近鉄・桔梗が丘駅。
大阪からですと名張駅の次の駅で、大阪通勤圏の最東端になります。上本町六丁目から桔梗が丘の少し先の青山町まで行く電車が多く、テレビも関西のテレビが映り文化的には関西文化圏です。丘を切り開いて住宅地が開発され、広い一軒家が多いですね。
ただ桔梗が丘に家を買って大阪へ通勤していた世代が団塊世代となり定期利用が減っています。駅前には近鉄百貨店がありますが駅前に店は少なく、やはりロードサイト店が多いですね。今日は桔梗が丘の企業さんでへ経営相談に行っていました。
近鉄・桔梗が丘駅。
大阪からですと名張駅の次の駅で、大阪通勤圏の最東端になります。上本町六丁目から桔梗が丘の少し先の青山町まで行く電車が多く、テレビも関西のテレビが映り文化的には関西文化圏です。丘を切り開いて住宅地が開発され、広い一軒家が多いですね。
ただ桔梗が丘に家を買って大阪へ通勤していた世代が団塊世代となり定期利用が減っています。駅前には近鉄百貨店がありますが駅前に店は少なく、やはりロードサイト店が多いですね。今日は桔梗が丘の企業さんでへ経営相談に行っていました。
実家近くのJR阿漕駅(無人駅)から各駅停車に乗車。中学、高校時代はこの阿漕駅から通っていましたが、当時は駅員が5名ほどいて乗降客も多く賑わっていました。中学校に入った頃は、まだSLが走っていた時代です。
阿漕駅を出た列車は紀勢本線を松阪を過ぎ多気駅まで走り、多気から参宮線に入って伊勢市駅へ向かいます。紀勢本線は多気駅から先は台風の影響で運転見合わせが続いていて南紀特急も運休です。
※夜、多気駅-紀伊長島駅間が運転再開されました。
伊勢市駅へ向かう列車にはほとんど人は乗っておらず、昔懐かしいボックスシートでした。台風が過ぎ去り晴れたので、あちこちで稲刈りしている光景
が見られました。伊勢の手前で、日本一の清流でもある宮川を通ったのですが、まだまだ濁流状態でした。伊勢でも相当、降ったんですね。あと少しで堤防が決
壊しそうなぐらい水位があがったそうです。
伊勢市駅から伊勢商工会議所へ。経営指導員と一緒に企業へIT相談に行っておりました。
今日は、大阪南港にあるATC(アジアトレードセンター)でお仕事。
地下鉄の中央線「コスモスクエア駅」で降り、ニュートラムに乗り換えるのも面倒なので、10分ほど歩いてATCへ。仕事は午後からだったので、まずお昼を食べようとレストラン街へ。
新しくカレーハウスCoCo壱番屋がATCにできていましたのでチキンカレーを注文。CoCo壱番屋は発祥の地である東海地方では多いのですが、大阪ではあまり見かけません。こないだ津駅近くのお店で夏野菜カレーを食べたな~あ。
ATCはいつも閑散としているのですが、レストラン街はけっこう混んでいました。まだ夏休みなので遊びに来ている家族連れも多かったです。いいな~あ!
伊賀神戸駅と名張駅の間に美旗駅があります。この美旗駅のすぐ横に小高い丘があって電車から見えるのですが、気になって調べると前方後円墳でした。
というわけで行ってきました。駅のすぐそばにあり名前は馬塚。五世紀後半の古墳のようで、前方墳からえっちらおっちら後円墳に登れます。めちゃく
ちゃ広いですね。全長142mで、周りの周濠まで残っています。古墳というとキが生い茂っているのですが、こうやって古墳の上を歩けるのは大きさがよく分
かります。
奈良、大阪で古墳群というと、珍しくもなんともなく、そこらへんにありますが三重でこれだけ、古墳が揃っているところは珍しいです。駅の周辺には5つほどの前方後円墳が散らばっています。
ちょっと行くと観阿弥創座之地というのがあります。能で有名な観阿弥・世阿弥親子ですが、観阿弥が伊賀に猿楽座を作ったのが能の始まりになっています。
大阪から松阪へ出て、最低賃金総合相談支援センターの車に便乗して尾鷲の企業へ。写真は尾鷲南インター近くの工事現場写真。
三重県の多気町(シャープ多気工場がある所)から熊野にかけて紀勢自動車道を建設中です。この区間は国道42号線しかなく、この国道が通れなくなると、全ての物流が止まってしまいます。
4,5年前に大雨で東紀州が陸の孤島になってしまいました。物資を尾鷲に船で運んで、尾鷲から物資を担いだ人が馬越峠を越えて隣の相賀へ運びまし
た。馬越峠というのは熊野古道で、尾鷲の人に言わせると熊野古道は古道ではなく、今でも生活道路だという具合に道路事情の悪いところです。国道42号線に
