映画「スティーブ・ジョブズ」が11月に公開されます。
アップルのスタートはガレージでした。スティーブ・ジョブズの実家のガレージで1976年にスタート。このガレージからAPPLEⅠが生まれます。スティーブ・ジョブズは学生時代にヒューレット・パッカードでバイトをしていましたので、ベンチャーの社風を真似てガレージで創業しました。
■ガレージで創業した最初はヒューレット・パッカード社
プリンター販売では世界一のヒューレット・パッカード社。創業はガレージでした。1938年にスタンフォード大学を卒業したビル・ヒューレットとデイブ・パッカードが小さなガレージを借り(家賃は月45ドル)、このガレージで初の特許製品であるオーディオ発振器を開発。
資本金はわずか538ドルでした。ヒューレット・パッカード社の最初のお客さんはウォルトディズニースタジオで、映画「ファンタジア」のサウンドシステム開発用に発振器が8台売れました。
■ヒューレット・パッカード社のガレージは史跡に
ガレージの場所はカリフォルニア州パロアルト市アディソン通367番地。もともとはパロアルトの初代市長であるスペンサー博士が建てました。2005年にはガレージと家が復元され、シリコンバレー発祥の地としてカリフォルニア州の歴史的建造物になり、2007年にはアメリカの史跡に指定されています。
デイブ・パッカードはガレージの表側にある家に夫妻で住んでいましたが、独身だったビル・ヒューレットは結婚するまでガレージに住んでいました。日本のガレージは狭く、車を入れたら終わりですがアメリカのガレージはなかなか大きいですね。
■アマゾンももガレージからスタート
アマゾンもシアトルのガレージから出発しましたが、創業者のジェフ・ベゾスによるとアマゾンが成功した時に、「アマゾンもガレージからスタートした」と言いたいがためにわざわざガレージで創業したそうです。
鉄道マニアの聖地 桑名駅近くの踏切
桑名駅のすぐそばに三岐鉄道北勢線の西桑名駅があります。この西桑名駅を過ぎて、ステーションホテル桑名のちょっと先に行ったところに人と自転車が通れる小さな踏切があります。
この何のへんてつもない踏切が鉄道マニアの聖地です。踏切の一番、東側を走っているのが三岐鉄道北勢線。ナローゲージ(762mm)という昔の軽便鉄道の線路の規格でとっても狭い幅の線路があります。今やナローゲージで現役の電車が走っているのは、この北勢線と四日市から出ている近鉄内部・八王子線しかありません。
真ん中を走っているのがJRで、JRの軌道は狭軌(1067mm)。一番西側を走っているのが近鉄で、近鉄の軌道は広軌(1435mm)で新幹線と同じです。
この桑名駅近くの踏切ではナローゲージ、狭軌、広軌の3つをいっぺんに渡れるという日本でただ一つの踏切。北勢線はこの踏切を過ぎると大きくカーブ―してJRと近鉄を橋脚でまたいでいきますので線路が3つ揃うのは、この踏切しかありません。
地元・桑名の人もなかなか知らない聖地です。
桑名商工会議所でセミナー
浜松城(出世城)
掛川城
駿府城
木木会 中小企業診断士の交流会
大阪府中小企業診断協会の木木会に参加
木木会とは大阪府中小企業診断協会に3つある診断士交流会の一つで毎月第2木曜日に開催しています。場所はマイドーム大阪7階にある大阪府中小企業診断協会のセミナールーム。今回から冷房が入っていて快適でした!
毎回2名の診断士が持ち回りで発表するんですが、トップバッターは幹事役の影山さん。FP1級&税理士&診断士というすごい方なんですが、高所恐怖症でありながらパラグライダー・パイロットの資格もお持ちです。
クレーム対応などのお話しをしていただきました。コールセンターでは、かかってくる電話に対してきっちり対応しないといけなく、瞬時に丁寧語や謙譲語が出てこなければなりません。
というわけで皆さんにあてて答えるわけですが、けっこう難しいですね。
「言う」の丁寧語はもちろん「おっしゃる」。大阪弁の「言わはる」ではダメです。
紳士は互いの信書は読まないものである
セミナー:スマホ、タブレットを使って
土曜の夜は奈良県中小企業青年中央会でセミナーを担当してきました。
タイトルは「スマホ、タブレットを使って会社のレベルをあげよう」。新しい情報機器であるスマホ、タブレットが登場し、今後の経営としてどういうことを考えないといけないかをテーマにした内容です。
奈良県社会福祉総合センターの前にあったのが龍の噴水(?)。なんで龍なのかよく分かりませんが、龍神信仰でもあるのかなあ。
本薬師寺跡
土曜日に畝傍御陵前駅近くでセミナーでしたので、近くにある本薬師寺跡へ行ってきました。写真は塔跡から見た畝傍山です。
大和三山に囲まれた地域で古代には藤原京がありました。西ノ京に薬師寺がありますが、平城京遷都の時に移転しましたので、、ここは「本薬師寺跡(もとやくしじあと)」と呼ばれています。
本薬師寺跡は住宅街を抜けたところにあり、入口に案内がなければ通り過ぎるところでした。小さなお堂と金堂の礎石が残っています。周囲は湿地帯になっていて2つ盛り上がったところがあり、ここが塔跡で、こちらにも礎石が残っています。伽藍配置は西ノ京の薬師寺と同じだったんですね。
680年、、天武天皇が鵜野讃良(うののさらら)皇后【後の持統天皇】の病気平癒を祈願して建立されました。従来は平城京への移転説が主流でしたが、発掘調査によるとしばらく併存していたようで、今は西ノ京の薬師寺は移転ではなく新築説が有力です。ただ本薬師寺と同じ古い瓦が出たこともあり、、西塔は藤原京からの移築だったとする説もあるようです。



