三重県産業支援センター 忘年会

陶陶
三重県産業支援センター・親睦会の忘年会。
場所は津駅から10分ほど歩いたサティの近くにある陶陶という中華料理のお店。なんせ人員が多いので場所を探すのが大変で、今日もお店がほぼ貸切でした。主催は親睦会ですが毎月、謝金から引かれていますので出ないと損(笑)。12月は3日しか三重県産業支援センターに出ないのですが、たまたま当たってラッキーでした。
三重県産業支援センターも県や金融機関からの出向やら国のプロジェクトやらで人員は入れ替わりになっています。ですので半分ぐらいは顔は見知っていても知らない人ばかり。今日も隣に座った人に自己紹介からはじめました。「水谷さんって、ほとんどいませんな」と言われてしまいました。そら机が荷物置き場になるはずです。

4支援機関合同連絡会議

浩養園
今回で28回目となる4支援機関合同連絡会議です。
愛知産業振興機構、岐阜県産業経済振興センター、三重県産業支援センター、名古屋産業振興公社の4機関のマネージャーなどが集まって情報交換しています。毎年2回開催で、幹事は持ち回りでやっており、今回は名古屋市が担当。
少し早い目に行って、古巣だった名古屋市新事業支援センター(3月末までマネージャーをやっていました)をのぞいて、支援センターの車で会場まで同乗させてもらいました。ラッキー。会場は名古屋医工連携インキュベータ(NALIC)です。
終わってから、会場のすぐ近くにある名古屋ビール園「浩養園」で交流会。醸造所が併設されているのでビールがおいしいですねえ。ただ最寄駅から遠く、地下鉄・吹上駅まで歩いて近鉄で津まで帰ってきましたが、やっぱり遠いですね。

いなべ市へ

いなべ市商工会
いなべ市の企業からIT相談があるということで出かけてきました。
まずは大阪から近鉄四日市駅へ。迎えにきていた三重県産業支援センターの車に乗せてもらって、いなべ市へ。四日市から「いなべ市」まで車で1時間はかかります。
いなべ市は三重県の一番北にあり、隣は岐阜県。平成の大合併で員弁町、北勢町、大安町、藤原町が合併できた市です。
先日、捕まえたクマを逃がして隣の滋賀県に行ったのではと大騒ぎになったのが「いなべ市」。山深いところですが、関ヶ原や近江へ抜ける幹線道路も多いので、車が行き交っています。ちょうど東海環状自動車道の工事をしていて、トラックも多いです。
関ヶ原の合戦で島津が家康の本陣前を突っ切って退却する、いわゆる島津の退き口で島津義弘主従が通った道でもあります。
「いなべ市商工会」に寄って商工会の車に乗り換えて経営指導員と企業さんへ行ってきました。大阪から遠かった!

よろず塾ワークショップセミナーを開催しました

よろず塾ワークショップセミナー
大阪府よろす支援拠点の「よろず塾ワークショップ」。
本日と次週の2回で開催します。テーマは「成果の出るWEB活用法」をモノにする! 編。ワークショップ形式で行うので、限定20名の募集ですが申込開始と共にすぐに埋まってしまいました。
本日の内容は「あなたのホームページは見る人のニーズを考えていますか?自分のよさをアピールして売り上げアップ!!」ということでサイトのターゲットとニーズを妄想(ペルソナ分析)し、タイトルや説明(descrption)をしっかり作って自社のよさをアピールしましょうという内容です。フューチャーライトコンサルティング代表の西谷さんと2人体制で行いました。
18時から21時までの長丁場ですが、皆さん熱心に取り組んでおられました。次回は「ネット活用はホームページだけと思っていませんか?ソーシャルネット活用からリアルでの広報までを学ぶ!!(ネットを活用したプロモーション&販路拡大)」です。

