楠正行ゆかりの井戸

kusunoki.jpg枚岡梅林近く(枚岡神社境内)にある「楠正行 縁の井戸」

楠正行は南朝方で戦った楠正成の息子。湊川(神戸)へ足利尊氏との最後の戦いに向かう楠正成と別れる「桜井の別れ」のシーンは有名で、当時は11歳でした。

「桜井の分かれ」と言うのは、奈良の桜井市ではなく、古代律令制度下の駅家の一つ「桜井駅」のこと。西国街道が通るJR京都線 島本駅前にあり公園になっています。

楠正行は正成がなくなった後、南朝側で戦い、最後の戦いとなったのが高師直と戦った四条畷の戦い。枚岡あたりを根城にしていた水走氏と共に戦いましたが敗れ、亡くなりました。本陣はもう少し南の往生院六萬寺にありましたので、この一帯も戦場になったのでしょう。

大阪平野が一望できるので大坂夏の陣では家康が最初の本陣を置いていました。

天下の城下町(大阪歴史博物館)

大阪歴史博物館
谷町四丁目にある大阪歴史博物館へ。エレベーターで10階まであがると奈良時代の難波宮の大極殿を原寸大に復元した空間へ。女官や侍従の等身大の人形が並んでいます。暗い中、モニターでは難波京のCGが映し出され、大極殿の前に官僚が整列。一番前に左大臣・橘諸兄が登場し、難波宮を都とする聖武天皇の勅命が宣せられます。
難波京・大極殿がだんだんと現代の姿に変わっていくと同時にブラインドが上がり、一気に明るくなります。眼下に広がるのは博物館前の難波宮史跡公園。全景が見られます。何回も見ているんですが、毎回、悠久の歴史が感じられます。
常設展を見てから、今回は特別展「天下の城下町 大坂と江戸」を見てきました。信長、秀吉、家康の城古地図などが展示されています。
信長-小牧城、岐阜城、安土城
秀吉-伏見城、名護屋城、聚楽第、大阪城
家康-江戸城
先日、岩波書店の「信長の城」を読んだばかりでしたので、小牧城の城下町図などは感激ものでした。聚楽第の黄金の瓦も展示。別に「大阪市の新指定文化財」というのをやっていて、難波京で見つかった日本最古の万葉仮名木簡が展示されていました。「はるくさのはじめのとし」という文字が書かれていますが、きっちり読めました。
信長、秀吉、家康と言えば、10年前に富士通ファミリ会東海支部のサイトに「郷土の三英傑に学ぶ」というのを連載していました。歴史モノを書いたのは初めてでしたね。

洲崎神社(名古屋)

suzaki201302.jpgプラネタリウムで有名な名古屋市科学館の近くにあるのが洲崎神社。 

場所は若宮大通(100m道路)が堀川を渡るところにある新洲崎橋のたもとにあります。名古屋駅からも割と近く、御園座がそばにあります。860年頃の創建なので、めちゃくちゃ古い神社です。応天門放火の罪で大納言伴善男が流罪となる応天門の変が起きた頃です。 

大昔、このあたりは入江で洲崎になっていました。つまり昔の海岸線。名古屋駅周辺には笹島、亀島などの地名が残り、少し離れたところには枇杷島、津島、長島があります。ですので大昔、名古屋駅も海の底。大雨が降ると洪水などで名古屋がボロボロになるのは必然ですね。 

戦国時代には那古野城今川氏の家臣だった、中村氏の廣井城が神社の北側にあり、織田家と争っていました。神社の入口に廣井城跡と書かれていました。 

名古屋城を築城する時に境内の一部が堀川になってしまいましたが、尾張藩御船手役所ができ、尾張、三河、伊勢、志摩の防備に尾張藩があたっていました。いまだとさしずめ海軍基地です。 

四日市商工会議所でIT窓口相談

yokkaiti201301.jpg午後は四日市商工会議所でIT窓口相談。相談は2件で、相談の後、2月に行うセミナーの打ち合わせをして帰ってきました。IT窓口相談は月に1回、伊勢商工会議所と四日市商工会議所で開催しています。 

もともとは3類型と言って、中小企業・ベンチャー総合支援センター、都道府県等中小企業支援センター、地域中小企業支援センターが、平成11年中小企業基本法の改正でできました。 

三重県の場合、中小企業・ベンチャー総合支援センターは名古屋にある中小企業基盤整備機構・中部支部で、都道府県等中小企業支援センターが三重県産業支援センター、地域中小企業支援センターが伊勢商工会議所、四日市商工会議所でした。地域中小企業支援センターはローカルセンターとも言っていました。 

当時、三重県産業支援センターからローカルセンターへ出向いてIT相談をしており、3類型がなくなっても何とか続けてほしいと依頼があり、10年近く続いています。予約制なので予約が入らないと行かないので2ケ月ぶりぐらいに四日市商工会議所へ行ったのですが、すぐ近くの国道1号線沿いにセブンイレブンが出来ていました。あっという間に作ったんですね。 

