西阿が造った六城

西阿が造った六城

大寒で山城シーズン真っ最中だというのに大阪は朝から雨。仕方ないので山城登りは断念して、いろいろと調べものをしています。本当は原稿も書かないといけないんですが、明日できることは明日やろうっと!(笑)

【南朝の武士 西阿】
最近、面白いのが南北朝時代に活躍した西阿(さいあ)という大和武士。後醍醐天皇側につき現在の桜井周辺が西阿の基盤でした。桜井は東国に通じる伊勢道をおさえる拠点でしたが、西阿はここに6つの城を築きます。

対する北朝側は桜井の北にある櫟本(天理)に軍を派遣し、西阿軍と戦闘となります。西阿軍は形勢不利だったようで桜井のすぐ南にある安倍山城に北朝側が陣をしき、吉野との連絡網が遮断されます。北と南からの北朝側の攻撃で桜井一帯が戦場となり、結局は六城とも落城し、西阿は討死したようです。

【西阿の六城】
戒重城-平城。春日神社一帯で、江戸時代に戒重陣屋となったため遺構は残っていません。

河合城(川合)-平城。市街地でどこにあったか分からず。微高地の一番高い所が桜井駅なので駅周辺に河合城があった模様。

安房城(粟殿)-平城。市街地でどこにあったか分からず。

鵄(鳥見山)城-山城。2つの峰に郭が造られており、かなりの規模。戦国時代にだいぶ改変されたようです。

赤尾城-山城。丘の上にいくつも郭が造られており、かなり大規模。戦国時代にだいぶ改変された模様。

外鎌城-山城。西阿の詰めの城で、割と単純な郭なので西阿時代のものが色濃く残っていそう。山頂に西阿の碑があります。

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