午後、明和町の企業さんへ行く予定でしたので、近くの斎宮へ寄ってきました。
伊勢神宮へお参りする人は多いのですが、途中にある斎宮へ足を延ばす人はほとんどおりません。隠れスポットで、あまり知られていませんが平城京跡なみのすごい史跡です。
斎宮とは古代から南北朝時代まで続いた伊勢神宮に奉仕する斎王の御所。ここで520人ほどが働いていましたが、中心となるのが斎王。美内すずえさんの漫画「アマテラス」は倭姫をモチーフにしていますが、この倭姫が2代目斎王です。
天皇が変わるたびに未婚の内親王または女王の中から斎王を選びます。まずは嵯峨野にある野宮(現在の野宮神社と言われています)で斎戒生活を送ってから伊勢へ向かいます。
歴史にもたびたび斎王が登場しますが有名なのは斎王になった姉・大伯皇女に会いにきた大津皇子。大伯皇女が大津皇子を見送った歌が万葉集に残っています。「わが背子を 大和へ遣ると さ夜深けて 暁露に 吾が立ち濡れし」。この後、大津皇子は24歳の若さで処刑されてしまいます。
斎宮の中央を農道(遊歩道)が走っているのですが、発掘の結果、この道が奈良時代から現代まで続く道であることが判明。奈良古道と呼ばれています。最近、各区画を分けている道の一部が復元されましたが、広いですねえ。この道のすぐわきで国内最古となる「いろは歌」の墨書土器が出土し話題となりました。
残念なことに月曜ですので斎宮歴史博物館は閉まっていました。
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世界の山ちゃん
津で建設業なんでも相談会を行ってから名古屋へ移動。
名古屋名物「世界の山ちゃん」へ。名古屋はよく来ていますが、入ったのは初めてです。まずは生ビールを頼もうとしたら、メニューに銀河高原ビールがあるじゃないですかあ!
地ビールブームの頃はいろんな店に置かれていたんですが、鮮度が短いので。最近、扱っている酒屋がほんとんどない中、なんと生ビールがありました。迷わず、大ジョッキーを注文。久しぶりの銀河高原ビールでした。おいしかった!
ビールのあてには定番の幻の手羽先を頼みましたが、これはメニューにある通り辛いですねえ。個人的にはもうちょっとコショウ抑え目でもよさそうです。味噌カツやらなんやら頼んで純米酒まで飲んでいたので、けっこう会計は高め。名古屋への出張族などが狙えるので、この値付けのいいんでしょうね。
天平時代にもあったパワハラ
午後に仕事が終わったので正倉院展へ出かけてきました。奈良へ着いたのは夕方。
正倉院展では閉館90分前からオータムレイトチケットという割引(1000円→700円)があります。この時間帯になると並ばずに会場へ入れ、会場内も人が少ないのでゆっくり見られます。もっとも目玉である瑠璃坏(コバルトブルーのグラス)には長い行列ができていました。
今回はガラス玉とスゴロクなどの遊び道具の展示が多かったですね。白と黒の碁石も展示されていました。いつも楽しみにしている古文書が少なかったのが残念。
古文書の中に天平時代のパワハラ文章がありました。主人公は角勝麻呂という人部。写経生でしたが仕事でミスをしたようで、上司や同僚から「宴を必ず設くべし」と迫られ、親族と思われる角恵麻呂が連帯保証しています。この念書が古文書として残りました。
上司や同僚がミスを表沙汰にしない代わりに宴会を強要したようで、まさにパワハラ。本当に宴会を開いたかどうかは分かりませんが、後の古文書にも角勝麻呂が登場しますので、無事に切り抜けたようです。
先日、「平城京に暮らす」(馬場 基著・吉川弘文館)を読んでいたら、この話が出ていて現物を見られたのはラッキーでした。
「平城京に暮らす」によると、当時は役所でも酒が支給されたそうで、酒がほしいという木簡が残っています。それも「二升ばかり」や「一ニ升」とあり、二升ほしいと直接的に書かないところがいじましいですね。
また腹痛など休暇願の木簡が残っていますが、中には図太いのもいて無断欠勤がけっこうあったようです。役所が無断欠勤者のリストを作って呼び出したりしています。呼び出しがあると別の理由をつけて、また休む厚かましいヤツもいて、いつの時代も変わりませんね。
船場総研 伊賀上野散策
