九度山

真田昌幸
大河ドラマ「真田丸」いよいよ大坂冬の陣ですねえ。
真田昌幸、真田信繁が追放された場所が高野山の麓である九度山。先日、中小企業診断士仲間と九度山へ行ってきました。
高野山は当時女人禁制で、空海の母親でも入れません。そこで母親は麓にある慈尊院に滞在し、空海が高野山から1ケ月に9回も通ったことから九度山という地名がついたといわれています。
真田一行には女性もいますから、女人禁制の高野山には入れません。徳川の許可をとって九度山に落ち着くことになります。九度山は3方を紀ノ川、壬生川、小さな川に囲まれており、外へ出るのは1方向で島に近いような立地でした。これなら幽閉先としては最適ですね。
壬生川の上にある丘に真田庵があり、ここが真田屋敷跡。九度山で亡くなった真田昌幸のお墓もあります。大勢の人が手をあわしていました。

リーディング産業展

四日市ドーム
■いちもくさん
昨夜は大阪府中小企業診断協会・交流会「いちもくさん」の例会。発表は燃料電池についてお話しいただきました。
例会が終わってからは毎度おなじみ中華「香」に移動して懇親会。食べ放題、飲み放題3,080円のお店なんで昨夜も一杯でした。そうそうに忘年会も予約してきましたが、よく考えたら翌日に人間ドッグの予約をしたんで、私は参加できない。(泣)
■リーディング産業展へ
朝、眠い目をこすりながら四日市へ移動。今日と明日は四日市ドームでリーディング産業展が開催されています。四日市ドーム入口にデーンと水素ステーションが置かれていました。トラックに積み込んでいますので移動できるようになっていて三重県内には2ケ所設置されるそうです。燃料電池車に水素を提供するのですが、価格は2億円だそうです。
昨日の発表で本町に設置された水素ステーション(ガソリンスタンドのようなもの)が5億円だそうですので、それよりは安いのですが高いですね。電気自動車、燃料電池車のどちらが本命になるのか難しいところですね。

纏向遺跡

纏向遺跡
三輪山登拝のあと、近くにある纏向遺跡を見てきました。纏向遺跡は広大な遺跡で運河が2本あり、全国から土器が持ち込まれています。土器で多いのは東海、出雲、吉備、河内地域で各地の首長が集まり会議や祈りをしていたような都市でした。農地などは見つかっておらず、今でいう霞が関みたいなところだったようです。箸墓などは通天閣のようなランドマークになっていました。
地上には何もないのですがJR巻向駅の近くで発見されたのが辻地区の建物群です。国内最大の建物跡が発見され、しかも4棟が中心軸をそろえて東西一直線に整然と並んでいました。2009年には”卑弥呼の宮殿を発見か”と大きく報道された場所で、今は埋め戻されて原っぱになっています。ここが邪馬台国かどうかは分かりませんが、初代大和政権である崇神天皇の磯城瑞籬宮、垂仁天皇の纏向珠城宮、景行天皇の纏向日代宮だった可能性が高いですね。
「うまし うるわし 奈良」へ、ぜひどうぞ!

夜討ちの大将・塙団右衛門

真田
大河ドラマ・真田丸を見ていると塙団右衛門が2回ほど自分の名前を書いた木札を渡すシーンが出てきます。名刺みたいなものですね。
こりゃ”本町橋の戦い”が次回の真田丸あたりに登場しそうですね。大阪府よろず支援拠点が入っているマイドーム大阪のすぐ横が横堀川が流れています。川の上を高速道路が通っていますが、この川が名前の通り、秀吉が造らせた総構の堀跡。近くに本町橋があり、ここも大坂冬の陣の舞台となりました。今は多くのビジネスパーソンが通っています。
マイドーム大阪や大阪商工会議所あたりに布陣していた塙団右衛門は堀の向こう側の徳川勢・蜂須賀至鎮の陣に夜襲をかけます。塙団右衛門は本町橋の上に床几を置いて夜討ちを指令し、「夜討ちの大将 塙団右衛門直之」と書いた木札をばら撒かせました。
なかなかのパフォーマンスで、塙団右衛門は後世、講談などで取り上げられるようになり、こうして大河ドラマ・真田丸にも登場するわけです。

三重県トラック協会でITセミナー

三重県トラック協会
三重県トラック協会でITセミナーを行ってきました。
内容はWヘッダーになっていて第一部はマイナンバー。ある程度の規模の企業は対策済みですが、ほったらかしにしている企業も多く、いよいよ法定調書への記載が必要ですので、この年末調整には集めないといけません。マイナンバーの扱い方と意外と知らない法人番号公開サイトの活用方法を説明してきました。
第二部はセキュリティの話。大企業、小規模企業関係なしに攻撃が行われますので、対策などを含めて説明。食いつきがよかったのがパスワード設定などをしていないウェブカメラの画像。店舗内で談笑している様子などを実際に見てもらうとインパクトがありますね。IoTが流行っていますが、けっこう怖く、この10月22日には乗っ取られたウェブカメラなどから攻撃が行われ、ツイッターやアマゾンなどの大手ネットサービスが世界的に5時間に渡って接続しにくくなった事件が発生したばかりです。

谷城(若桜神社)

