昨夜は知的生産の技術研究会・関西セミナーを開催。
27歳の時に立ち上げて、なんとかかんとか続けて、いよいよ来年、30周年を迎えます。今年は知的生産という会の原点に戻って出版セミナーを続けています。昨夜は第3回目で「たくさんの本を書く発想法、たくさんの本を出すコツ」というタイトルで開催しました。
115冊の著作を出されている株式会社オフィスヴォイスの福島代表に、たくさんの本を出すコツを教えていただきました。
裏話が面白かったですね。90年代に「究極の手帳術―ポストイットと能率手帳で十分」など手帳術や仕事術の本をいち早く送り出しましたが、やがて熊谷正寿「一冊の手帳で夢は必ず叶う」など著名人が手帳熟などを書くようになりブームとなります。出版社に言われて福島氏が復刻して出したら”マネするな”というコメントがきたそうで第一人者ということが知られていないし、調べもしないんですね。
本を出すには文章力よりもコンセプトワークとオリジナリティが大切で、分かりにくい文章は編集が赤ペンをいれてくれます。年々、編集の力が落ちてきている出版業界の現状についてもいろいろと話をしていただきました。
次回は8月12日(金)に作家・奥野宣之氏に「ベストセラー作家になるコツ」でお話しいただきます。
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聖地巡礼
知的生産の技術研究会・関西の世話人を29年ほどやっていますが、研究会を作るきっかけとなったのが梅棹忠夫先生が書かれた名著「知的生産の技術」(岩波新書)です。
というわけで本が書かれた家に聖地巡礼です。1949年に梅棹先生が北白川に家を買われ、ここでたくさんの著作が生まれました。執筆部屋には京大カードが並んでいたそうです。また金曜夜になると若い研究者や学生に開放されました。梅棹家に行けばタダでビールが飲めるということで多い時には20名近くが集まり、朝まで議論していました。これが有名な”梅棹サロン”でまさに梁山泊です。若き本多勝一氏、石毛直道氏、小松左京氏らがたむろしていました。
梅棹先生が国立民族学博物館の仕事をするために千里のマンションに移ってからは荒れていたのですが、次男の梅棹マヤオ氏がギャラリーとして復活しています。当時、今のような住宅地ではなく周りは田んぼだらけだったそうで、梅棹サロンに参加する人の靴で玄関は一杯。それを長い棒でかき回してグチャグチャにし遊んでいたそうです。家にあった蔵書は梅棹マヤオ氏が国立民族博物館までアルバイトで運んだそうですが、とてつもない量だったそうです。
出版社から見た『編集者を動かす企画書』の書き方
昨夜は知的生産の技術研究会・関西のセミナー
講師は株式会社ペンコム代表の増田幸美さんで、「出版社から見た『編集者を動かす企画書』の書き方 今すぐ出来る!出版への道あれこれ」というタイトルでセミナーをしていただきました。
●返本40%
日本全国に書店が14,000ほどありますが、本の初版は3000ほどで、町の本屋さんに本は並びません。また本は委託販売で売れなければ返本で帰ってきます。書店からの注文にそのまま応えて本を送っていれば、そのまま返本で帰ってきてしまい実際に倒産した出版社もあります。
テレビ番組で本が取り上げられたことから、出版社に注文が殺到しましたが1万増刷して全てアマゾンへまわし、書店には回しませんでした。アマゾンの場合、注文した数は必ず引き取り返本がないからです。
出版社へ持ち込む企画書のコツなどを伝授いただきました。
アイデア社長の情報仕事術
外は雨模様なんで、せっせと家でAll Aboutの原稿書きをしています。
原稿書きのついでにカンテレのウラマユを見ていたら、ウィークリーマンションツカサの川又社長が出演していました。新しい事業でがんばっているんですね。
川又社長にはバブルが崩壊し1,500億円の借金があった時代に知的生産の技術研究会・関西で講演してもらいました。タイトルは「アイデア社長の情報仕事術」です。
その後ぐらいに五反田にあったウィークリーマンションツカサ本社のセミナー室で「インターネットとは何か」というようなタイトルでセミナーをした記憶があります。ホームページが立ち上がるたびにニュースになったインターネット黎明期時代の話です。懐かしいな~あ。
素人が商業出版するためのリアルな方法 知研関西
昨日は知的生産の技術研究会・関西セミナー。
株式会社クリエート・バリュー代表取締役 駒井俊雄氏「素人が商業出版するためのリアな方法」-『「廃業寸前」が世界トップ企業になった奇跡の物語』出版秘話ーというタイトルで話をしてもらいました。
「うちの事業部が身売りされるらしい! 」
「ひょっとすると廃業もあるそうだ! 」
タイガーや象印に負け続け万年3位だったステンレス製魔法瓶の「サーモス」が、負け犬集団を脱して、ついには常勝軍団になっていく過程を描いた実話に基づいた小説です。初版は4千部で現在、増刷がかかりよく売れています。
リアル下町ロケットの内容になっていますが、本を出すまでには数々の困難がありました。そんな出版秘話を楽しくお話しいただきました。
■出版の種類
出版には商業出版、自費出版、共同出版があり、最近多いのが共同出版。出版社と著者の双方が出版費用を負担する形でブランディング出版、アライアンス出版と営業してくる場合があります。ただ共同出版で最初の本を出してしまうと、次に商業出版を出そうとすると共同出版でないと本が出せない著者と見られがちでハードルがあがります。
■売れる本を出すためには
1.力のある出版社を選ぶ
出版エージェント経由で出版社にアプローチしたとことろ3社からオファーがあり、ぱる出版に決定。営業が本屋に強く、平積みなど
本屋で目立つようにしてくれた。
2.日経に広告が出た
相場では350万円ほどの大きな広告を、出版社が出してくれたためアマゾンのいろいろなカテゴリーで1位となり、2週間売切になってしまった。
3.手書きPOPを作り書店巡り
ベストセラーを出している作家も皆さんやっており、北海道から九州まで経費はかかったが書店巡りをした。
なぜコンビニ弁当は売れるのか?