船場勉強会という大阪を中心とした中小企業診断士の勉強会があります。もともとはNifty-ServeのFlic(資格フォーラム)にあったオフライン勉強会。ここのOB組織が船場総研です。試験合格後も勉強会へ出入りして、受験生の邪魔だということで邪魔しないように組織されたようです。(笑)
船場総研では年に何回かビジネススクールのような勉強会を開催したり、商店街視察をしたりしているのですが、最近は蔵巡りなど遊びモードが中心になっています。
一度は三重でやろうということで昨日は伊賀上野散策を行いました。伊賀上野は仕事でよく行っているので新鮮味はないですね。(笑)
お昼は伊賀上野名物の田楽を食べに、田楽座わかやへ。炭焼きの田楽で有名なお店で、平日は少し待てば入れますが、さすがに祝日は超満員。20分ほど待って、おいしくいただきました。昼食の後は、鍵屋の辻(ここは知られていないのか観光客は一人だけ)~崇廣堂(藩校)~伊賀上野城~忍者屋敷を巡ってきました。伊賀上野城や忍者屋敷は観光客が多かったですね。
夕方になったので上野市駅から少し歩いたところにある養老の滝へ。伊賀上野で居酒屋ってあまり見たことなかったので事前に調べ、伊賀の人に聞いたのですが上野市駅周辺に居酒屋は皆無。少し離れたところにポツン、ポツンとあるぐらい。地元の人は居酒屋はロードサイト店に送迎付きで行くそうです。帰り際にちょっと一杯行こか、はいいけど、行く店がないのは困るなあ。
平安京の四神 陰陽師の世界
昨日は野村萬斎主演の映画「陰陽師」をやっていました。舞台はもちろん平安京。
平安京を作る時に考えられたのが都を守る四神「玄武(山)・朱雀(池沼)・青龍(川)・白虎(大道)」です。従来から玄武は船岡山、青龍が鴨川、白虎は山陽道、朱雀は巨椋池と言われています。ちょうど歴史地理学の本を読んでいると、この四神について面白いことが書いてありました。
朱雀(船岡山)からまっすぐ内裏を通って朱雀大路が通っていますが、ここから等間隔で西堀川と東堀川があります。この西堀川と東堀川の間隔をそのまま東に伸ばすと鴨川になります。地図や等高線を調べると、どうも西側の等距離にも道と川があったことが判明。
これが木嶋大路で一番北に蚕ノ社があります。現在、この道はありませんが大路と御室川が流れていたようです。それぞれの間隔がちょうど588丈。1丈は今の約3メートルです。当時1里は180丈でした。これを10倍すると1800丈。
船岡山
内裏
木嶋大路 西堀川 東堀川 鴨川
588丈--+-588丈-+--588丈
1800丈-18丈×2=588丈×3 となり18丈は約60メートルですので鴨川の幅と木嶋大路の広さだったようです。
つまり西の白虎は山陽道などではなく都に平行して南北に走っていた今は失われてしまった木嶋大路だはないかという説です。また朱雀も巨椋池ではなく、羅城門からちょうど10里行ったところに横大路朱雀という字名が残っているそうで、ここに人工池が作られていたのではという説です。
もし、そうだとするとかなり緻密に平安京を作っていたんですね。まさに計算の陰陽師の世界です。
2分間隔で電車が来る東山線
名古屋市新事業支援センターへ行くのに近鉄名古屋駅で降りて、地下鉄・桜通線に乗り換えています。今日は朝から名古屋大学の研究室へ行く用事があったので近鉄を降りて、桜通線への連絡口ではなく東山線へ。
朝の地下鉄東山線・名古屋駅って行ったことがなかったのですが、めちゃくちゃ混雑しています。改札の前に行列ができているのにまずビックリ。改札の先がつまっていて、行列はずっと続きホームに降りる階段もずっと行列です。ただし地下鉄は2分間隔で走っているので、そう待たずにホームに降りることができました。
この2分間隔は東山線全区間で、この短さは日本一なんだそうです。東京のメトロ丸ノ内線は1分50秒間隔ですが、これは一部区間になります。東山線って、めちゃくちゃすごいダイヤなんですね。あれほどの行列でしたが車内は御堂筋線のようにギュウギュウではなく、少しゆったりしています。すぐに電車が来ることもあって、一杯になりそうになると待つ乗客が多いことが影響しているようです。
東山線の本山駅で乗りかえて、環状線のように1周している名城線へ。一駅乗ると名古屋大学という駅です。ここの3号出口は名古屋大学キャンパスに直結。濡れずに大学構内に入れます。