次回の四日市商工会議所のIT窓口相談は2月13日(水)ですので、お近くの方はぜひどうぞ!会員以外でも大丈夫です。 

真因は何?

kintetu201301.jpg朝から津へ行っていたのですが夜、津から大阪へ近鉄急行に乗って戻ってきました。

伊賀上野へ行く伊賀鉄道と連絡している伊賀神戸駅(三重県)に到着すると伊賀鉄道が遅れていたため停車時間が伸び、4分遅れて出発。結局、八木駅(奈良県)まで遅れは解消しませんでした。「伊賀鉄道が遅れたため4分遅れて到着します」と車内アナウンス。 

八木駅で降りると、連絡している京都行き急行が発車時間を遅らせて待っていました。西大寺駅に着くまで遅れは解消せず、「大阪線の列車が遅れたため、4分遅れて到着します」と車内アナウンス。 

西大寺駅(奈良県)では奈良線と連絡しているので、こちらの電車も連鎖して遅れます。「京都線の列車が遅れたため、各駅の到着が遅れます」と車内アナウンス。 

近鉄は関西一円に電車を走らせていますので、伊賀での遅れが遠く京都や大阪にまで影響が波及します。さて西大寺駅から乗った乗客にとって遅延の原因は京都線の遅れです。ですが、その前は大阪線の遅延であり、大元は伊賀鉄道の遅延でした。 

直近の現象(京都線の遅延)だけ見ていては真因(伊賀鉄道の遅延)には至らないわけです。真因もひょっとすると伊賀鉄道の遅延ではなく伊賀上野駅で連絡しているJR関西本線が遅延していたのが原因かもしれません。 

トヨタでは「なぜなぜ5回」ということで「なぜ」を5回続け真因を探ることを行っています。私たちの日々の生活でも、本当に隠れた原因は何なのか探る心構えが必要ですね。

結局、10分ほど遅れて新石切駅にたどりつきました。

商売繁盛で笹もってこい!

nukataebisu2013.jpg本日は十日戎。商売繁盛を「えべっさん」にお願いする西日本の風習です。 

名古屋では熱田神宮へ1月5日午前零時にお参りするのが初戎で、十日戎という風習はないそうです。東海地域では岐阜県海津市にある「おちょぼさん(千代保稲荷)」が商売繁盛で有名で、毎月1日は月並祭が行われ、深夜から早朝にかけて大混雑しています。なんでもお参りして串カツを食べるのが定番という変な風習もあるそうです。 

大阪でも八尾は少し早い目の「えべっさん」で、八尾の「八」にちなんで八日戎になっています。 

十日戎は今日が本戎。家から歩いて5分のところにある額田戎神社へ行ってきました。いつもは閑散としている境内ですが、この3日間だけは、えらい賑わっています。 

いつも閑散としている神さんに商売繁盛をお願いしても大丈夫かいなという疑問はさておいて(笑)、社殿にお参りしてからウラへ回り、戸板をたたいて再度、お願いしてきました。これで今年も商売繁盛だあ! 

水谷神社にお参り

mizutani201212.jpg初詣は奈良の春日神社へ 

さすがに人が多く、本殿に入る前には入場制限もあります。境内はごった返しているのですが、境内のちょっと離れたところに水谷神社があります。 

手向山八幡宮から若草山沿いに歩いて春日神社の神域に入ったすぐの所にある摂社です。水谷家の総本社でして、毎年お参りしています。 

というのはウソで、本当は水谷神社(みずやじんじゃ)という名前。 
素盞鳴命、大巳貴命、奇稲田姫命が祭られています。疫病難病をはらい病魔を退散する神様。近くを水谷川が流れていて川沿いに水谷茶屋が有り、川には水谷橋がかかっています。と、水谷がてんこ盛り(笑)。 

