小さな企業 未来会議へ行ってきました

syou201204.jpg日本のほとんどの企業は小規模企業で87%を占めます。小規模企業とは製造業では従業員20人以下、商業・サービス業では従業員 5人以下を言います。我が水谷IT支援事務所も個人事業なので小規模企業です。おまけに従業員ゼロです。

3月から中小企業庁で「ちいさな企業 未来会議」が始まっています。これまでの中小企業政策を見直し、今後の施策のあり方を討議する会議で6月まで日本全国30ケ所で行われます。

今日は東大阪のクリエイション・コアで地方会議が行われましたので、近くですし自転車に乗って行ってきました。「ちいさな企業 未来会議」にはサ
ポーター制度があり、サポーターをやっています。ホームページにサポーター募集が載っていたので、応募したら中小企業庁長官からの委嘱状が届きました。た
ぶん応募したら、誰でもOKだったんでしょう。(笑)

経済産業副大臣、近畿経済産業局長、中小企業庁からは次長がきていました。コアメンバーは20名ほどでサポーターが50名ほど。時間は2時間で、
3つのテーマで話し合われ一般からの意見も受け付けていますが2名ほどしか時間がなかったので、アンケートにいろいろと書いて渡してきました。(意見とし
て集約されるそうです)

会議でも出ていましたが、大切なのはまず自助努力、次に共助、最後は公助にしないと国がもちません。そのためには規制緩和をすすめる、民間の優れた取り組みをバックアップする。補助金制度を必要最低限にするなどの取り組みが必要です。

ICカード免許証

icmenkyo.jpg免許の更新に門真運転免許試験所へ。ここは日曜もやっていて便利。

手続きはいつもと同じなのですが暗証番号の設定という工程が増えていました。平成19年1月から免許証がICカード化され、この内容を読み取るのに暗証番号が必要なんだそうです。

暗証番号を設定するとバーコードが印字された紙が出てきて、この紙をどこで使うのかなと思ったら写真を撮るときに「暗証番号のバーコードを置いてください」と言われ、この工程で設定するんですね。

講習で免許がIC化されたという話と1階に読取装置があるというので、さっそくやってみました。「暗証番号を3回続けて間違えると、ICチップ内
の記録内容が読めなくなります。」と怖いことが書いてあります。免許証を装置に置いて、暗証番号を入れると本籍などが出てきます。その代わり本籍の表示は
免許証からなくなっています。ICチップは埋め込まれているようで表面からは見えなくなっています。

シロモチくんとイシキリン

siromoti201110.jpg「ゆるキャラグランプリ-2011」というイベントが行なわれています。

1日に1回答票ができ、全国のゆるきゃらの順位を決めようという催しです。三重県からは10のゆるキャラがエントリーしています。

・シロモチくん(藤堂高虎の旗印)

・藤堂とらまる(藤堂高虎)

・ゴーちゃん(お江)

・ゆめはまちゃん(桑名の蛤)

・モー太郎(モー太郎弁当 松阪の駅弁)

・つつみん(津餃子)

は知っていますが、他の4つは知らないなあ。北海道の名付け親・松浦武四郎のゆるキャラ「たけちゃん」まであるんですねえ。

私の地元のゆるキャラである東大阪のイシキリンは、今回も強くって現在6位。大阪からは12エントリーしていますがイシキリンしか知らないな~あ。さすがに滋賀の「ひこにゃん」は入っていません。

津にいる時はせっせと「シロモチくん」に投票し、東大阪にいる時は「イシキリン」に投票します。でも、熊本の「くまモン」強いなあ。

▼ゆるキャラグランプリ-2011 シロモチくん
http://www.yurugp.jp/yuruchar.php?id=11&uk=

シャネルと甲冑

yoroi201110.jpg雨の水曜日です。そういえば昔、「雨のウエンズデイ」という歌がありました。懐かしいなあ。

三重県産業支援センターの帰りに津にある老舗百貨店「松菱」へ。産業再生機構によって再生支援された百貨店なんですが、平日の雨ということもあり店内は閑散としていました。お客さんより店員の方が多かったですね。

松菱の1階のエレベータ下に甲冑が7つ並んでいました。一番奥は特徴的な藤堂高虎の甲冑(唐冠 大脇立兜具足)。これら全てが手作りなんですから、すごいですね。

NPO三重ドリームクラブが行っている手作り甲冑教室の作品で、今週の土日に行われる津まつりで使われます。高虎時代絵巻という1608年の安濃津城入城をモデルとした行列があり、早い話がコスプレです。

それにしても甲冑が置いてある松菱1階は化粧品売場で、すぐ隣がシャネル。化粧品と甲冑という意外な取り合わせになっています。まあエレベーター下というデッドスペースなので仕方ないのですが。

桜島が噴火

201110sakura.jpg親戚の結婚式で鹿児島へ。

新大阪から鹿児島中央へ「さくら」で移動。座席が4席でいいですねえ。せっかく鹿児島まで来たので仙巌園へ。昔は磯庭園って言っていたのですが名前が変わったんですね。島津家の反射炉などがあります。