変わるもう1本の道路が悲願になっています。
紀勢自動車道は多気から大内山村までは開通しましたが、大内山-紀伊長島と海山ー尾鷲北は2012年度中に開通予定。尾鷲の町に入るまで2つの峠越えをしないといけませんが、これで尾鷲の手前の1つに減りそうです。
遷宮が2013年なので、何とかそれに間に合わせたいと工事が進んでいます。江戸時代、伊勢参りをしてから熊野古道を通って熊野詣でをするのが定
番でしたので高速道路で紀伊長島まで伊勢から行けることになります。ただ工事需要が終わると民需が少ない東紀州の建設業にとっては厳しいことになりそうで
す。
伊賀の企業へ関西線に乗って出かけてきました。のんびりしたローカル線なんですが帰りは月ヶ瀬口から合宿帰りの中学生が大挙して乗ってきてラッシュ状態に、疲れました。
加茂駅で乗り換えてJR奈良駅へ。そこから近鉄奈良駅まで暑い中、三条通りを歩くのですが、近鉄奈良駅のすぐ隣が興福寺。久しぶりにえっちらおっちら猿沢の池の前の坂を登って、夕暮れの五重塔を見てきました。
興福寺では中金堂の再建工事中。2017年完成予定で、1300年前の天平伽藍の復興工事をしています。8世紀に創建された興福寺の中金堂は平重衡の兵火など過去7度焼失。
薬師寺が天平伽藍を再建し、平城京の大極殿も再建されましたが、今度は取り囲む築地回廊等の復元が始まるそうです。奈良周辺ではいろいろなところで伽藍再建が進んでいますね。
四日市商工会議所の経営指導員に連れられて四日市の桜にある企業さんへIT相談へ。もう一件まわるという経営指導員と別れて近鉄・湯の山線の桜駅から帰ってきました。
近鉄・湯の山線は四日市駅から湯の山温泉駅を結ぶ単線です。湯の山温泉駅を降りると温泉街となり、その先にロープウェイがあり御在所岳へ行けま
す。かなり高い所を通るロープウェイで高所恐怖症にとっては地獄ですね。小学校の時に乗ったのですが、二度と乗らないと誓いました。(笑)
湯の山線は単線なんですが、かっては大阪から特急が出ていました。名古屋行きと連結して走り、四日市駅で切り離して湯の山線に入ります。平日もけっこう乗っていたそうです。大阪の経営者に昔、聞いた話によると新地のホステスとお忍びでデートする時に活用していたそうです。
近鉄沿線沿いには榊原温泉という温泉がありますが、こちらは大阪から1時間少しと近いため奥さんが友達と来ている可能性があり、鉢合わせしないように2時間以上かかる湯の山温泉が経営者にとってよい温泉場だったそうです。ほんまかいなあ。(笑)
中小企業白書の説明会が大手前にある府合同庁舎であったので参加してきました。
1週間で満席になったそうで会場は満員でした。3月には白書が出来上がり海江田経済産業大臣にまで上がり、4月に閣議決定の予定でしたが震災が発
生。2ケ月間は震災対応でストップ。その後、第一部を震災の影響を受けた中小企業の実態調査にあて内容を変更。7月に閣議決定となり、ようやく発表されま
した。
リーマン・ショック後にV字回復しはじめた日本経済が震災で再び落ち込んだ状況や、震災関連倒産が増えている状況など、現状把握ができました。
さて大手前は谷町筋にあります。谷町筋は高台になっており、これが上町台地。堺筋から見ると坂になっています。天満橋が谷町台地の端で、ここに
あったのが八軒家船着場。京都の伏見と三十石船でむすんでいました。寺田屋で泊まった坂本龍馬などもよく利用していました。上町台地を南に行くと四
天王寺があります。
朝から伊勢へ。伊勢商工会議所の経営指導員と宮川の河口近くにある企業さんを訪問してきました。
伊勢商工会議所の入口を入ると遷宮「お白石持ち」用のお木曳き車模型が置いてありました。「お白石持ち」とは宮川の河原から採集した白石を陸曳・川曳で運び、正殿用地に敷き詰める行事で地元の神領民らが参加します。
もう一つ入口にあるのが蘇民将来子孫家門と書かれた注連縄。伊勢では1年中、注連縄を飾っておく風習があります。もともとは旅行中の須佐之男命が
蘇民将来の家に泊めてもらい歓待してもらったことから、入口に「蘇民将来の子孫」と書いておけば疫病などから守ってあげると言われたのが謂れだとか。伊勢
だけでなく松阪から志摩一体で見られる風習です。
略して将門と書くと平将門を思い出すので「笑門」と書きます。同じ三重県でも津市あたりでは見たことがない風習ですねえ。雲出川あたりが境目なのかなあ。