駅から大学まで学生街が広がるというのが定番なんですが、3番出口にそんな風情はありませんねえ。
津城下図
三重県産業支援センターで昼休みに中日新聞を見ていると津城下図が発売されたという記事を発見。発売されたのは寛永期(17世紀)、享保期(18世紀)、嘉永期(19世紀)の3枚です。享保期については去年も発売され、たまたま新聞で見つけたのですが、10日ほど経って買いに行ったら早々に売り切れていました。今回は発売開始3日後の金曜に少し時間ができたので津市役所へ出かけて買うことができました。嘉永期は1000部、寛永期、享保期は500部の発売で、金曜日時点で既にだいぶ減っていました。3枚ともゲットできたのはラッキー。
道は庭岩禅寺、八百亀商店(八百屋さん)、佛眼寺、天理教津大教会の横を通って百五銀行本店の裏側で岩田川にぶつかります。古地図を見ると同じ位置に道があり庭岩禅寺や佛眼寺の名前が見えます。何とと言うことはない道なんですが江戸時代から、ずっと続いている道なんですね。
現在はありませんが岩田川の中には島があり、位置的には中部電力・津支店あたりのようです。
古地図を眺めて歩くとブラタモリ気分が味わえます。あの番組、復活しないかなあ。
堂島 古河ビル
堂島へ行く用事があったので懐かしい古河ビルへ寄ってきました。サントリー本社のすぐ近くにあります。
新卒で入った会社が株式会社SRA。当時はソフトウェア・リサーチ・アソシエィツという長たらしい名前でした。西日本営業所があったのが、堂島グランドビル。1階には第一勧銀と本屋・オーム社が入っていて銀行や本屋にすぐ行けて便利でした。特にオーム社は仕事で使うコンピュータ系の本が揃っていてよかったですね。地下には紅茶専門の喫茶ムジカがありました。
当時は阪急京都線・上新庄に住んでいたので阪急梅田駅で降り、地下街を20分ほど歩いて堂島グランドビルまで雨に濡れずに行くことができました。梅田のだっだ広い地下街は初めて行ったら絶対に迷いますね。あまりにすごいので「梅田地下オデッセイ」(堀晃)というSF小説までありました。
堂島グランドビルの5階か6階に会社があったのですが、手狭だったこともあり、すぐ近くの古河ビルにもオフィスを借りていました。プロジェクトによって移動したのですが古河ビルにいることが多かったですね。古河ビルは地下街と直結しておらず、サントリー本社近くに地下街への降り口があり、雨が降っていたら古河ビルの入口まで走らないといけませんでした。
プロジェクトが佳境に入ると深夜まで仕事をすることもしばしば。そのまま古河ビルに泊まり込んでしました。冬で寒いからリストを体に巻きつけて寝たこともありましたが、リストはゴワゴワするだけで、暖かくないことを学習しましたね。古河ビルの地下には床屋、郵便局、歯医者があり、こっちも便利なビルでした。
石切神社 日下(くさか) 神武天皇の上陸地
真田幸村 最後の地
先日、四天王の古書市へ行ったついでに安居神社へ寄ってきました。四天王寺・西大門から西にずっと坂になっていて、坂の途中に安居神社があります。ちょうど一心寺の前になります。
一心寺の裏側が天王寺公園になっていて、公園の中に茶臼山古墳があります。大阪冬の陣では茶臼山一帯が徳川家康の本陣となり、大阪夏の陣では真田幸村の本陣となって「茶臼山の戦い」が行われました。
茶臼山の戦いでは真田幸村の突撃で、家康軍は総崩れ、旗本も逃げ出し、この時に本物の家康は死んだという説があり、 堺市の南宗寺には「家康の墓」があります。大阪人は太閤さんを滅ぼした家康を嫌いなので、プリンセス・トヨトミめいた話がまことしやかに残っています(笑)。
真田軍の攻撃であわてふためいた家康の本陣は大混乱。三方ヶ原の戦いで信玄に敗れて以来、倒れることがなかった旗指物が倒れてしまいました。大久保彦左衛門が家康からの質問に「いいや、倒れなかった」と頑固に主張して徳川家の名誉を守った逸話が残っています。
後詰がない真田軍も追撃が続かず、真田幸村はこの地で討ち取られました。境内には真田幸村戦死跡之碑が残り、六文銭の旗がはためいていました。
真田幸村の突撃は敵方の多くの書物に残されており、島津は「真田は日本一の兵」と記録しています。