谷城
桜井の駅を降りて、まっすぐ南に10分ほど歩くと若桜神社が小高い丘にあります。もともとは古墳だったようです。
境内には桜井市の地名のいわれになった「櫻の井」が復元されていました。若桜神社を履中天皇の磐余稚桜宮跡にあてる説があり、境内の案内板にもそう書かれていますが、もっと南へ行った稚櫻神社あたりで磐余池の堤跡が2011年に発見され、稚櫻神社あたりが磐余稚桜宮だったようです。履中天皇以降、歴代の天皇が磐余池近辺に宮を造り、謀反の罪で処刑された大津皇子が辞世の歌でこの磐余池を歌っています。
桜井の駅に近い若桜神社ですが階段を上がった小高い丘に社殿があります。奥の西側と南側に崩れかけてはいましたが、堀跡と土塁が見事に残っていました。
階段のある東側は帯曲輪状態になっています。字名が谷なので谷城と呼ばれています。伊賀や甲賀に多い方形単郭の城だったようです。北側も痕跡が残っていそうですが藪の中であきらめました。

三輪山登拝

三輪山
中小企業診断士のグループ船場総研のイベントに参加してきました。
三輪神社のご神体は三輪山そのものですが、登って参拝することができます。まずは三輪神社境内にある摂社「狭井神社」に向かい、受付をすませると三輪山参拝証という首にかける札をもらえます。鈴がついていて、これは熊よけなんですかねえ。
■日向御子って誰?
なかなか急な山道を先導者が休憩もなしに登るので、しんどいのなんの。疲れ果てました。途中に磐座などがいろいろとあり、一番奥にも磐座がありました。手前に社があり、ここに祀られているのが日向御子神。
三輪神社の神様といえば大物主大神で出雲の神様です。大和のど真ん中に出雲神が祀られているのですが近くの纏向遺跡でいろいろな地域の土器が発掘されていますが、東海地域の次に多いのが出雲で、どうも出雲が国造りに多大に貢献していたようです。
崇神天皇の代に疫病がつづいた時に大物主が夢の中にあらわれて、子孫のオオタタネコに祀らせたら疫病はおさまると言われ、河内にいたオオタタネコに祀らせ疫病が止んだという話があります。一説には祭儀のために神武(天皇)を招いた話なんではないかと言われています。神武天皇はどこから来たかと言えば日向です、それで日向御子。
三輪山登拝受付は14時終了ですが、降りている途中14時30分ぐらいに下から神官が登ってきました。全員下山したか確認するのでしょうが、あんな急坂を毎日、登る仕事はいやだなあ、(笑)

茶臼山 真田信繁陣跡

茶臼山
天王寺公園の中にあるのが茶臼山。大坂冬の陣では徳川家康の陣がおかれ、夏の陣では真田信繁の陣がおかれ、ここから徳川勢に突撃しました。小高い丘でハルカスが目の前ですから松平忠直など阿倍野に陣をかまえた徳川勢がよく見えたでしょう。
茶臼山に入るには天王寺公園の入場料がいりましたが、現在は無料で開放されています。茶臼山は古墳と言われていましたが、発掘すると徳川家康が陣で作った台所跡などが出てくるだけで古墳説には疑問がついています。
茶臼山横にある河底池は和気清麻呂が大和川の流れを変えようとして失敗した跡だと言われています。近鉄に河堀口駅があり、ここから上町台地開削工事をはじめました。和気清麻呂といえば宇佐八幡の神託を伝え、道鏡の皇位就任をはばんだとして有名で戦前は拾円紙幣の肖像画になっていました。大和川の付替えは江戸時代の中甚兵衛によって、ようやくなしえました。

11月4日は中小企業診断士の日

太閤園
11月4日はポッキーの日ではなく”中小企業診断士の日”です。ちなみにポッキーの日は11月11日です。
中小企業診断士の日を制定しようということで今年からできました。今日は”中小企業診断士の日”制定&大阪府中小企業診断協会60周年ということで13時から太閤園でセレモニーが行われました。
それはよいのですが大阪府よろず支援拠点のコーディネータはほとんどが中小企業診断士なんで、今日は2名体制という超弱小体制になっています。隣の大阪府中小企業診断協会は皆、出払っているので事務所はお休み状態になっています。
基調講演は「良い会社100の指標」ということで法政大学院政策創造研究科の阪本光司教授。社員とその家族を大切にするのは経営者として考えなければいけませんが、同様に大切なのが社外社員。つまり取引先です。手形じゃなくちゃんと現金で、相手の資金繰りを考えてすぐに払っているかどうか、コスト削減といって値引きを要求せず適性な料金を支払っているかということで、どっかの自動車会社には耳の痛い話をしていました。取引先のことを考えて毎週、支払っている企業の紹介もありました。
フォーラムのあとは別館でパーティ!今、帰ってきました。

真田丸跡

真田丸跡
大河ドラマ「真田丸」はいよいよ真田信繁が総構の外に築いた出丸・真田丸の登場になります。
ファイテング・コンサルタンツという、いつもは雑談して酒ばっかり飲んでいる研究会があるんですが、珍しく文化的に真田の史跡を巡る回でした。
朝、玉造駅に集合、三光神社へ向かいますが、団体客も来てすごい人。そうそうに退散して心眼寺の方へ。ここは堀跡が道路跡として残っていて、昔の切岸を体感できます。心眼寺を過ぎて、大阪明星学園へ。ここが真田丸跡の中心です。
昔は説明版も何もなく、知る人ぞ知る場所でしたが校舎横に説明版ができていました。大河ドラマの影響はすごいですねえ。