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大阪に時たま現れるラバーダック。
オランダの芸術家が作ったアヒルのでかいおもちゃです。高さは10メートルほどあります。時たま大阪のいろいろなイベントに登場しています。先日、堂島近くを歩いていたら、アヒルがいました。(笑)
場所は田蓑橋と玉江橋の間で「中之島ウエスト冬ものがたり2013 水と光のフェスティバルタウン」という長たらしい名前のイベントの一環。25日(水)まで展示されています。対岸に見えるのはダイビル本館や関西電力本社の明かりです。
二等身のずんぐりむっくり体型がいいですねえ。大阪日日新聞を見ていると住之江にある会社が所有しているそうで、それで大阪の川にちょくちょく登場するんですね。
カテゴリー: 地域の話題
永遠のゼロ 百田尚樹
「おやぢの会」なる秘密結社があり、私は親父じゃないんですが時たま呼ばれて会合に参加しています。今日の会合は鶴橋。鶴橋と言えば焼肉というイメージですが、知る人ぞ知る「ふぐ久」があります。てっちりやフグ鍋をいただいてきました。
おやぢの会は昭和30年代生まれが多いので、どうしても古い話に。同志社大学出身者もいるので「八重の桜」の話から田辺キャンパス移転時のバリスト(バリケード・ストライキ)からテレビの話に。メンバーの一人がABC放送に「ラブアタック」の企画を売り込んで放映されるようになったという話から百田尚樹の話に。
※ラブアタックというのは大阪のABC放送が放映していたゲーム形式の恋愛バラエティ番組。毎回、かぐや姫を巡って各大学の学生がアタックします。一度、下宿の先輩が出るということでスタジオまで応援にいきました。横山ノック、上岡龍太郎、和田アキ子が司会をしていました。
百田尚樹と言えば、「永遠のゼロ」の作者。放送作家から転身したと言う話は知っていましたが、きっかけはラブアタック。そういえば学生服姿でよく「みじめアタッカー」で登場していた同志社の学生の名前が百田尚樹。よく見ていました。同志社大学のキャンパスも同じ学生服姿で歩いていたそうです。
ええ~!永遠のゼロの百田尚樹って、あの「みじめアタッカー」の百田尚樹と同一人物なの!知らなかったあ!
ビルの中を高速道路が通る
経営革新等認定支援機関向け研修が西梅田であり参加してきました。会場はTKP大阪梅田ビジネスセンターで、高速道路がビルの真ん中を通ることで有名です。まあ、こんなビルは日本広しと言えども、ここだけですね。
研修は経営改善計画のモニタリングで、計画通りにうまくいっているケース、少し下振れしているケース、大幅に下振れしているケースの3ケースについて皆で議論しました。基礎編の研修に参加した時はほとんど税理士さんでしたが、今日は金融機関、支援機関、社労士、経営コンサルタントなどと、けっこうバリエーションに富んでいました。
研修が終わってから堺筋本町のマイドーム大阪へ移動して大阪中小企業診断士会の交流会。一杯やりながら商品開発グループについて話し合い。終わってから地酒がおいしい越冬というお店で飲んで帰ってきました。よく飲んで、よく食べました。
100m道路は信号1回で渡れない
今出川は川だった
NHK大河ドラマ「八重の桜」の舞台と言えば同志社大学。烏丸通と今出川通が交差する烏丸今出川にあります。旧薩摩藩邸の跡地です、隣には藤原道長から連綿と続く冷泉家、今出川通りの向かい側には京都御所があります。
先日、本能寺(本能寺の変の後、豊臣秀吉の命令で寺町御池へ移転)で展示を見ていたところ、室町時代の頃の京都地図があり、相国寺あたりに今出川が通っていました。現在の今出川通りは東西の通りですが、当時は文字通り今出川で北から南に流れる川。
相国寺(同支社大学の北側)と室町殿(室町幕府のあったところ)ですので現在の烏丸通りあたりを今出川が流れていました。これが同志社大学のキャンパスの北あたりから東へ流れる川とそのまま現在の今出川通りあたりまで流れて東に曲がる川の二手に分かれます。
現在の寺町通りで2つの流れがまた1本になり、寺町通りを南下し、最終的には鴨川に流れ込んでいます。2010年に今出川キャンパスの発掘調査で室町時代の水路跡が見つかったそうで、これが今出川ではないかと言われています。
