不破の関

不破の関

672年、大海人皇子軍が関ケ原で大友皇子側の近江軍を破った壬申の乱の後、不破の関が整備されました。中山道、北国街道、伊勢街道の分岐点が関ケ原で交通の要衝でした。東海道の鈴鹿関、北陸道の愛発関とともに古代三関の1つです。関所というと都への侵入者を防ぐ目的よりも、謀反者が東国に逃れるのを防ぐのが中心のようでした。壬申の乱で大海人皇子が関東の美濃・尾張で兵力を募ったことが背景にあるようです。

天皇崩御など非常事態が発生すると、朝廷は三関に固関使(こげんし)を派遣し関所を占めました。これが三関固関です。天平宝字8年(764年)、恵美押勝(藤原仲麻呂)のクーデターが失敗した時、吉備真備は愛発関を閉じて仲麻呂の息子がいる越前国への逃亡を防いでいます。

不破の関は藤古川の段丘崖に築かれ、広大な敷地でした。藤古川を超えて坂を登ると不破関西城門が旅人を待ち構えていました。不破の関は789年(延暦8年)に廃止されましたが土塁などは残っていたようで関ケ原の戦いでは宇喜田秀家らが関所の土塁を利用して陣所を築いていました。土塁の一部は低くなりましたが今も残っています。

決戦はいつも岐阜

決戦はいつも岐阜

関ケ原に「決戦はいつも岐阜」という旗がありました。

関ケ原は関東と関西のはざまで東西の勢力がぶつかる点でもありました。有名なのが石田三成と徳川家康が激突した関ケ原の戦いですが、大海人皇子と大友皇子が戦った壬申の乱でも決戦の舞台となります。ちなみに壬申の乱の翌年に不破の関が設けられます。

承久の乱は後鳥羽上皇が北条義時の追討を命じますが、鎌倉軍と激突し摩免戸の戦い、杭瀬川の戦いで敗れます。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも描かれていました。杭瀬川は関ケ原の戦いでも島左近が前哨戦として戦い、徳川軍に一泡吹かせました。

旗には青野原の戦いはのっていないんですね。少年ジャンプで「逃げ上手の若君」が連載していますが、ちょうど青野原(関ケ原)の戦いが描かれています。奥州から北畠顕家が率いる南朝方が土岐頼遠ら北朝方の軍勢と激突し、最終的には勝利しますが、最後は堺で行われた石津の戦いで戦死します。北畠顕家は20歳の若さでした。

岐阜バス

岐阜駅前に赤く小さなバスがとまっていました。なんと無人バスで2023年11月から2028年まで5年間、運行するそうです。平日は10~16時まで運行していて毎時0分、30分に岐阜駅を出発しています。岐阜城の麓にある歴史博物館前にも停車するので観光客にも便利ですね。ただ土日は本数が減るそうです。

定員は10名で原則、予約制です。あとで案内を見たら空席がある場合は、予約なしでも乗車できるそうで、今度行く機会があれば乗ってみようっと。岐阜は駅前のバスが充実していて、ひっきりなしに来るので、わざわざ時間を予約して乗る人は限られるでしょう。また市内を走っているところを見ましたがチンタラ走っていました。急ぐ人には不向きですねえ。

さて岐阜バスですがICカードが使えると思って、読み取り機にかざしたら「ブー!」。岐阜バスが発行しているICカードしか使えないそうです。JRといい岐阜へ行くのはけっこう大変です。

2024年3月2日より、岐阜バスでも全国の交通系ICカードが利用可能になるそうです。

長良川の戦い

「麒麟がくる」の次回放送は”長良川の戦い”で斎藤道三と息子である斎藤義龍との親子対決です。大河ドラマでは斎藤義龍が土岐頼芸(守護)の実の息子と思っているという設定になっていますが単なる俗説です。「国盗り物語」も同じ俗説を採用していました。

長良川
長良川

実際は一旦、道三から斎藤義龍への家督相続しましたが、道三は弟への家督相続を考えている節があり、危機感をいだいた斎藤義龍が先手をうっただけです。戦国時代、同じような事例はたくさんあり、武田信玄が父親である武田信虎を追放し、信玄は息子である義信も殺しています。大友宗麟も父親である義鑑を討っています。

他にも伊達政宗も父親の輝宗を射殺しています。大河ドラマ「独眼竜政宗」ではやむをえないという設定になっていましたが、実際はどうだっか。戦国時代は実に殺伐たる時代でした。ですので真田一族や豊臣秀吉・秀長コンビは稀有な存在でした。