収入です。

舞をしているのが40名、三味線が8名、太鼓や笛などで8名、裏方が50名ほどはいますので人件費は110人ほど。これに稽古にかかる人件費、光熱費、設備維持費や減価償却費、パンフレット代や予約システム代などがかかるので、経費もけっこうかかりそうです。
もともとは明治維新で関西が地盤沈下したため明治5年に始まったのが歴史で今年で144回目となります。フィナーレはなかなか艶やかでした!

都をどりでワンウェイコントロールを学ぶ

都をどり
奥さんのお供で観光客で一杯の祇園・花見小路へ 祇園甲部歌舞練場へ都おどりを見に行ってきましたが、行ったのは初めてで、きちんとワンウェイコントロールになっていました。
ワンウェイコントロールというのは 入口から出口までの通路を一方向で設計することで、スーパーなどで導入されています。東京ディズニーランドなどの遊園地のアトラクションもワンウェイコントロールになっています。 まず入ると土産物を提供している会社の説明と庭園をまわるようになっています。次に150名ぐらいづつ順番でお茶席に通されます。
一番前で舞妓さんがお茶をたてていますが、配られてきたお茶とお菓子をいただくだけ。お菓子を入れていた皿は持ち帰れるようになっています。家に変な皿があるのは、ウチの奥さんが都をどりに来るたびに皿をもらってきているからなんですなあ。 次に土産物コーナーに通されます。”出口は別になりますので後では買えません”と心理学をうまく考えた張り紙がありました。
最初に見た土産物提供会社の商品が売られています。なるほど!思わず納得して猫の扇子を買ってしまいました。(笑) ようやく劇場に入って舞台です。城南宮の曲水の宴など春夏秋冬のいろいろな舞台が演じられ、最後の背景は城でした。京都で城!まさか聚楽第!と思ったら姫路城でした。(笑)外国人には日本情緒満載でうけるでしょうねえ。 しっかりとしたワンウェイコントロールですので、劇場を出ると観光客で一杯の花見小路でした。

1400年前に起きた乙巳の変 入鹿神社

入鹿神社

大和八木駅近くにあるのが小網町と曽我町、蘇我氏の本拠地です。
最近の研究では蘇我氏は葛城氏の一族で、曽我地域を拠点にしていたことから蘇我氏と名乗りました。乙巳の変(622年)のクーデターによって蘇我本家が滅びましたが、蘇我氏そのものは名前を変えて生き残り、有名なのが石川氏です。
蘇我一族
川辺臣氏-十市郡川辺郷
田中臣氏-高市郡田中宮
小治田臣氏-高市郡小墾田宮
桜井臣氏-高市郡桜井豊浦宮、河内郡桜井郷、石川郡桜井宮
岸田臣氏-山辺郡岸田村
高向臣氏-錦部郡高向村
小網町には入鹿神社があり、”全国にここだけ、蘇我入鹿公をまつる神社”という幟がはためいています。伝説では乙巳の変で入鹿の首がここまで飛んできて祀ったのがきっかけで頭痛に霊験があるそうです。
小網町の住人は筋金入りで守ってきたようで、明治時代に入り、皇国史観が中心となった時代に入鹿を祀るのはどうかと政府に言われ、祭神をスサノオに、神社の名前を小網神社に変更しろと言われましたが、拒否したそうです。また明日香村小原は中臣鎌足の母の出身地ですので絶対に縁組しないなどの伝説が残っています。

耳成山から藤原京へ

藤原京
耳成山へ登った後、せっかく大和八木まで来たので少し南にある藤原京跡へ行ってきました。
以前まで藤原京は大和三山に囲まれたエリアに作られたと考えられていましたが発掘調査の結果、めちゃくちゃ大きく、平安京や平城京よりも大きかったことが判明しています。北には玄武大路、南には朱雀大路が整備されていました。北をつかさどる玄武は耳成山です。
藤原京は飛鳥から694年に持統天皇が遷都しました。といっても平城京跡と一緒で、何も残っていません。大極殿の土壇が少し高くなって残っているのと、発掘調査したところの柱跡が再現されているだけです。あとは野球をやったり、運動場になっています。
日本書紀は新益京という名前でした。ここらあたりは藤原という土地名で、飛鳥京と同様に藤原京というのは学術用語です。藤原鎌足はこのあたりの出身のようで中臣から藤原に名前を変えました。

北斗七星になる将門の首塚

将門の首塚
箱根駅伝の像がある読売新聞本社前と江戸城との間にあるのが「将門の首塚」。
討ち取られた平将門の首が京都でさらされ、怨念で大手町のこの地まで飛んできたそうです。塚を取り壊そうとした大蔵省では、急死するものが相次ぎなど怨念めいた話も残っています。
きわめつけは敷地にあった長期信用銀行が倒産したのも、将門の怨念と言われていますが、さすがにね~え。阪神が優勝できないのはカーネルサンダースの呪いのせいとよく似ています。

家康の腹心だった天海は将門の怨霊の力を使って江戸の守護神にしようとしたとのことで、将門を祀るところが都内に7つあります。それが首塚、神田明神、築土神社、兜神社、鳥越神社、水稲荷神社、鎧神社。この7つを結ぶと北斗七星の形になるそうです。