壬申の乱

今日は奈良の八木駅経由で三重の桔梗が丘にある企業さんへIT相談に行ってきました。
八木駅からのんびり近鉄の各駅停車に乗って行きましたが、この近鉄のコースってちょうど大海人皇子が吉野を脱出して東へ向かったコースに重なります。
大海人皇子が吉野を出たのが672年6月24日。
大宇陀を抜けて榛原駅(菟田郡家)に着き、ここから現在の近鉄線に重なります。
榛原駅の次の室生口大野駅(大野)へ着いた頃には日が暮れてしまいました。先を急いでいる大海人皇子一行はそのまま三本松、赤目口を抜けて名張駅(隠郡)へ、着いたのは真夜中でした。ここから近鉄を離れて伊賀へ向かいます。着いたのは25日の夜明けでした。
今でしたら八木駅から名張駅って各駅停車でも30分ほどで着きますが、当時は大変だったでしょうねえ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です