タクシーでホテルに向かう途中で桜島が噴火。

風向きが逆なので市内に火山灰は流れていませんが、先週は市内に積もり大変だったそうです。粘着性が高いため雨が降っても流れないそうで、鹿児島では月に1回、火山灰をいれるための袋が10袋配られるそうです。

和歌山へ

wakayama201109.jpg本日は和歌山商工会議所で「あなたのお店パワーアップ講座」。7月から5回シリースで行なっている講座の最終回で私は最終回のIT講座を担当。夜開催の講座ですが皆さん、熱心でした。

夜の講座でしたので、本日は和歌山に宿泊。知り合いとさっきまで飲んでホテルへ戻ってきました。ダイワロイネットホテル和歌山という和歌山県立医
大の跡地にできたホテルなんだそうで、目の前が和歌山城です。窓からお城が見えるのはいいですねえ。夜はライトアップされ、23時まで点灯していました。

明日は仕事の予定を入れていないので、のんびり東大阪へ帰る予定ですが、どっか観光して帰ります。秀吉が水攻めした太田城は残っていないのと知り
合いに聞くと今は住宅地になってしまって碑しか残っていないということでした。雑賀城は土塁などが残っているはずなので、そっちまで足を伸ばそうかなあ。

10年ほどつとめた社団法人の理事を退任

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大学の帰りに東山三条へ。

社団法人日本ローマ字会の理事会&総会に出席。現在は公益社団法​人「国際日本語学会日本ローマ字会」になっています。10年ほど社団法人日本ローマ字会の理事を担当していましたが公益社団法人化に伴い本部が京都から東京へ移動することとなり、ようやく理事をお役御免になりました。

日本ローマ字会の歴史は古く、設立は明治18年。写真は田中館愛​橘博士が最初に出したのがローマ字世界第一号(明治44年)で、​ローマ字会に1冊だけ残っています。

戦時中は特高にマークされ、戦後はヘボン式ローマ字ではなかった​のでGHQから国粋主義者と見られたなど、いろいろと秘話があり​ます。過去の参加メンバーを見ると寺田寅彦やら各大学の学長、学​者、著名人など綺羅星のごとく名前が並んでいます。日本ローマ字会の最後の会長が梅棹忠夫先生でした。

岡山の市電は100円で乗れる

okayama201105.jpg午後から岡山で仕事。

せっかくなので朝から新幹線に乗って岡山へ。駅前から市電に乗って岡山城と後楽園を見てきました。市電、安くていいですね。岡山城近くの「したしろ」まで運賃は100円でした。しかもPitapaが使えます。

岡山城は宇喜多家のお城でしたが、秀家が関ヶ原の戦いで負けてしまったので小早川秀秋が後に入ります。城内には宇喜多家時代の石垣が今も地下に残っており2ケ所で見れるようになっています。

午後は駅前から両備バスに20分ほど乗ると180円でした。バスもPitapaが使えます。大阪や京都の初乗り200円に比べると安いですなあ!ちょうどお昼に駅前でバスに待っていたら正午に桃太郎の音楽が流れました。さすが岡山。

似顔絵

mizutani2011051.jpg京都の和菓子☆ドットコム」という京菓子を紹介しているサイトがあります。写真がすごくって見ているだけで甘そ~う。このサイトを運営されてている萩谷尚子(はぎたになおこ)さんは漫画家でもあるのですが私の似顔絵を書いて送ってくれました。

これがなかなかの作品で、一番のお気に入りは政治家バージョン。「あなたのITに革命を!」というスローガンはよく分かりませんが、なんかすごそう。(笑)

萩谷さんは青空文庫漫画コンテスト参加作品でトルストイの名作「イワンの馬鹿」をモチーフに大阪風にアレンジした「イワンのパパ」を書かれています。笑えるのですが、いろいろと考えさせられる内容になっています。

社団法人日本ローマ字が公益法人に

roma201105.jpg公益法人制度改革が行われています。日本には2万5千ほど社団法人と財団法人がありますが、公益性の薄れたものや営利法人と変わらない活動をしているところもあり、そこでガラガラポンして見直しが行われています。

各団体は公益認定を受けて公益社団法人、公益財団法人になるか一般社団法人、一般財団法人になるか決めていかなけばなりません。中小企業診断士の会である社団法人中小企業診断協会でもけっこうもめています。

長年、理事をしている社団法人日本ローマ字会が無事に公益社団法人となりました。新しい法人名は国際日本語学会日本ローマ字会。

日本ローマ字会は古い歴史をもっていて明治18年の羅馬字会が元になります。130年も前に始まった会で社団法人化したのが大正15年。昔は石川啄木がローマ字日記を書いていたようにローマ字が脚光をあびていました。

明治、大正、昭和と活動を続けてきました。第二次世界大戦が終わった頃はGHQに目をつけられて大変だった時期もありました。1993年からは梅棹忠夫先
生が会長に。情報化と日本語の国際語の必要性からローマ字運動に燃えておられました。公益法人化に伴い、事務局が京都から東京へ映ることもあり理事もよう
やく退任に。