近江浮気城

近江浮気城
近江浮気城

近江浮気城です。

不倫かいなと疑うような名称ですが、浮気は「うわき」ではなく「ふけ」と読みます。伏流水が湧き出し、湿地帯で水蒸気が漂う土地のことを”水がふける”というそうで浮気となりました。今も水路が巡り、津和野のように水路をでかい鯉が泳いでいました。

浮気城は近江国栗太郡物部郷の一部にあります。浮気城は浮気時房によって築かれたとされていまれす。浮気氏は、もともと北条氏の出身で、北条時綱が浮気を領したことから移住し、地名を名字にして本貫にしました。その後、浮気氏は後醍醐天皇や佐々木六角氏に仕えたようです。佐々木六角氏側で織田信長と戦いましたが、佐々木六角氏が滅亡した後は織田、豊臣に仕えました。織田信長が金森御坊の一向一揆衆と対峙したおり、浮気城を拠点の一つとしたと伝えられています。

近江浮気城は平城で現在は住吉神社境内になっています。裏側に土塁や堀跡が残っていて、周りが湿地帯でしたので大和筒井城のように攻めにくい城だったようです。

日羅碑

日羅碑
日羅碑

帝国ホテル大阪の近くに日羅碑があります。日羅、懐かしい名前ですね。「日出処の天子」(山岸凉子)に登場します。 

百済から来た僧、日羅に女装までして厩戸皇子が会いにいきます。ここに新羅から渡来していた淡水(たんすい)という人物が同席していました。韓流ドラマでおなじみの花郎(ファロン)の一員です。 

淡水は厩戸皇子を弥勒仙花の生まれ変わりとして心酔していました。弥勒仙花というのは弥勒が花郎に化してこの世に出現した姿をいいます。ところが厩戸皇子と会った日羅が、一目で厩戸皇子の異形を見抜いてしまい、「そこにいる童は人にあらず」と言ったことから、この淡水が日羅を暗殺してしまいます。 

というのはコミックの話。 

実際の日羅は大伴氏に従い朝鮮半島に渡った武人の息子で、百済の高級官僚になっていました。敏達天皇の要請により583年、日本に帰国、敏達天皇に朝鮮半島に対する今後の方針について聞かれたところ、答えたのが百済に不利な内容だったため、百済の役人に難波で殺されてしまいました。日羅を葬った初葬の地がこの日羅碑があるあたりと伝わっています。

複業のはじめ方

複業のはじめ方
複業のはじめ方

5月に知的生産の技術研究会・関西で「スキマ時間を生かす新しい副業」というタイトルでセミナーをしていただいた藤木さんの新著「会社を辞めずに“好き”“得意”で稼ぐ!  複業のはじめ方」です。

四日市の丸善に面陳列されていました。おすすめは30代のビジネスパーソンですねえ。

副業ではなく複業というタイトルがついている点がミソ。会社が一生面倒をみてくれる良き時代は終わり、自分中心の生活設計を考えなければなりません。従業員としてはエンプロイアビリティ(雇用され得る能力)を持つことも重要です。そのためには外からいろいろな刺激をうけたり、会社では出会えない人との交流が重要になります。そこで会社に勤めて生活の安定を確保しながら静かな複業をはじめるための入門書になっています。

華燭の典

帝国ホテル
帝国ホテル

最近、結婚式に出る機会なんてほとんどないのですが久しぶりに帝国ホテルでの結婚式に出席してきました。新郎は足立さん(中小企業診断士+行政書士)、新婦は中澤さん(中小企業診断士+弁護士)で中小企業診断士のイベントで出会われたそうです。 

一昨日、確か12:30からだなと披露宴の参加時間を確認すると小さな紙がホロリ。紙には結婚式にも参列してねとチャペルでの集合時間(11:20)が書かれていました。参加時間が1時間、早まりましたが気がついてよかった! 

帝国ホテルのチャペル結婚式ですが、めちゃくちゃ贅沢でパイプオルガンが流れトランペット演奏や声楽の生歌です。本格的ですねえ。続いて披露宴ですが、最近は仲人さんってないんですね。それよりも驚いたのが最初の入場で新郎・新婦がダンスして登場したこと。最近の結婚式はめちゃくちゃ変わっているんですねえ。

ちとせの伊勢うどん定食

伊勢うどん定食
伊勢うどん定食

伊勢商工会議所へは火曜日に行くことが多いのですが、久しぶりに木曜日に来ております。
というわけで火、水が定休日になったため、すっかり足が遠のいた「ちとせ」へ。久しぶりに伊勢うどん定食(750円)を食べてきました。
伊勢うどんの特徴は黒く濃厚なつゆと腰がない太い麺で、刻み葱をからめて食べるソウルフードですね。

