COBOLに罪はない

今朝(8/12)の日経新聞・朝刊に載っていたのが「COBOLに罪はない」という記事。懐かしいなあ。昔、よくCOBOLでプログラミングしていました。COBOLが登場したのは1959年、今年還暦を迎える言語です。そうそう基本情報技術者試験のプログラミング試験からCOBOLがなくなり、Pythonになるそうです。

COBOLといっても業界の人間しか知りませんので、昔、リクナビNEXTの「エンジニア専門用語・該当実験室」で、「コボルって何?」と聞かれた渋谷の女子高生の回答は「蛇の名前」、「雑誌の名前」でした。ちなみに女子大生の回答は「メキシコの食べ物」です。

このCOBOLですが、まだまだ現役で、統計不正で問題となった厚労省の毎月勤労統計システムがCOBOLで書かれていた記事を見て唖然とした覚えがあります。日本のITシステムが刷新できない理由の一つがレガシーシステムの存在。システムの多くがCOBOLで書かれておりブラックボックス化しているため手を付けられない状況になっています。

放置してきたのが情報戦略を主導できないトップの存在。セブンペイの記者会見を見ても、基本的なセキュリティが分かっていない経営者が登場していましたが、あれが現状です。

このCOBOL作成に関わった女性が、グレース・ホッパーという女性で実はバグという言葉の生みの親です。というわけで詳しくは「バグは本当に虫だった」をどうぞ!

バグは本当に虫だった

本願寺の戦いの舞台「楼の岸砦」

楼の岸砦
楼の岸砦

エル・大阪(天満橋)近くにあるのが坐摩神社行宮。ここにあったのが信長が造った楼の岸砦ではと伝わっています。

織田信長が姉川の合戦で浅井・朝倉と近江で戦っている頃、信長のいない摂津に阿波から三好三人衆が進出し福島と野田に砦を築きます。対応するため信長は天王寺に砦を築き本陣にし、野田、福島砦近くに楼の岸砦や川口砦を造ります。信長は三好三人衆を、もう一歩というところまで追い込みますが、この時、大坂の町に半鐘の音が鳴り響き、石山本願寺が突如、信長軍に攻め込んできます。よく映画などで描かれるシーンで信長公記などに記録されています。ここから石山本願寺との十年に及ぶ戦いが始まります。

坐摩神社行宮は上町大地の北西にあり、ここから高台になっています。楼の岸砦は石山本願寺に奪われ、天王寺の戦いでは楼の岸砦から1万もの軍勢が出撃して天王寺砦を取り囲み、守っていた明智光秀を追い込みます。急報を聞いた信長は京都からわずかな手勢を率いて本願寺勢を強襲して明智光秀を助けます。この時に信長は敵の鉄砲を足に受けて軽傷を負いますが、来年の大河ドラマでは絶対に出てくるシーンでしょう。

ただ1万もの軍勢が駐屯できた砦ですので高台にある北大江公園あたりに楼の岸砦の中心地があったのでしょう。

セミナー月間が終了

セミナー
セミナー

本日は大阪商工会議所・東支部で「見て納得 集客できるホームページの魅力づくり~自社の魅力を発信して売上向上や人材確保につなげる方法~」のセミナー。昨日に続いてスーツ姿で京橋を歩いておりましたが暑い、暑い!!ほんまにうだるような暑さです。 

大阪商工会議所は5支部6回のセミナーで他にも昨日の三重県中小企業団体中央会などのセミナーなどもあり7月は週のうち1、2回はセミナーという珍しいセミナー月間でした。本日でようやく終了。とりあえずセミナーでノドが渇いたの水分補給しないと!

超スマート社会到来までにすべきこと

超スマート社会到来までにすべきこと
超スマート社会到来までにすべきこと

三重県団体中央会が実施している中央会夏期セミナー(組合役職員等講習会)で講師をしてきました。場所は津新町駅近くのプラザ洞津です。出席者の多くは役職員なんで理事会メンバーが多かったですね。テーマは「超スマート社会到来までにすべきこと~社会が変わる中、組合、企業はどのように対応すべきか~」で内容はIot、AI、ソサエティ5.0、ブロックチェーンについてです。それにしても今日は暑かったですね。セミナー講師なんでスーツを着込んでいきましたが歩いているとクラクラしてました。

