伊賀国庁跡

iga201112.jpgJR関西線に乗って佐那具駅へ。伊賀の企業さんを回ってきました。

佐那具駅の近くにあるのが古代伊賀国府の国庁跡。木津川の支流の一つである柘植川のすぐ近くの丘の上にあります。あるのは知っていたのですが、
JRを待つ時間にちょっと行ってきました。と言っても何もない田んぼで、近くに説明板が一つあるだけです。関西線のすぐそばで小高い丘になっていて眺めが
よいところです。

壬申の乱の時、大海人皇子が吉野を出て名張から今の伊賀神戸に入り、北上して伊賀国分寺、敢國神社を通って山にぶつかるところにあるのが伊賀国庁。ここから東に入り関経由で桑名へ向かいました。

地元でも知られていない河内寺(東大阪)

河内寺
大阪市内から東大阪に移り住んで20年。住んでいる一体は枚岡ですが、もう少しせばめると額田という土地です。渡来人の古代豪族、額田首が住んでいたあたりで額田王はこのあたりの出身ではと言われています。
少し北へ行くと日下(くさか)があり、昔はここまで河内湖になっていて楯津という港がありました。神武天皇が奈良へ攻めいって長髄彦(ながすねひこ)に敗退し、日に向かって攻撃したから負けたんだとと言って熊野へ回り込みます。
河内寺
南北朝の戦いでは四條畷の合戦がありましたが、楠木正行(正成の子供)の本陣がおかれていたあたりになります。大坂・夏の陣では家康の本陣がおかれていました。今は公園になっていて牌だけが建っています。
そんな歴史深い土地なんですが、こないだ郷土の歴史をいろいろと見ていたら、すぐ近くに河内寺という寺院があったそうです。飛鳥時代後半に創建さ
れた古代寺院で、古代の河内を支配した一族河内連(むらじ)の氏寺です。四天王寺形式で塔や金堂が建ち並び、回廊がめぐっていました。鎌倉時代まで残って
いましたが、どうも土石流で埋もれてしまったようです。水害があったんでしょうね。2008年に国史跡に指定されていますが、地元でもほとんど知られてい
ない幻の寺なんだそうです。
いやあ、20年間ほど住んでいますが、そんな寺があったとは全然知りませんでした。天智天皇のとき、河内直鯨(かわちのあたい・くじら)が、遣唐使として派遣されています。
お酒のストックがなくなったので地酒屋さんに行く途中に河内寺跡に寄ってきました。場所は瓢箪山駅を出た近鉄電車が生駒山(奈良)へ向かって坂を
登りながら左へカーブするところです。一体は埋め戻されてフェンスに囲まれた空き地になっていました。河内寺跡などの看板はどこにもなく、そら地元の人間
でも分かりませんは!なにもない空き地で写真を撮っていたら、絶対に不動屋さんの間違えられますなあ。

四日市陣屋・伊勢暴動

四日市陣屋
今日の午後は四日市商工会議所で窓口相談
昼休みに近くにある四日市陣屋を見てきました。といっても小学校跡になっていて説明板があるだけで何も残っていません。四日市は徳川藩の天領で、天領を管理するために作られたのが陣屋です。
陣屋は東海道のすぐ近くにあります。初代代官は水谷光勝で、1600年に任じられていますので関ヶ原の合戦の年ですね。陣屋ができたのは3年後です。周囲には堀が掘られ土塁が築かれていました。
明治維新後は一時期、三重県庁がおかれていましたが明治9年の伊勢暴動で焼きうちにあい焼失してしまいました。伊勢暴動とは財政の安定を図るために明治政府が行った地租改正事業で、土地に対して3%増税になる施策です。
米価が下がって大変だった農民が何とかしてほしいと嘆願書を県の役人に出しましたが、無視。善後策をねろうと農民が集まり、結局これが暴動へ発展して三重県中にひろがり、軍隊が出動する事態になりました。この騒ぎの影響もあり税率は3%から2.5%へ下げられました。
四日市は楠町と合併して30万人都市になりましたので事業所税があらたに各事業所に発生します。三重県では初めての事態です。合併特例で5年間の猶予がありますが、これがいよいよ切れますので増税になります。
「なんで四日市は合併なんかしたんや!」という四日市の事業者の声をよく聞くようになりましたが、また伊勢暴動が起きなければよいのですが

