敦賀運河

敦賀運河
敦賀運河

古代、交通の大動脈といえば琵琶湖でした。なんせ大量の物を運ぶには船が一番です。継体天皇は応神天皇5世の孫で、ほとんど血縁関係がなく、この時に王朝が変わったという_unga説があります。継体天皇が選ばれたのは日本海-琵琶湖-宇治川-淀川-瀬戸内海の水運を抑えていたからでした。織田信長も琵琶湖の水運を重視しており、秀吉の長浜城、信長の安土城、光秀の坂本城、織田信澄の大溝城で琵琶湖を取り囲むネットワークを築きます。

琵琶湖の水運でネックだったのが敦賀と近江塩津との間、急峻な山が続きJR北陸本線はループ線になっています。なんとか運河を作ろうと平重盛が計画しましたが断念。敦賀城主となった大谷吉継も挑戦しましたが断念。江戸時代になって幕府も挑戦しましたが、結局はダメで途中の敦賀から疋田までは何とか運河にし、ここから山越えになりました。その名残が疋田の町に残る疋田舟川です。計画は昭和にもあり、それが日本横断運河ですが、結局、断念しました。

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