
岸和田城のすぐ西側(海側)を走っているのが熊野街道。大坂と熊野(和歌山)を結ぶ街道で大坂ではマイドーム大阪のすぐ近くの中大江公園の横を熊野街道が走っています。この街道から少し海側に行ったところにあったのが防潮石垣です。
岡部氏が岸和田城城主になる前の松平時代にできた古い石垣です。海ははるか西側になりましたが、当時、もっと内陸部まで海でした。800メートルにもわたる石垣でしたが、明治維新後に大部分が破壊され、今は住宅街の中に9メートルほどが残っています。
投稿者: mizutani
岸和田城

桶狭間の合戦の時、今川側の最前線だったのが鳴海城。織田信長は鳴海城対策のため周囲に丹下砦、善照寺砦、中嶋砦を築きました。この時、鳴海城を守っていたのが今川家家臣だった岡部元信。
本貫は駿河国志太郡岡部郷です。桶狭間の合戦で今川義元が討ち取られても岡部元信の織田家と戦いを続けます。開城をうながすと主君・義元の首と引き換えならということで、織田信長も敵ながらあっぱれと思ったのか義元の首級を棺に納めて渡し、鳴海城は受け渡されました。帰りがけには刈谷城を攻撃し、織田方の水野信近を討ち取ったとも伝わる剛の者です。
岡部家は今川が滅んだ後は武田に仕え、武田が滅ぶと徳川家康に仕えました。江戸時代となり、この岡部一族が藩主として入ったのが岸和田城です。岡部家は13代、明治まで続きました。
長谷寺 二本の杉

高束城跡から石畳の道をずっと下ると初瀬ダムがあります。ここから初瀬川となり、やがて大和川になって大阪湾へ至ります。
初瀬ダムから初瀬川沿いに下っていくと牡丹で有名な花の御寺である長谷寺があります。ふつうは近鉄の長谷寺駅から行くのですが、山側から行くのも、なかかなオススメです。長谷寺に着き、境内入口で待っているのが399段の登廊です。
長谷寺の創建は奈良時代で、平安時代には貴族の信仰を集め、枕草子、源氏物語などにも登場します。登回廊の途中から藤原定家塚へ行く道があり、途中にあるのが二本(ふたもと)の杉で、この杉は源氏物語の第22帖「玉鬘(夕顔の娘の名前)」で登場します。
長谷寺の御利益を頼みに参詣の旅に出た玉鬘が、夕顔(母親)の女房である右近と再会するのが二本の杉で、根元から二本に別れています。再会がかなう霊木とされており現在もあります。早い話がパワースポットの一つなんですが、全然知られていないようで観光客は誰もいません(笑)。再会で縁結びじゃないからかな~あ。
四十九駅(伊賀鉄道)ができていた

久しぶりに忍者の里・伊賀上野へ
昔、西岡たかしの名曲「上野市(うえのまち)」で歌われたのが伊賀鉄道です。”桑町~茅町~広小路~もう一つ揺られて上野市(うえのまち)”という伊賀鉄道の駅名が登場します。伊賀鉄道は江の島電鉄のように住宅街の間を通り風情がありますね。また松本零士のイラストで有名です。
伊賀鉄道の車両が少し変わっていてインバウンド対応のために料金案内が英語、中国語、韓国語になっていました。JRにしろ近鉄にしろ鉄道で伊賀上野に入るには伊賀鉄道しかありません。
■四十九駅が誕生
また猪田道駅と桑町駅の間に四十九(しじゅうく)駅という新駅ができていました。3月17日にできたばっかりだそうです。しかも桑町駅からそれほど離れていません。新駅ができた理由は市役所の建て替え問題が背景にあります。
現在、伊賀鉄道の上野市駅近くに伊賀市役所があり、伊賀上野城のすぐそばなんですが老朽化による建て替え問題がありました。現在地で建て替えするか、少し離れた伊賀県民局の横にするか討議が行われ、車社会ということもあり伊賀県民局のそば(名阪が近い)に決定しました。それで最寄駅として四十九駅が出来ましたが、桑町駅から行くのと、それほど変わりません。地元では新駅のすぐそばにあるイオンのためだと言われています。(笑)
ビジネスの詐欺メール・なりすましメール対策
一見したところ本物そっくりのメール、でも、実はこれが詐欺メール、というものが増えています。
いつも届くメールアドレスだからといって安心ではなく、アメリカ大統領になりすまして送ることだってできるのです。最近は企業を標的にしたビジネス詐欺メールが増加し、被害額も大きくなっています。
日本航空(JAL)がビジネスメール詐欺で約3億8000万円をだまし取られました
→ ビジネスの詐欺メール・なりすましメール対策
3月20日はAll About「企業のIT活用」16周年

