黒塚砦・柳本陣屋

黒塚砦・柳本陣屋

真田幸村が砦とした岡ミサンザイ古墳や安閑天皇陵を主郭とした高屋城など、古墳は砦として活用されました。本当の継体天皇陵といわれる今城塚古墳は信長が三好家を攻めた時に城砦にしたと言われていましたが、堀切と思われていたのは地震の跡だったようです。

柳本に黒塚古墳というとっても有名な古墳があります。33面の三角縁神獣鏡が出土し、魏の皇帝が卑弥呼に銅鏡百枚を下賜したという魏志倭人伝の記録から卑弥呼の鏡と大騒ぎされた古墳です。この古墳も戦国時代は砦となり柳本城とか黒塚砦と呼ばれていました。写真にある前方部と後円部の間に堀切がありました。

龍王山城を造った十市氏ですが、家臣が筒井派と松永派に分かれて争うことになってしまいます。松永派は松永久秀の嫡男である松永久通と十市遠勝の娘が龍王山城で結婚し、巻き返すなどいろいろありましたが、松永久秀が信貴山城で信長に反抗した時に、黒塚砦にいた松永久通は攻撃をうけ自刃してしまいます。

江戸時代となり織田長益(有楽斎)の息子が柳本藩を起こし、陣屋がこの黒塚古墳を堀代わりに取り込んだ形で出来上がります。陣屋の中心地は柳本小学校の敷地となっています。

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