4支援機関合同連絡会議

4支援機関合同連絡会議
あいち産業振興機構、三重県産業支援センター、岐阜県産業経済振興センター、名古屋市新事業支援センターの4支援機関が集まって、年2回、会議をしております。
今回は岐阜県産業経済振興センターが幹事。岐阜では、いつも西岐阜駅からコミュニティバスみたいなのに乗っていかないといけない県庁横の岐阜県産業経済振興センターでやっているんですが、今日はソフトピアジャパンが会場。大垣駅からバスに乗っていかない点は同じです。
ソフトピアジャパンは岐阜県が作ったITの拠点で、何回か来たことがあるんですが、この中に大学院大学があるって、はじめて知りました。IAMAS(情報科学芸術大学院大学)で、定員20名で2学年あわせてわずか40名。日本で2番目に小さな大学なんだそうです。教員は19名。学部生はいませんので、どこかの大学を卒業して修士で入学します。吉田学長に学内を案内していただきましたが、なかなか贅沢な環境でフォボラボ(3Dプリンターなど)も完備されていました。卒業生は各界で活躍されています。
終わってから大学の建物の2階である居酒屋で宴会。さあ、大垣から米原経由で大阪へ戻ります。

マイドーム大阪に象がいた

大阪府商品陳列館
大阪府よろず支援拠点で窓口相談。予約以外に飛び込みの創業相談もあり1日バタバタしていました。
大阪府よろず支援拠点はマイドーム大阪7階の大阪産業振興機構にありますが、マイドーム大阪は豊臣秀吉時代、大阪城・総構の砦でした。江戸時代には西町奉行所となり、明治維新後、西町奉行所の建物をそのまま使って大阪府庁となります。
大阪府庁が移転した跡地にできたのが大阪博物館。博物館という名前ですが、他にも図書館、美術館、動物園、植物園、舞台、公園などがある総合産業文化施設でした。
このうち図書館は大阪図書館(現在の府立中之島図書館)ができたので移管。マイドーム大阪7階には大阪中小企業診断士会がありますが、今、中之島図書館と提携して無料窓口相談やセミナーを開催しています。マイドーム大阪と中之島図書館には不思議なご縁があったんですね。
天王寺動物園ができたので、動物園も移転することとなります。小さな動物は車で運ばれたようですが、象は大きいので深夜の松屋町筋を天王寺まで歩いて移動することとなります。この象がサーカス出身だったそうで、音楽がないと動きません。そこで鳴り物を鳴らしながらの移動を行い、深夜の松屋町筋に大勢の見物人が集まったそうです。今では考えられませんがマイドーム大阪に象がいたんですねえ!
大阪博物館の後、マイドーム大阪の場所に大阪府立商品陳列所ができ、美術館の美術品が商品陳列所に移管されました。

食べ放題、飲み放題のお店

香
津駅前のアスト津地下に萬力屋という中華料理があり、ここが食べ放題、飲み放題、時間制限なしのお店。
ただ18時ぐらいから終電近くまでずっとねばる客がいたせいか、時間制限なしは無くなってしまいました。価格は男性3,990円、女性2,990円で、とってもリーズナブル。こんなお店が大阪にあったら絶対につぶれるなと思ったら堺筋本町にありました。それが中華料理店「香」。
大阪府よろず支援拠点で4月から4名新メンバーが増えたので、昨年度からのメンバーも含めて親睦会を中華料理店「香」で開催。2時間食べ放題、飲み放題で男性2980円、女性2,780円。めちゃくちゃ安いですね。
店は50名ほど入りますが、予約客で満杯。絶対に予約していかないと無理ですね。ホールを3人でまわしていましたが、さすがに50名の客ではテンテコマイ。いっそうのことセルフサービスにしないと、そこは大阪府よろず支援拠点なので、勝手に皆で店のコンサルをやっていました(笑)。
よく飲んで食べました。満足!