三重大学でScratch

scratch
Scratch

三重大学・教育学部の学生を教えていますが、将来は小学校、中学校、高等学校などの先生を目指しています。

先生の必須項目が学習指導要領なんですが、新しくなっていて2020年度、つまり来年から小学校でプログラミング教育がはじまりますって....先日知りました(笑)。当初はJavaScriptでプログラミング教育をしようかなと思っていたんですが、急遽内容を変更してScratchに変更。ScratchとはMITメディアラボが開発した子供用プログラミング環境です。ブロックを組み合わせることで猫(Scratchキャット)などを動かせプログラミングが学べます。

けっこう簡単に覚えられるので猫を動かし、教室中に「ニャー」という声が鳴いていました。

ロータス123は悟りから

蓮

枚岡公園近くの重願寺で蓮が咲いていました。蓮といえば「悟り」をあらわし英語名はロータスです。1983年に発売されたのがロータス1-2-3(ワンツースリー)。 

当時の表計算ソフトといえば、マルチプランでした。ロータス1-2-3はマルチプランの使いにくい点を改良。使いやすいロータス1-2-3が表計算ソフトのデファクト・スタンダード(事実上の標準)となっていきます。当時、ロータス1-2-3の売上だけで、マイクロソフトの売上を上回っていました。 

1983年、ロータス1-2-3に対抗するためコードネーム「オデッセイ」というプロジェクトがマイクロソフトに組織されます。これが現在のエクセルとなります。この頃は今のようなオフィス全盛の時代になるとは誰も思ってなかったですね。 

ロータス1-2-3を開発したのがミッチ・ケイパー。全米を放浪し超越的瞑想に凝っていました。ですので社名もロータス(蓮)にします。 

詳しくは「バグは本当に虫だった」(ペンコム社)をぜひどうぞ! 

津駅前に串カツ田中

昨日は一日、LEC梅田で経営情報システムの総まとめ講座。いよいよ試験まで1ケ月を切りました。受験生の皆さん、最後の追い込みがんばってください。

帰りにホワイティ梅田を歩いているとヨネヤの立ち飲みコーナーが空いているじゃないですかあ。というわけで軽く串カツで一杯ひっかけて帰りました。

そういえば津駅前に串カツ田中の新店舗ができていて看板には名物串カツ大阪伝統の味と書かれています。伝統の味と言われてもね~、単に串カツじゃないですかあ...(笑)。

二十歳の原点

二十歳の原点
二十歳の原点

先日、丸善をのぞいていた時、面陳列されていたのが「二十歳の原点 コミック版」。

また懐かしい本がコミックになったんですねえ!ラベルには「今のままじゃダメだと感じている全ての人に」とあります。50年ほど前、立命館大学は衣笠ではなく河原町広小路にありました。跡地の一部は以前に勤務していた関西文理学園が買って、今は長浜バイオ大学の学舎などになっています。京都府立医大のあたりも立命館大学でした。

学生運動が盛んな頃、立命館で学生生活をしていた高野悦子が書いていた日記が「二十歳の原点」です。「独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である」という言葉からタイトルになりましたが、本を読むと朝日ジャーナルやら哲学書など、よく読んでいますねえ。最後は「旅に出よう テントとシュラフの入ったザックをしょい ポケットには1箱の煙草と笛をもち 旅に出よう...」で終わります。当時は二十歳になったら読む本で影響を受けた若者が私も含め多かったですね。

おおさか東線

おおさか東線
おおさか東線

東大阪からJRで京都や東京へ行く時に便利なのが「おおさか東線」。従来は大和路線の久宝寺駅から片町線の放出(はなてん)駅までですが、放出駅から延伸されて新大阪駅に接続されました。ダイヤは15分に1本と大阪にしては少ないのですが混み合う本町などを経由せずにすみます。

■赤川鉄橋
放出から新大阪までは城東貨物線が通っていたのですが「おおさか東線」にするために複線化されました。途中、淀川には赤川鉄橋がかかっていて、昔、上新庄に住んでいた頃、通勤はラッシュで混み合う阪急電車でした。

晴れた日は、この赤川鉄橋を自転車で渡り毛馬から中之島を通って堂島の会社まで自転車通勤していました。貨物線のすぐ横に歩道があり、貨物列車が通ると風圧で淀川に飛ばされるようになる鉄橋でした。この歩道をつぶして複線化されたので、今は通れません。

この懐かしい赤川鉄橋を通って列車は新大阪へ向かいます。おおさか東線には時たま貨物も通っています。