3月20日、All About「企業のIT活用」は16周年を迎えます。パチ、パチ!
2002年3月20日に「企業のIT導入(今と名前が違っていました)」がオープン。コンシューマ向けが多いAll Aboutでは珍しくビジネス向けサイトでした。2002年といえばヨーロッパで通貨ユーロが誕生し、小泉首相が北朝鮮を訪問した年です。遠い昔ですな~あ。
そもそも前年秋に「企業のIT導入」でガイド募集しているのを見つけ、これならいけると応募したら、なんやらかんやら当時は3ケ月ほど試験がありました。合格してからも大変で、年明けからオープンに向けて、記事のストック作りとジャンルごとのリンク集(当時はありました)の準備。オープンしてからも、ほぼ毎週、記事の執筆とメルマガ発行があり、追いまくられましたね。
そんなこんなでガイド記事の累積をみると395本です。あと5本で400本だ~あ!
写真はオープンした頃のもので、現在のサイトとだいぶ違っています。ガイドもまだまだ少なかった時期で、All About自体もAll About Japanの時代でした。
さあ、今月分の記事を書かないと!
高束城(宇陀)

春日宮天皇妃陵から鳥見山を経由して山道をひたすら歩くと高束山・山頂に城跡があります。登山道の途中に高束城についての案内板があるので、場所はすぐに分かるのですが城へ登る道がない。仕方ないので山裾をまわって一番下の郭から何とか入りました。実は反対側に虎口があり、帰りは簡単に登山道へ出ることができました。登山道に何の案内もないので、この入口を見つけるのはちょっと大変。
高束城は、高束山の1ケ所だけでなく、付近の尾根4ケ所に築かれた巨大な城になっています。縄張り図をもとに探したのですが、他の3つは結局、分からずじまいでした。
高束城を造ったのは長谷寺に関係した藤原家賢という人物で898年に造ったという記録が残っています。戦国時代には松永久秀の攻撃を受け1564年6月1日に落城し、城主だった藤原順賢も討死したと案内板に書いてありました。高束山をずっと降りていくと石畳の道などがあり、さらに降りると長谷寺に至ります。
春日宮天皇妃陵 ひょっとしたら山城跡?

奈良の榛原駅から鳥見山へ向かう途中にあるのが春日宮天皇妃陵。
春日宮天皇というのは天智天皇の王子だった志貴皇子のこと。里中満智子「天上の虹」にも登場します。権力闘争の宮中から離れ、歌人として文化的に生き、万葉集にも歌が採用されています。息子が光仁天皇となり孫が桓武天皇となります。自身は天皇になることはなく光仁天皇によって春日宮天皇の追尊をうけます。
志貴皇子の妃は何名かいるのですが春日宮天皇妃陵は紀橡姫(光仁天皇のお母さん)が葬られています。ただし明治27年に治定されていますので、本当かどうか分かりません。尾根筋の細い道を歩いた山頂に陵はあります。この尾根筋の道ですが途中で、どう見ても堀切と土橋のセットがありました。山頂は郭を造れる広さがあり、ひょっとすると、まだ知られていない山城かもしれません
薬師寺
神足城 復元された勝竜寺城の外郭

JR東海道線に長岡京駅という駅があります。少し前までは神足(こうたり)駅という名前でした。地名の由来は「神様が来てくれた」という意味の「神至り(かむいたり)」と言われています。
駅から少し行ったところに神足神社があります。神足神社には西岡36人衆の一人神足氏の神足城がありました、城は単郭だったようです。ところが勝竜寺城の築城に際して曲輪の一部として取り込まれてしまいました。
以前、神足神社に行った時は境内入口近くの右手に細長い藪があって、うっそうとした藪の中に入り込むと土塁や土橋を楽しむことができました。
先日、久しぶりに行ったら滅茶苦茶きれいに公園として整備されていてビックリ。説明版も設置されていました。写真の左手が勝竜寺城の外郭土塁で真ん中に虎口があります。右手から空堀にかかる土橋を渡って虎口に侵入しますが、両側の土塁から横矢がかかるようになっています。これを”横矢掛かりの虎口”と言います。公園化に向けた発掘調査では神足城時代の土塁や空堀が見つかったそうです。
