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夕方、吹上にある名古屋市新事業支援センターを出て近鉄名古屋駅から伊勢中川行きの快速急行に乗って津へ行こうとしたら電車がいない。8分遅れで電車がやってきました。
電車のアナウンスによると早朝に奈良線(難波ー奈良)で人身事故が発生し、上下線とも遅れているとのこと、ネットで調べると菖蒲池(あやめいけ)-大和西大寺間の踏切で特急電車との人身事故が発生したようです。
早朝に起きた、はるかかなたの奈良線の影響が名古屋まで波及するんですね。名古屋は基本的に伊勢・鳥羽・賢島と結んでいますが難波行き特急もあり、大阪線の影響を受けます。大阪線はもろに奈良線の影響を受けるのでドミノ倒しのように愛知県まで影響を受けます。
奈良線は阪神電車と相互乗り入れしていますので三宮まで影響したでしょう。結局、奈良で起きた事故が愛知県、三重県、奈良県、京都府、大阪府、兵庫県と2府3県にまで影響。さすがは日本一の営業キロの近鉄です。
カテゴリー: 鉄道
伊勢電気鉄道
大阪のチンチン電車
今日は住吉さん近くの企業へ行く用事があったので、久しぶりに恵美須町(通天閣のあるところ)から阪堺電車に乗りました。
昔は改札口があった時代もあったんですが、今は道路からそのままホームに入れます。初めて行くと小さな駅名しか出ていないので、駅だと気がつきません。もっとも住吉公園駅なんか宝くじ売り場の奥にホームがあり、知っていなければ駅だとはまず分かりません。
恵比寿町駅を出発すると北天下茶屋駅、聖天坂駅、天神ノ森駅などの由緒ありそうな駅を過ぎ、専用軌道から普通の道路に乗り入れます。ここから、いわゆるチンチン電車になり、道路も狭いので、園舎の後ろに車を従えて進む形になります。
見どころは住吉駅で、ここで天王寺駅前からの路線とクロスしますので、天王寺駅、恵比寿町駅、住吉公園駅、我孫子駅の各方面へ向かう電車が見られます。
堺に入る我孫子駅まで、大阪では「大和川を超えるまで」と言いますが、料金は200円です。天王寺駅からの本数が多いですが、恵比寿町駅からも1時間に5本は出ていますので、なかなか便利。
隣を南海電車が並走していて確かに速いのですが、ひなびた阪堺電車は風情がありますね。
鉄道マニアの聖地 桑名駅近くの踏切
桑名駅のすぐそばに三岐鉄道北勢線の西桑名駅があります。この西桑名駅を過ぎて、ステーションホテル桑名のちょっと先に行ったところに人と自転車が通れる小さな踏切があります。
この何のへんてつもない踏切が鉄道マニアの聖地です。踏切の一番、東側を走っているのが三岐鉄道北勢線。ナローゲージ(762mm)という昔の軽便鉄道の線路の規格でとっても狭い幅の線路があります。今やナローゲージで現役の電車が走っているのは、この北勢線と四日市から出ている近鉄内部・八王子線しかありません。
真ん中を走っているのがJRで、JRの軌道は狭軌(1067mm)。一番西側を走っているのが近鉄で、近鉄の軌道は広軌(1435mm)で新幹線と同じです。
この桑名駅近くの踏切ではナローゲージ、狭軌、広軌の3つをいっぺんに渡れるという日本でただ一つの踏切。北勢線はこの踏切を過ぎると大きくカーブ―してJRと近鉄を橋脚でまたいでいきますので線路が3つ揃うのは、この踏切しかありません。
地元・桑名の人もなかなか知らない聖地です。
90度も曲がる近鉄・南大阪線
鉄道に関する本に近鉄・南大阪線の不思議について書かれていました。
日本一の超高層ビル「あべのハルカス」のある阿部野橋駅から近鉄・南大阪線に乗ると道明寺駅の手前で速度を落とし、ほぼ90度曲がって南に下ります。しばらく走ると古市駅でまたグニャーと曲がって奈良の橿原神宮前駅へ向かいます。
■なんで90度も曲がっているの
なんで90度も曲がっているかといえば応神陵など200メートル級の古墳が点在する古市古墳群があるので、古墳を縫うように走るためという説明を聞いたことがあります。
確かにそうなんですが、もともとはJR柏原駅から出ている現在の道明寺線(上の青い部分)と道明寺駅から古市駅の間、古市から河内長野駅に向かう長野線(下の青い部分)が1本の路線で河陽鉄道という明治31年開業の鉄道会社が運営していました。ですので、もともとは1本のまっすぐな路線だけでした。
■南海に負けたのでカーブが多い路線に
大阪から高野山の参詣客を運ぼうと考え河内長野駅まで線路を伸ばしましたが、高野登山鉄道(南海電車)に高野山まで先にのばされ敗退。
これじゃダメだと大正時代に道明寺駅からミナミの玄関口である阿部野橋駅まで路線を延ばすと、お客さんが増えて成功。次は古市駅から橿原神宮前へのばします。まっすぐな線に後からつけ加えたので、道明寺駅と古市駅でグニャーと曲がる近鉄南大阪線になりました。
孤立した田原本線
特急は止まるが快速急行は止まらない御影駅
おしゃれなマルーン色の阪急電車ではなく、庶民的な阪神電車で神戸・三宮まで行っているのですが、不思議なのが阪神・御影駅。
御影駅は「へ」の字型の急カーブになっていて阪神電車の普通から特急まで全ての電車が止まります。唯一、止まらないのが近鉄から乗り入れている快速急行。駅の直前から徐行運転になりますが、止まらずに御影駅を通過します。
理由は近鉄の車両が阪神よりも長く、「へ」の字に曲がっているホームではうまく止まらないからのようです。ネットで調べると近鉄との乗り入れが始まる前に近鉄の車両を走らせてみたところ、御影駅で車体がすりそうになったそうで、ホームを削ったそうです。電車の相互乗り入れも大変ですね。
近鉄京都線は昔、国鉄奈良線だった
明治から大正になった頃の京都の古地図を買ってきたので、さっきからビール片手に眺めています。
地図をよく見ると京都駅・西側から出ている近鉄線が国鉄になっている!