レポートの採点

Moodle
Moodle

世間ではお盆休みとか夏休みとかいう魅力的な行事が進行しているそうですが、縁なき衆生のため爪に火を灯すように仕事しています。

仕事の一つが情報科学基礎の採点。面倒なので前期末の最終試験はレポート提出にしています。だいたいレポートにすると大学に行かなくてもすみます(笑)。三重大学ではMoodle(オープンソースの学習管理システム)を使っているので課題提出を作って、学生は、ここにレポートを提出するだけ。

締切を8月10日(土)に設定して、締切後に採点すればすみます。ということで採点しているんですが2名、レポートを提出していない!しょうがないな~あ。そこは、誰も言ってくれませんが”仏の水谷”ですので、早急にレポートを出すようにメール。問題はお盆で大学のメールを読んでいるかどうかですね。採点提出の締切もあるので、とりあえずボールは学生に渡した状態です。

COBOLに罪はない

今朝(8/12)の日経新聞・朝刊に載っていたのが「COBOLに罪はない」という記事。懐かしいなあ。昔、よくCOBOLでプログラミングしていました。COBOLが登場したのは1959年、今年還暦を迎える言語です。そうそう基本情報技術者試験のプログラミング試験からCOBOLがなくなり、Pythonになるそうです。

COBOLといっても業界の人間しか知りませんので、昔、リクナビNEXTの「エンジニア専門用語・該当実験室」で、「コボルって何?」と聞かれた渋谷の女子高生の回答は「蛇の名前」、「雑誌の名前」でした。ちなみに女子大生の回答は「メキシコの食べ物」です。

このCOBOLですが、まだまだ現役で、統計不正で問題となった厚労省の毎月勤労統計システムがCOBOLで書かれていた記事を見て唖然とした覚えがあります。日本のITシステムが刷新できない理由の一つがレガシーシステムの存在。システムの多くがCOBOLで書かれておりブラックボックス化しているため手を付けられない状況になっています。

放置してきたのが情報戦略を主導できないトップの存在。セブンペイの記者会見を見ても、基本的なセキュリティが分かっていない経営者が登場していましたが、あれが現状です。

このCOBOL作成に関わった女性が、グレース・ホッパーという女性で実はバグという言葉の生みの親です。というわけで詳しくは「バグは本当に虫だった」をどうぞ!

バグは本当に虫だった

本願寺の戦いの舞台「楼の岸砦」

楼の岸砦
楼の岸砦

エル・大阪(天満橋)近くにあるのが坐摩神社行宮。ここにあったのが信長が造った楼の岸砦ではと伝わっています。

織田信長が姉川の合戦で浅井・朝倉と近江で戦っている頃、信長のいない摂津に阿波から三好三人衆が進出し福島と野田に砦を築きます。対応するため信長は天王寺に砦を築き本陣にし、野田、福島砦近くに楼の岸砦や川口砦を造ります。信長は三好三人衆を、もう一歩というところまで追い込みますが、この時、大坂の町に半鐘の音が鳴り響き、石山本願寺が突如、信長軍に攻め込んできます。よく映画などで描かれるシーンで信長公記などに記録されています。ここから石山本願寺との十年に及ぶ戦いが始まります。

坐摩神社行宮は上町大地の北西にあり、ここから高台になっています。楼の岸砦は石山本願寺に奪われ、天王寺の戦いでは楼の岸砦から1万もの軍勢が出撃して天王寺砦を取り囲み、守っていた明智光秀を追い込みます。急報を聞いた信長は京都からわずかな手勢を率いて本願寺勢を強襲して明智光秀を助けます。この時に信長は敵の鉄砲を足に受けて軽傷を負いますが、来年の大河ドラマでは絶対に出てくるシーンでしょう。

ただ1万もの軍勢が駐屯できた砦ですので高台にある北大江公園あたりに楼の岸砦の中心地があったのでしょう。

セミナー月間が終了

セミナー
セミナー

本日は大阪商工会議所・東支部で「見て納得 集客できるホームページの魅力づくり~自社の魅力を発信して売上向上や人材確保につなげる方法~」のセミナー。昨日に続いてスーツ姿で京橋を歩いておりましたが暑い、暑い!!ほんまにうだるような暑さです。 

大阪商工会議所は5支部6回のセミナーで他にも昨日の三重県中小企業団体中央会などのセミナーなどもあり7月は週のうち1、2回はセミナーという珍しいセミナー月間でした。本日でようやく終了。とりあえずセミナーでノドが渇いたの水分補給しないと!

超スマート社会到来までにすべきこと

超スマート社会到来までにすべきこと
超スマート社会到来までにすべきこと

三重県団体中央会が実施している中央会夏期セミナー(組合役職員等講習会)で講師をしてきました。場所は津新町駅近くのプラザ洞津です。出席者の多くは役職員なんで理事会メンバーが多かったですね。テーマは「超スマート社会到来までにすべきこと~社会が変わる中、組合、企業はどのように対応すべきか~」で内容はIot、AI、ソサエティ5.0、ブロックチェーンについてです。それにしても今日は暑かったですね。セミナー講師なんでスーツを着込んでいきましたが歩いているとクラクラしてました。