越塚御門古墳

越塚御門古墳(こしつかごもんこふん)

越塚御門古墳
越塚御門古墳

牽牛子塚古墳に隣接し2010年に発見された古墳です。整備のために牽牛子塚古墳周辺の発掘をしている時に見つかりました。牽牛子塚古墳が八角形の墳丘で、しかも石室が2つあった合葬墓から斉明天皇と娘の間人皇女が被葬者と考えられていますが、日本書紀に「皇孫太田皇女を、斉明陵の前の墓に葬す」と記載されているので、牽牛子塚古墳の目の前にある越塚御門古墳の被葬者は太田皇女でしょう。

■太田皇女とは
太田皇女とは斉明天皇の孫娘となり、天智天皇の娘で、後の持統天皇の姉にあたります。大津皇子のお母さんですね。持統天皇は息子である草壁皇子を天皇とすべく、競争者だった姉の子である大津皇子を謀反の疑いで殺してしまいます。太田皇女は大津皇子が4歳頃に亡くなっていて後ろ盾になりませんでした。ドロドロとした「天上の虹」の世界です。大津皇子の墓は二上山上にあるとされていますが、謀反人を山上に葬るとは考えにくく、麓の鳥谷口古墳ではないかという説があります。

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