ずっと線路を追っていくと京阪電気鉄道と丹波市駅近くで交差し、そのまま桃山、六地蔵、宇治経由で奈良へ向かっていました。桃山から宇治にかけては現在のJR奈良線ですね。
今度は東側を見ると山科へ抜けるトンネルではなく現在のR奈良線が東海道線になっています。伏見稲荷から深草を通って奈良へ向かわず、現在の名神高速道路の近くを通って山科へ抜けています。トンネルはなく山間を抜けるルート。
いろいろ調べると、京都駅の東側にある東山は地質が不良だということで先に山科ー大津間の逢坂山トンネルを掘り、京都-山科間は伏見稲荷からぐ
るっとまわる線にした経緯がありました。1921年(大正10年)にようやく東山トンネルができ、現在の東海道線のルートに。京都-稲荷間は奈良線に転用され、稲荷-山科間は廃線となり、後に名神高速道路へ転用されました。
この時に国鉄奈良線だった京都駅 – 伏見駅間が廃止になったので、買い上げたのが近鉄の前身の一つである奈良電気鉄道。丹波橋駅から宇治川を渡って奈良へ向かう現在の線になりました。
国鉄では東海道線だった京都-稲荷から奈良電気鉄道へ売った残りの桃山ー奈良を結ばないといけません。それで現在のような伏見の山裾を通るJR奈良線になりました。伏見へ行くと京阪、近鉄、JRがすぐ近くをほとんど並走して走っていますが、こんな歴史があったんですね。
ずっと飲んでいた新幹線0系食堂車
あおなみ線の終点が金城ふ頭駅。見本市などが行われるポートメッセ名古屋があります。反対側にあるのがリニア鉄道館。
軽便鉄道で使われていた蒸気機関車から超電導リニアまで展示されています。懐かしいのが新幹線0系。車両が二両展示されていて、1両は今と基本的に変わらない3列、2列の座席の車両ですが、もう1両が食堂車。4人席テーブル、2人席テーブルが並んでいました。
食堂車の外側に乗客が通れる通路があるのですが狭く、人がすれ違うのも一苦労。こんなに狭かったんですねえ。
新人で入社したITベンダーの本社が東京でしたので、研修などで時たま東京へ行く機会があり、出張では新幹線を使っていました。今みたいに日帰り出張という時代ではなく、1泊するのが基本でした。
利用は自由席が多かったのですが、同僚と東京から新大阪へ帰る時には、東京駅を出発すると、まず食堂車に行って、結局、京都をすぎるあたりまで延々と飲んでいましたね。いい時代でした。
不思議な名鉄瀬戸線
瀬戸市の企業を訪問してきました。瀬戸焼で有名な瀬戸市でネットワーク強化事業の専門家派遣で行ってきました。
瀬戸へは名鉄で行けるということで名古屋駅から出ているのかと思ったら、名鉄瀬戸線は孤立線になっていて、地下鉄でまず栄に出ます。地下鉄の駅からすぐ近くに栄町駅があり、ここが始発駅。ここから尾張瀬戸駅まで路線がつながっています。
名鉄は名古屋駅が起点なんですが、初めて乗ろうとすると絶対に戸惑いますね。行き先が津島方面、岩倉・犬山方面、一宮・岐阜方面の列車が同じホー
ムに来ますので、自分がどこへ行きたいのか、どの電車に乗らないといけないのか把握していないと、えらい所へ連れていかれてしまいます。瀬戸へ行くの大変
だと思ったら、全然違う路線でした。
なんで孤立線になっているのか調べたら、もともとは瀬戸焼を運ぶために瀬戸自動鉄道が明治時代に作られたのが発端でした。業績が悪くなったこともあり戦前に名鉄と合併したんですねえ。
また不思議なことに普通、準急、急行が走っていて停まる駅が違っていますが、どこの駅でも追い越しがないので、つまり来た電車に乗るのが一番早いという不思議な路線になっています。