出雲城(桜井)

出雲城(桜井)

十二柱神社(武烈天皇の泊瀬列城宮跡)横に細い道があり、ここを登って道が途絶える所に東の山へ入れる尾根があります。大した藪ではないので、ここから尾根をひたすら登っていくと出雲城にたどりつけます。

主郭が南側にあり北側に2つの副郭があるんですが、郭との間は見事な堀切となっています。郭と郭の間は木橋でつないだのでしょう。虎口は南側で、そのまま主郭に入れず帯郭を通過している間に頭上から攻撃を受ける形となっています。

出雲城の眼下を伊勢街道が通っていて、この界隈には外鎌城、外山城、赤尾城などがあり、おそらく連携していたのでしょう。出雲城は誰が造ったかは不明ですが、かなりの大工事が必要です。永禄3年(1560年)に大和支配を進めようとしていた松永久秀方による、初瀬・宇陀攻めが行われたので、この時に造られたのではという説もあります。

オヤヂの会

フグ久

冬はつとめて。雪の降りたるは言ふべきにもあらず、霜のいと白きも、またさらでもいと寒きに、火など急ぎおこして、フグなど食べたるも、いとおかし。ヒレ酒を飲むとて、継ぎ酒を三つ四つ、二つ三つなど急ぐさへ、あはれなり。 

というわけで鶴橋へ出かけてとっても分かりにくい所にある、ふぐ久です。フグをリーズナブルで食べられるお店として有名で、なんせ大阪といえばフグの消費量が日本一ですが、そのなかでも激安でしょうね。 

さてフグ久ではオヤヂの会という面妖な集団の集まりの忘年会を開催。私は正式メンバーではなく、オブザーバとして毎回、参加しています。年々、高齢化している会でして女性メンバーもいるのに、毎回話題は病気の話やエロ系で、メンバーはすっかりオジサン、オバサンです。

泊瀬列城宮跡(武烈天皇)

泊瀬列城宮跡(武烈天皇)

暴君として伝えられているのが武烈天皇。名前からしてメチャクチャ悪い諡号(おくりな)です。

野見宿禰塚から下ると出雲集落(桜井市)があり、ここに十二柱神社があります。国常立神(くにとこたちのかみ)など神世七代の神々と、天照大神など地神五代の神、あわせて十二柱の神々を祀っている少し変わった神社です。一回のお参りで十二の神さんに参拝できますのでコスパは高いですねえ。

この十二柱神社の境内一帯が武烈天皇の「泊瀬列城宮跡(はつせのなみきのみや)」伝承地として伝わっています。出雲集落は初瀬谷にあり、大和から伊勢へ通じる古代の主要道が通っていて、ここを抑える場所に宮がありました。

ただ宮があったにしては狭い場所ですねえ。武烈天皇は平群鮪の暗殺やら悪逆非道について日本書紀に書かれていて暴君と呼ばれています。ただ後継者がおらず、次は遠く越前から継体天皇を迎えることになり、王朝交代説もあるぐらいなので、武烈天皇を暴君に仕立てたという説が有力です。また日本書紀と古事記ではけっこう記載内容が異なっており武烈天皇は実在しなかったのではとも言われています。

ITC三重 忘年会

萬力屋

ITC三重の忘年会。 

ITC三重というのは、もともとITコーディネータの勉強会でしたが、今は資格などは不問で県内のIT系人材が集まる会になっています。 

■消費税改正はシステム的に大変 
昨日は来年に予定されている消費税改正についての勉強会でシステムに与える影響が大きく、年明けからIT業界はどこも大変になりそうです。 

マスコミではコンビニの店内で食べたらどうだという話が流れていますが、システム的には9月に納品した食料品が10月になってから返品されたらどうなるのか、塩化ナトリウムを染物屋に売ると工業原料となって消費税は10%ですが漬物屋に売ると食料原料となって消費税は8%になるなど、かなりの手間がかかります。システム的にはインボイスができないうちは複数税率をやるのは無理というのが結論なんですが、そうはいってられないので年明けから対応しないと間に合わないでしょうね。パッケージ利用のところはメーカーがバージョンアップ対応しますので騒がなくて大丈夫です。 

ただ、こんな話で騒がれはじめるのは直前が多く、直前に言ってこられてもIT業界では当然、対応できないので、かなり現場では混乱しそうです。 

■忘年会 
勉強会が終わってからは忘年会。会場は毎年おなじみのアスト津・地下の萬力屋です。いつものように食べ放題、飲み放題のオーダ・バイキングなんですが、なぜか毎年、行くたびに価格があがっていて昨夜は一人4,309円でした。 

堺筋本町界隈にある中華店の飲み放題・食べ放題は軒並み3,000円ですので、大阪は安いですねえ。

野見宿禰塚

野見宿禰塚

貴乃花の引退や貴ノ岩の暴行事件など今年も角界ではいろいろとありました。

■相撲の発祥
さて相撲の発祥といえば野見宿禰。日本書紀に書かれているのは垂仁天皇の時代に相撲が発祥したという記述です。大和の當麻(当麻寺で有名)に住む当麻蹴速が剛の者で、出雲国から招いた野見宿禰と相撲(天覧試合)をとらせ野見宿禰が勝ちました。というか当麻蹴速は腰を踏み折られて死んでしまいます。当時の相撲は蹴ってもよかったんですね。相撲を取った場所が桜井市の穴師坐兵主神社の摂社である相撲神社のある所で、日本最古の道である山の辺の道沿いにあります。