津の古地図

津
冊子「古地図に見る津城下の変遷」を手に入れました。
書店には置いておらず津城横にあり藤堂高虎を祀った高山神社(こうざんじんじゃ)でのみ売っています。
古くからの津の古地図が収録されていて津の城下がどう変遷したかが分かる冊子です。一番古い地図は寛永中期(1630年)頃のものです。1600年の関ヶ原の戦い、1615年の大阪夏の陣が終わって、島原の乱が起きる前です。こないだ「こんなに変わった歴史教科書」を読んだら、今では島原の乱と教えておらず平成の教科書では「天草・島原の一揆」と言っているそうです。
古地図の津城を見ると本丸から西の丸(左側)と東の丸(右側)が出ているのですが、当時は東の丸から橋が出ていなかったんですね。藤堂高虎が築城していましたが大阪の陣が終わってしまったので東の丸は簡素なままになりました。
実家近くに伊予町と呼ばれる町があるのですが国替えとなった藤堂高虎に従って伊予から移ってきた人が住んだところです。ここには寺がいくつかあるのですが、この寺も伊予から移ってきたんですねえ。知らなかった!

桑名駅(JRと近鉄の共同使用駅)

kuwana201110.jpg昼から桑名駅前にある桑名商工会議所へ行って企業さんの相談にのっておりました。

帰りは桑名駅から近鉄で帰ってきたのですが、この桑名駅はJR東海と近鉄の共同使用駅になっています。大阪の難波駅は近鉄と阪神電車の共同使用駅になっていますが、これは相互接続しているからで、同じような駅は全国にあります。

違う路線が交わる場合、東京の品川駅はJRと京急がくっついていますが間に改札があります。三重県の場合、なぜか間に改札がないJRと近鉄の共同使用駅がたくさんあり、桑名駅、津駅、松坂駅、伊勢市駅、鳥羽駅の5つあります。大きな表玄関側の改札をJRが管理し、裏側を近鉄が管理していることが多いのですが、どちらの改札からも乗ることができます。相互接続駅以外でこんなシステムになっているのは珍しいですね。

三重県人にとっては当たり前ですが、他ではあまり事例がないので津駅のJR側改札で、近鉄の切符を出しながら、「これで改札通るんでしょうか」とよく駅員に聞いている旅行者を見かけます。

三重県には富田駅(近鉄と三岐鉄道)も改札なしの共同使用駅になっています。

江戸川乱歩

ranpo201109.jpg名張シリーズです。(笑)

怪人二十面相・明智小五郎・少年探偵団と言えば推理作家の江戸川乱歩です。

江戸川乱歩は三重県・名張市生まれで、住んでいた家は公園になっています。もっとも住んでいたのは2歳までで、このあと父親の転勤で亀山、名古屋
へ移ります。苦学して早稲田大学に通い、卒業後は貿易商、造船所事務員、古本屋営業、ラーメン屋など色々な職につき、この体験が小説の貴重な糧になりまし
た。フリータの元祖みたいな職歴です。

鳥羽の造船所に就職していた時があり、この時に奥さんを見つけています。「パノラマ島奇談」は鳥羽の離島がモデルになっています。鳥羽のあと上京し、団子坂上(本郷)で兄弟三人と三人書房と名付けた古本屋を始めます。「D坂の殺人事件」のD坂は団子坂です。