中華料理屋でボヤ

中華料理
マイドーム大阪7階にある大阪府よろず支援拠点で窓口相談。
マイドーム大阪は松屋町筋(まっちゃまちすじ)にあり、ランチが食べられるお店が多く、陸の孤島だった名古屋市新事業支援センター(吹上ホール)とはだいぶ違います。
お昼は中華でも食べようかなと、めちゃくちゃボリュームがある定食が出てくるお店に入ろうと思ったのですが、午前の相談がトレーニング器具を開発した事業者の相談で、健康の話題で盛り上がっていたことを思い出しました。
「いかん、いかん」と中華をあきらめて、内平野町食堂(まいどおおきに食堂)へ。ここは自分でオカズやご飯を取って最後に清算するスタイルのお店で、もともと大阪の会社なんで、関西にはたくさんの店舗があります。
食事が終わって道を歩いていたら、さっきの中華料理屋の前に消防車が4台ほど止まっていました。どうやらボヤ騒ぎがあったそうで、あのまま入店していたらボヤ騒ぎで昼飯を食いはぐれるところでした。

大坂 西町奉行所

西町奉行所
大阪府よろず支援拠点が入っているマイドーム大阪。
マイドーム大阪の場所には江戸時代、西町奉行所がありました。江戸の町奉行所と同じく東町奉行所と1ヶ月ごとに交代する月番制システム。出来たのは1619年ですので、大坂夏の陣(1615年)が終わって、4年後に大坂が復興した頃にできたんですね。
もっとも最初は東町奉行所、西町奉行所ともに京橋口にあったそうです。1724年に享保の大火で焼けた後、東町奉行所は同じ京橋口に再建されましたが、リスク分散のために西町奉行所はマイドーム大阪の場所に再建されます。享保といえば享保の改革があった頃ですね。
「大塩平八郎の乱」で有名な大塩平八郎は東町奉行の元与力で陽明学者でもありました。大阪には今も与力町や同心町という名前が残っていますので、与力の社宅があったんでしょうね。
宝暦9年(1759年)の古地図が家にあるので本町橋あたりを見てみたら、きっちり西町奉行所が掲載されていました。しかも本町橋を過ぎたところで東横堀川が少し曲がっていますが、この川の曲線は今も残っていますねえ。秀吉の時代からのもので、総構で横矢がかかるようにした工夫なのでしょう。

マイドーム大阪は秀吉の砦跡だった

マイドーム大阪
マイドーム大阪7階にある大阪府よろず支援拠点で窓口相談していますが玄関に西町奉行所跡という碑が建っています。
マイドーム大阪を建築する時、調査が行われ、地下4mのところから溝で囲まれた建物が見つかりました。マイドーム大阪は総構の砦跡だったようです。総構というのは城だけでなく城下町を含めた外側を取り囲んだ土塁と堀。大坂城では8kmにも及びました。
後北条氏が秀吉の小田原攻めに備えて小田原城の周りを総構で囲みましたが、今も早川口など遺構が残っています。秀吉が京都に造った御土居も総構。現在のところ、最古の総構は荒木村重の有岡城(伊丹城)といわれています。織田信長が荒木村重を攻めるのに、総構があったせいで相当な時間がかかりました。
マイドーム大阪のすぐ脇を横堀川が流れています。川の上を高速道路が通って暗いのですが、この川が名前の通り、秀吉が造らせた総構の堀跡。本町橋があり、水上バスが停留できる施設を建設中です。
■本町橋
400年前に行われた大坂の陣で総構を包囲した徳川軍に向かい、ここから塙団右衛門(ばん だんえもん)が夜討ちをかけました。塙団右衛門は本町橋の上に床几を置いて夜討ちを指令し、「夜討ちの大将 塙団右衛門直之」と書いた木札をばら撒かせたそうです。うまいプロモーションですなあ。(笑)塙団右衛門は翌年の大坂・夏の陣の紀州攻めで討ち死にしています。
マイドーム大阪跡は江戸時代に西町奉行所となり、明治になってからは奉行所の建物をそのまま使って、初代大阪府庁となりました。それで今も大阪産業振興機構や大阪府中小企業団体中央会などが入居しているんですね。