さて相撲で勝った野見宿禰ですが、殉死の代わりに埴輪を活用するよう提言し土師氏の祖となります。前方後円墳で埴輪が見つかるのは野見宿禰のおかげなんですねえ。ちなみに垂仁(仁を垂れる)はこの殉死をやめたことから天皇(当時は大王)に贈られた贈り名です。野見宿禰は播磨の立野(龍野)で亡くなり、そちらにお墓があるんですが、なぜか桜井市にもお墓があります。

■野見宿禰塚
近鉄・大和朝倉駅と長谷寺駅のちょうど中間あたりの伊勢街道沿いに出雲という場所があります。一説に野見宿禰は出雲国ではなく出雲村の出身だったと言われています。この出雲を見下ろす高台に野見宿禰塚跡があります。明治16年まで大きな塚があり地元では野見宿禰のお墓と言われていました。そのため力士のお参りも多かったそうです。ところが明治16年に農地整理かなんかで塚が壊されてしまいました。塚にあった朱を捨てたら初瀬川が三日三晩、赤く染まったそうです。なにも壊さなくてもよいのに!

というわけで今は野見宿禰塚跡の碑が畑の中に建っています。かなり分かりにくい場所にあります。

償却資産の申告

償却資産の申告

年末になったため法人相手にいろいろな書類が送られてくる時期となりました。今回は償却資産の申告です。先日、年末調整の申告をしたばかりなのに本当にいろいろ送ってきますねえ。会社勤めの時は総務に書類を出すだけですみましたが、法人となるとその総務の仕事を自分でやらないとダメなので、けっこう大変です。もっとも外部に委託できるほど稼げていないところが問題点なんですが(笑)。

さて償却資産の申告です。固定資産に課税される税金を償却資産税といい、市町村が税金を計算するために法人に書類を送って対象となる固定資産を申告してよという書類です。コンサルティングなどが主体で固定資産もないので、この書類は無視ですねえ。

織田信孝のお墓(関宿)

織田信孝のお墓(関宿)

伊勢・神戸家をM&A戦略で乗っ取った織田信孝(信長の息子)は、やがて遊軍として活躍することになります。信長の命令で越前一向一揆討伐戦や雑賀攻め、播磨へも伊勢勢を率いて出陣しています。

織田信孝が丹羽長秀と共に大坂から四国の長宗我部を攻めようとしていた時に発生したのが本能寺の変。明智光秀を討つのに一番近い所にいながら本能寺の変が伝わると兵が逃亡してしまい、なすすべがありません。そこへ備中高松城より中国大返しで軍を引き連れてきたのが秀吉で織田信孝は名目上、弔い合戦の総大将に祭り上げられます。

■山崎の合戦
天王山との戦いとも言い、明智光秀の敗因は天王山をおさえられなかったという説がありますが、どうも違うようで明智光秀が考えていたのが長篠の合戦の再現だったようです。光秀は山崎の小泉川(円明寺川)沿いに長大な柵をもうけ、秀吉を武田勝頼に見立てて得意の鉄砲戦術で破る予定でした。ですが秀吉も見抜いていたようで、翌日に総攻撃をするという情報を流しながら、雨の日の夕刻に攻め込み、雨で鉄砲を使えなくして勝利をおさめたようです。

■織田信孝の墓
清須会議の後、織田信孝は美濃国一国と岐阜城を支配することになりますが、やがて秀吉と対立。連携を組んでいた柴田勝家が北庄城で滅び、自身は尾張で切腹することとなります。享年26歳でした。

信孝の首を家臣が神戸に葬ろうとして持ち帰りましたが、戦乱の末に果たせず、関に葬ったといわれています。それが関宿の街道筋にある福蔵寺で、もともと織田信孝が信長の供養のために設立した寺でした。

中小企業診断士試験 口述試験の模擬

LEC梅田

明日は中小企業診断士試験・2次の口述試験。

朝から夕方までLEC梅田で模擬面接をやっていました。基本的に2次筆記試験の事例から口頭試問が行われるですが、皆さん優秀ですね。きっちり与件文も読み込み的確に答えていました。

受験される皆さん、明日は頑張ってください!いよいよ実務補修が待っています!

西日野へは軽便鉄道で

四日市あすなろう鉄道

西日野に向かうには近鉄四日市から出る四日市あすなろう鉄道八王子線が便利です。 

なんせ日本で2路線しか走っていない軽便鉄道(ナローゲージ)の一つで、全国的に鉄ちゃんには滅茶苦茶有名な路線です。もう1路線は西桑名駅から出ている三岐鉄道北勢線で三重県内には日本最後の軽便鉄道が残る稀有な県になっています。 

線路が狭いので車両も狭く、夏目漱石の「坊ちゃん」で、「マッチ箱のような汽車」という表現が出てきますが、軽便鉄道時代の伊予鉄道の話で、実感できるのが四日市あすなろう鉄道です。 

もともとは伊勢八王子まで走っていましたが、西日野駅ー伊勢八王子駅間が廃線となり、現在は西日野駅が終点になっています。ポリテクセンターは西日野駅から歩いて10分ほどの所にあります。最近まで近鉄でしたが旅客が減ったためバスに変更するという案に地元が反対し公有民営方式で残っています。日本最後の軽便鉄道を残すためにも、皆さんしっかり乗りましょう!

伊勢市産業支援センターでセミナー

伊勢市産業支援センター

朝、大阪を出発して伊勢へ。
伊勢市産業支援センターで「 IOT、AI活用入門 社会が変わるなか企業は・・・」というタイトルでセミナーをしてきました。
伊勢市産業支援センターは伊勢と言いながら、かなり郊外にあります。近くに伊勢戦国時代村(今は伊勢安土桃山城下街なんだそうです)の安土城がそびえています。
数年ぶりに伊勢市産業支援センターに行ったと思ったのですが、昨年もセミナーをここでしましたよという事務局のお言葉。覚えていない(笑)。困ったものです。