昨日は知的生産の技術研究会・関西セミナー
テーマは「なぜコンビニ弁当は売れるのか?」で、講師は森中小企業診断士事務所 森 憲二郎さん。
セブンイレブンとファミリマートとの違いなど、コンビニエンスストア本部で長年スーパーバイザー、エリアマネージャーを担当されていた森さんからお話しをお伺いしました。
コンビニで粗利がよいのが飲料。そこで行うのが弁当の充実。セブンイレブンでは常に弁当を充実させ、飲料の関連購買を狙います。つまり弁当を使って3食(3回)撒き餌ができます。ただ弁当は廃棄
が出ますがセブンイレブンが15%負担しています。ファミリマートなどには、この制度がないのでオーナーは廃棄ロスを考えて発注は控えめ。空が目立つ弁当コーナーでは消費者に選ぶ楽しみを提供できなくなります。
小売では定番商品が必要ですが、定番商品だけだと顧客は飽きるので常に新鮮な新商品が必要。例えばカップ麺の世界では毎年600種類の新商品が出ます。ただ1年後に売場に残るのはわずか1%という世界。またよく売れているものも、そのままですとやはり飽きます。ラーメンの一風堂では30年の間に20回味をマイナーチェンジしています。
平凡シニアの凸凹就活・明日はどっちだ
知的生産の技術研究会・関西セミナー
「平凡シニアの凸凹就活・明日はどっちだ」
講師:海老名 要一氏
いつもは平日の夜ですが、珍しく土曜日に開催。講師の海老名さんはパソコン通信時代からパワフルな会社員生活をおくっておられました。ニフティーサーブにあったFchiken(知的生産の技術)フォーラムがきっかけで知研関西に参加。
その海老名さんも東京へ転勤し、いよいよ定年を迎え、シニアの就活に直面します。まずは雇用延長するか定年退職するかが最初の岐路となります。会社によっては定年5年ぐらい前に決めないといけません。
定年退職を迎えても元気なシニアが多いため働く必要があります。東京は飯田橋に東京仕事センターがあり、シニア専門の相談員がいますが、ほとんどのハローワークは若者もシニアも同じ相談員が担当します。専門が違うため、いかにシニアに長けた相談員をつかまえるかが勝負になります。
また事務職への就職希望が多いのですが、完全にミスマッチ。求人が多いのが「保安(マンション管理、ビル警備など)」で有効求人倍率は4倍以上、反対に事務職は0.2倍という世界です。
東京しごとセンターでは求職期間が長くなり、6ケ月ごとにシールをカードに貼ってもらえますが、シールが多いシニアを採用すると助成金が増える制度もあるそうです。
セミナーには10名が参加
交流会には講師を含め6名が参加しました。
→ 平凡シニアの凸凹就活・明日はどっちだ
ものづくり&コワーキングスペース Co-Box
知的生産の技術研究会・関西セミナーを天満橋にある、ものづくり&コーワキングスペース「Co-Box」で実施。講師はCo-Boxを運営されているLCUBE株式会社の本所代表。
実は20年ぐらい前にNifty-ServeにあったFchiekn(知的生産の技術)フォーラムで知り合った方です。2013年11月に創業。机などは手作りで作りあげ、Co-Boxを開業。コワーキングスペース(得意な分野で皆で互いに助け合う施設)で国内には400ほどありますが、半分が東京で第2位が名古屋で第3位が大阪。大阪には40ほどあります。
ただ「ものづくり&コーワキングスペース」は日本に3ケ所しかなく、その一つがCo-Box。大阪には一つしかありません。「協働してものづくりをビジネスに」をコンセプトに運営しています。
登録メンバーは170名を超えていますが、7割が男性。最年少は中学生で、鉄道倶楽部に所属していて線路脇に建てる教会を作りたいということで登録メンバーに。オートキャドの図面が使えますかという言葉に驚き、最後に領収書もらえますかという言葉にまた驚いたそうです。末恐ろしい中学生ですね。
ウィークリーマンションツカサの思い出