WikiPediaを見てみると兵庫県養父市には本当に水谷神社(みずたにじんじゃ)があるそうで、こっちはぜひお参りしてみたいですね。

伊勢志摩のパソコン女将

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【伊勢志摩のパソコン女将】
前田 千恵子著(静岡学術出版) 
偶然のきっかけから志摩で地域おこしに取り組む志摩の女将会と出会い、情報発をしたいという願いからパソコンを教えることになった著者。電源の入れ方から説明するところから始まりますが、次の難関はキーボードの配置を覚えること。そんなん無理と言いながら、紙に書いたキーボードで必至に練習に取り組むなど女将さんも実に熱心。 
教室で「メモ帳を出して」と言うとカバンから本物のメモ帳を出す受講生に対して、ドラッグをズルズルと表現するなど懇切丁寧に教えた成果からブログ開設やホームページによる「てこね寿司」レシピなどの情報発信が実現。情報発信が実り、いろいろな問い合わせが増え、テレビ取材を受けたり、「食と地域の絆づくり」選定証を総理官邸で贈呈されるまでになりました。 
地域の情報は自らの手で発信する姿勢が大切です。 その次に必要なのは儲ける仕組みを作ること。
■生産年齢人口が減り、地域活性化は待ったなし 
今から100年前といえば司馬遼太郎『坂の上の雲』の舞台となった日露戦争の頃、日本人口は4,385万人でした。この100年間、人口が3倍に増えるという外部環境で全ての商売を行ってきました。すでに人口のピークは過ぎており減り始めています。 
実は1995年、生産年齢人口(15~64歳の人口)が先にピークを迎え、この17年間減り続けています。生産年齢人口が減ったためお酒が売れなくなりました。若者がお酒を飲まなくなった以上に人口減の影響が大きく響いています。生産年齢人口が減るということは生産に伴う所得税が減るということです。国も地域も税金が減っていきますので、地域は地域なりに工夫してお金を集めなければなりません。 
■農作業を外注して、しかも儲ける仕組みを作る 
地域で高齢化がすすむと重労働である田んぼの世話ができなくなります。ただ、先祖伝来の田畑を自分の代で手放なすわけにもいきません。そこで農作業を外注するのですが、田植えを頼むと手間賃がかかります。田植えをするための種苗代もかかります。雑草を抜くのは自分でやるにしても稲刈りや脱穀を頼むとまたお金がかかります。結局、お米を作らずに買った方が安いことになり、ますます耕作放棄地が増えます。 
この田植えなどの農作業を何とかできないかと考え知恵をしぼったのが飯田市です。飯田市では農家450戸を組織して農家に泊まる農家民泊の修学旅行を誘致しています。修学旅行生を市町村や地元企業などが出資して作った株式会社南信州観光公社が受け入れています。しっかりとしたホームページを作り、都会の中学校などから集客しています。 
都会の中学生にとって、もちろん田植えは初めて。最初は田んぼに入るのもおぼつかない様子です。泥に足をとられキャーキャー言いながらやっていますが、さすがに若いのですぐに慣れて植えられるようになります。田んぼの中の色々な生き物が見ながら田植えを経験します。日本国中、機械植えが当たり前ですが、飯田市には今も手植えの田んぼが残ります。この田植えですが、農林業体験ということでしっかりお金を取っています。農家にとっては田植えの重労働から解放され、しかも潤う仕組みになっています。 
飯田市では農家民宿という体験もできます。農家に宿泊しながら農作業を手伝う体験で、ヨーロッパではグリーンツーリズムと言っています。やったことがない薪割りなどを体験し、囲炉裏端を囲んで農家のおじいちゃんから話を聞きます。家族にとっては、また同じ話をしているわとなり、誰も聞いてくれませんが、中学生にとっては初めての話で興味津津。おじいちゃんにとっては家族が聞いてくれない話を毎回しても大丈夫です。 
「田舎の人は純朴だ」と言っている時代ではありません。税金が減る中、しっかり地域へお金が落ちる仕組みを作らなければなりません。飯田市では農林業体験というコンテンツを整備し、都会から地域へお金が流れる仕組みを作りあげてきました。 
しかも、この成功体験を伝えるための出張講演や視察受け入れによる有償研修プログラムを用意して、さらにお金が地域へ回る仕組みを作っているのは葉っぱビジネスの上勝町や伊賀のモクモクと同様です。田舎ならばこそ、したたかに稼ぐ仕組み作りが重要です。 
▼南信州観光公社 
http://www.mstb.jp/

黒門市場で忘年会

kuromon201212.jpg午前中はLEC梅田でお仕事。 

お昼に仕事が終わったのでミナミへ出て、黒門市場へ。年末になると東京のアメ横と並んで必ず中継される大阪の台所です。今日も人が多かったですね。忘年会の会場は黒門場にあるお寿司屋さん「すし処 黒門 寿恵廣(すえひろ)」。ネタは黒門市場から仕入れていますので新鮮で豊富。定番メニュー以外にその日、おすすめの手書きメニューがあります。 

14時から中小企業診断士の集まりであるファイティング・コンサルタンツの忘年会を開催。毎年、このお店で開催しています。2階の座敷でブリしゃぶを中心にいただきましたが、おすすめが半熟卵が入った赤だしで、これは他のお店で見たことがなく絶品です。 

結局、18時頃まで飲んでおりました。

名古屋大学・食堂

nagoya20121213.jpg名古屋大学へ 

名古屋市新事業支援センターで来年1月25日(金)に大学発ベンチャー ビジネスプラン・グランプリ発表会を行いますので、名古屋大学へ打ち合わせに行ってきました。発表会の場所は名古屋市中小企業振興会館(吹上)。 

名古屋大学ですが台地の上にあるので、けっこう起伏があり、いたるところに坂があります。打ち合わせが終わったら、ちょうどお昼前でしたので、そのまま学食へ。入ったのは丼、麺専門のこじんまりとした学食。広いキャンパスなので、食堂もいろいろな所へ分散しているようです。頼んだのはから揚げネギ丼(380円)+サラダ(84円)。おいしゅう、いただきました。