江戸川乱歩は知り合いの選挙応援演説のため名張へ出かけています。60年振りでした。応援演説は名張駅近くの宇流富志禰神社で行われ、すごい聴衆が集まりました。「我が夢と真実」という自伝に出てきます。

木屋正酒造から「幻影酒」という大吟醸が出ています。

夏見廃寺

natsumi201109.jpgこの間、名張へ行った時に夏見廃寺を見てきました。

夏見廃寺は夏見の名張市中央公園の中にあるのですが、公園入口の看板には載っていないし、場所がなかなかわかりにくいですね。歩いていたらようやく入口を
見つけて、奥に入っていくと壮大な寺院跡がありました。塔、金堂、講堂跡の礎石や寺を取り巻いていた築地跡などが残っています。枚方に百済寺跡があるので
すが、あんな感じですね。

夏見廃寺は大来皇女が建てた昌福寺のようです。大来皇女は天武天皇の皇女で初代斎王として伊勢の斎宮へ行っており、弟が大津皇子で寺を建てたのにはいろんな思いがあったのでしょう。

写真は隣の博物館にあった金堂の復元です。

桔梗が丘 大阪通勤圏の最東端

kikyougaoka201109.jpg近鉄・桔梗が丘駅。

大阪からですと名張駅の次の駅で、大阪通勤圏の最東端になります。上本町六丁目から桔梗が丘の少し先の青山町まで行く電車が多く、テレビも関西のテレビが映り文化的には関西文化圏です。丘を切り開いて住宅地が開発され、広い一軒家が多いですね。

ただ桔梗が丘に家を買って大阪へ通勤していた世代が団塊世代となり定期利用が減っています。駅前には近鉄百貨店がありますが駅前に店は少なく、やはりロードサイト店が多いですね。今日は桔梗が丘の企業さんでへ経営相談に行っていました。

ボックスシート

jr201109.jpg実家近くのJR阿漕駅(無人駅)から各駅停車に乗車。中学、高校時代はこの阿漕駅から通っていましたが、当時は駅員が5名ほどいて乗降客も多く賑わっていました。中学校に入った頃は、まだSLが走っていた時代です。

阿漕駅を出た列車は紀勢本線を松阪を過ぎ多気駅まで走り、多気から参宮線に入って伊勢市駅へ向かいます。紀勢本線は多気駅から先は台風の影響で運転見合わせが続いていて南紀特急も運休です。

※夜、多気駅-紀伊長島駅間が運転再開されました。

伊勢市駅へ向かう列車にはほとんど人は乗っておらず、昔懐かしいボックスシートでした。台風が過ぎ去り晴れたので、あちこちで稲刈りしている光景
が見られました。伊勢の手前で、日本一の清流でもある宮川を通ったのですが、まだまだ濁流状態でした。伊勢でも相当、降ったんですね。あと少しで堤防が決
壊しそうなぐらい水位があがったそうです。

伊勢市駅から伊勢商工会議所へ。経営指導員と一緒に企業へIT相談に行っておりました。

美旗古墳群

mihata201108.jpg伊賀神戸駅と名張駅の間に美旗駅があります。この美旗駅のすぐ横に小高い丘があって電車から見えるのですが、気になって調べると前方後円墳でした。

というわけで行ってきました。駅のすぐそばにあり名前は馬塚。五世紀後半の古墳のようで、前方墳からえっちらおっちら後円墳に登れます。めちゃく
ちゃ広いですね。全長142mで、周りの周濠まで残っています。古墳というとキが生い茂っているのですが、こうやって古墳の上を歩けるのは大きさがよく分
かります。

奈良、大阪で古墳群というと、珍しくもなんともなく、そこらへんにありますが三重でこれだけ、古墳が揃っているところは珍しいです。駅の周辺には5つほどの前方後円墳が散らばっています。

ちょっと行くと観阿弥創座之地というのがあります。能で有名な観阿弥・世阿弥親子ですが、観阿弥が伊賀に猿楽座を作ったのが能の始まりになっています。