今出川と言うと「通り」のイメージしかなかったのですが川だったんですね。写真は木屋町を流れる高瀬川。江戸時代初期に角倉了以・素庵父子が作った運河です。
平河天満宮(麹町)
大学を出て最初に入社したITベンダーの本社が麹町にあったので、出張や研修で本社へ行った時、近くにあった平河天満宮によくお参りしていました。
「日本史の謎は地形で解ける」を読んでいたら、この平河天満宮の記述がありました。もともとは江戸城を造った太田道灌が、菅原道真の夢を見て、城内に天満宮を建立したのが発端。徳川家康が太田道灌の江戸城を造り直し、本丸を拡げた時に現在の場所へ移されました。このあたりの地名は神社からとって平河町と名付けられています。
天満宮なんで祭っているのは菅原道真なんですが、なんと徳川家康も祭られています。麹町から少し行くと半蔵門があり、江戸城でなにかあった時に甲州街道へ逃げる裏道という説が中心でしたが、家康は半蔵門を江戸城の正門にしていたのではということを解きあかしている内容です。そうなると平河天満宮は江戸城を守るための守り神だったようです。
半蔵門から四谷にかけ新宿通りは尾根道になっていて、確かに番町や麹町など新宿通りから坂を下がっています。難攻不落の石山本願寺、その後の大坂城は谷町台地の一番奥に造られましたが江戸城も同じだったんですねえ。
そうだ京都へ行こう
賑わっている伊勢神宮(外宮)
清州会議
映画「清州会議」を見てきました。
関東にいるはずの滝川一益が軍勢も連れず単身で清州まで駆け戻ってくるのかという話はおいておいて、なかなか楽しめる映画でした。映画「ステキな金縛り」に出てくる北条方の武士、更科六兵衛まで出てきました。
清州会議とは柴田勝家、丹羽長秀、羽柴秀吉、池田恒興による信長亡き後の織田家宿老による会議です。前社長と後継者が不慮の事故でなくなってしまったので重役が集まって会社の行く末をどうするか、誰を次期社長にするか決める重役会議ですね。映画では織田家の跡取りをどうするかその駆け引きを描いていますが、実際には三法師の擁立はすんなり決まったようです。
その後のそれぞれですが
柴田勝家-賤ヶ岳の戦いで秀吉に敗れ、越前北ノ庄にてお市と共に自害<
丹羽長秀-賤ヶ岳の戦いで秀吉を援護。若狭、越前、加賀の大名となり病死
池田恒興-小牧・長久手の戦いで家康に負け戦死
池田恒興の顛末についてはこちらをどうぞ
→ 秀吉 小牧・長久手の戦い<
織田信雄-家康と組んで小牧・長久手の戦いで秀吉と戦いますが、秀吉の御伽衆となり関ヶ原の合戦、大坂の陣もくぐりぬけ江戸時代まで生きています。
織田信孝-賤ヶ岳の戦いで秀吉と戦い、勝家亡き後、自害させられます。
三法師-関ヶ原の戦いでは西軍として岐阜城に籠城しますが落城、高野山に送られましたが高野山から追い出され26歳で死去。
織田信包-映画では最後に秀吉に織田家を滅ぼし天下をとれと言っていた人物です。伊勢上野城の城主でもありました。秀吉の御伽衆となり、大坂城では秀頼を補佐しましたが、大坂冬の陣直前に大坂城内で死去。
阪神百貨店スナックパーク
ひょご産業活性化センターの窓口相談が終わってから梅田へ。
夜は梅田でお仕事ですので、その前に阪神百貨店地下1階にあるスナックパークに寄って晩御飯を食べてきました。スナックパークって関西の人しか知らないと思いますが、B級グルメばかりを集めた立ち食い専用のコーナーです。
駅そばや讃岐うどん、お好み焼き、たこ焼きは当たり前ですが、寿司、チャーハンなどもあります。店で受け取って、全店共通の立ち食いコーナーの空いている所を見つけて食べます。おじさんばかりではなく、妙齢の女性も多いですね。昔から当たり前なので、女性も気兼ねなく入っています。
今日の晩御飯はオムライス(380円)とイカ焼き・デラバン(200円)。オムライス専門店というとすごそうですが、フライパンで玉子をオムレツにしてジャーに入っているチキンライスを入れるだけです。一畳ほどのお店でやっていて、このオムライスを立ち食いで食べるわけです。
「俺のイタリアン」とかが東京で流行っていますが、阪神百貨店では大昔からオムライスなどの洋食を立ち食いで食べるのが当たり前でした(笑)
そして1日、1万枚販売するというイカ焼き!玉子が入った高級なのがデラバンです。まさに大阪のB級グルメですね。ディープな大阪を体験しようと思えば、阪神百貨店の一角にあるスナックパークがおすすめです。他の地域で同様のスタイルを見たことないですねえ。