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TSRの倒産情報を見ているとツカサマンスリーマンションが7月15日、東京地裁より破産開始を決定したと出ていました。もともとはウィークリーマンションツカサにつながる会社です。
ウィークリーマンションツカサの創業者は川又三智彦氏。ウィークリーマンションという業態を大ヒットさせ、1999年に事業を米投資会社リーマン・ブラザーズに売却しています。東京ではよくテレビにも登場し、関西では聞いたことなかったのですが、ウィークリーマンションのテレビコマーシャルもよく流れていたそうです。もう20年以上前になりますが知的生産の技術研究会・関西で「アイデア社長の情報仕事術」というタイトルでセミナーをしてもらいました。
■ウィークリーマンションのスタート
家業で不動産業を営んでおり、老朽化したアパートを立て替えしたかったのですが6軒くらいが出て行ってくれなくて苦肉の策で始めたのがウィークリーマンション。アメリカ留学していた時にアメリカでは週単位に借りられ家具などが備えられたアパートがあったことから、ウィークリーマンションという形態を考えだします。始めましたが、そううまくいきません。最初に来たのは普通のアパートに入れない人達で料金の滞納率が一気に上がってしまいます。
なかには備品を全部持ち出して夜逃げするのも出てきて散々な目にあいます。、金を払わなければ鍵が開かないカードキーシステムを1室当たり50万円をかけて導入し、なんとか軌道に乗せたという話を伺いました。当時は土地バブルがはじけた頃で、これから実態経済にめちゃくちゃ影響が出ますよという話も聞き、実際、その通りになりました。
■ツカサ本社でセミナー
川又氏にセミナーをしてもらっら翌年にWindows95が発売され、インターネットが一般に普及しはじめます。当時、パソコン通信のNifty-Serveから国立がんセンターにtelnet(遠隔ログイン)し、テキストベースでインターネットに接続するようなこともやっていました。
そしたら東京の知的生産の技術研究会でインターネットのセミナーをしろとかいう話になって、ウィークリーマンションツカサの本社(確か五反田?)を借りて、セミナーをしたのを覚えています。ようやくインターネットという言葉が新聞などに掲載されだした時代でしたので、講談社のサイトにアクセスしてドラエモンの絵を出すだけで皆が喜んだ牧歌的時代でした。
ウクライナ最新事情
昨夜は大阪産業創造館で知的生産の技術研究会・関西セミナー。
7月は日本ウクライナ文化交流協会会長で先日、キエフから戻られた小野さんに現地の写真もふまえて最新のウクライナ情勢について話をしてもらいました。またキエフ大学を卒業されたエフゲーニヤさんにウクライナ人の考え方などについてもうかがいました。
■印象的だった話
・ロシアがジョージア(グルジア)侵攻するSF映画を作っているが、馬鹿なジョージア人をきちんと統治してあげるんだという、ひどい内容。ロシアがジョージア(グルジア)へ進攻したのは、ウクライナ侵攻の予行演習だったとウクライナ人は考えている。
・ロシア人、ウクライナ人の夫婦も多く、問題は複雑(ウクライナ、ロシア、ベラルーシは東スラブで同根)
・ウクライナ人のユーモアセンスはすごくプーチンの顔を印刷したトイレットペーパー(プーチンの□□野郎と書かれている)やクレムリンの形のバーベキューセット(シャシリクという)が販売されています。バーベキューをするといかにもクレムリンが燃えているように見えるのがミソ。
・戦争中のキエフ周辺の不動産価格は下がっていますが東京の不動産会社が、そういった不動産を買っているそうで、戦争が落ち着いて値上がりしたところで売るつもりとか、もちろん中国人もたくさんキエフに来ているそうです。
・6月5日に安倍首相がキエフを訪れ、約2300億円の支援を表明日本の首相が初めて訪問したが現地の報道は少なかったそうです。同時期にウクライナからの移民が多いカナダ首相がウクライナを訪問しており、ロシアはけしからんと発言していたことから報道はこっちばかり。