烏帽子型城(河内長野)

烏帽子型城
専門家派遣が午前中で終わり、雨も上がったので河内長野へ、烏帽子形城へ出かけてきました。
河内長野駅を降り、風情がある高野街道を歩くと天野酒の蔵元・西條合資会社があります。享保三年(1718年)創業の蔵で、豊臣秀吉が愛した僧房酒を復活した蔵元としても有名です。蔵元のすぐ近くから城跡まで看板が出ていました。山城跡で看板があるのはありがたいですね、さすがは国指定史跡。城跡は河内長野駅の近くにある烏帽子形山の山頂にあります。
烏帽子型城は楠正成が作ったといわれていて、当時は上赤阪城などと連携していたのでしょう。室町時代は畠山氏の城となり、秀吉の紀州攻めでは中村一氏が城の普請をしています。イエズス会の報告書にも出てくる城でキリシタンの領主もいたようです。烏帽子型城は単郭の城ですが、かなり複雑な縄張になっています。掘跡や櫓の跡がはっきり残っていて、公園になっていますから木も伐採されていて、郭跡もよく分かり、堀跡も歩けます。もっとも公園化によって改変された所もあります。
南海特急が停車する駅から少し歩いた所に見事な山城が残っているのがすごいですねえ。烏帽子形城はきちんと整備されており、スーツ姿でも登れる山城で、おすすめです。ただ縄張図などは事前に調べて行かないと、説明がどこにもないので要注意。予備知識がないと、なんでこんなにデコボコしたり、穴が空いているだけで、どこが公園なんだ、になってしまいます。

4支援機関合同連絡会議

4支援機関合同連絡会議
あいち産業振興機構、三重県産業支援センター、岐阜県産業経済振興センター、名古屋市新事業支援センターの4支援機関が集まって、年2回、会議をしております。
今回は岐阜県産業経済振興センターが幹事。岐阜では、いつも西岐阜駅からコミュニティバスみたいなのに乗っていかないといけない県庁横の岐阜県産業経済振興センターでやっているんですが、今日はソフトピアジャパンが会場。大垣駅からバスに乗っていかない点は同じです。
ソフトピアジャパンは岐阜県が作ったITの拠点で、何回か来たことがあるんですが、この中に大学院大学があるって、はじめて知りました。IAMAS(情報科学芸術大学院大学)で、定員20名で2学年あわせてわずか40名。日本で2番目に小さな大学なんだそうです。教員は19名。学部生はいませんので、どこかの大学を卒業して修士で入学します。吉田学長に学内を案内していただきましたが、なかなか贅沢な環境でフォボラボ(3Dプリンターなど)も完備されていました。卒業生は各界で活躍されています。
終わってから大学の建物の2階である居酒屋で宴会。さあ、大垣から米原経由で大阪へ戻ります。

備中高松城 水攻め土塁跡

蛙が鼻
昨日、せっかく岡山まで行くので、吉備線に乗って備中高松駅へ。
駅近くに秀吉の水攻めで有名な備中高松城がありますが、駅は完全なローカル駅で、駅の中には何の案内もなく、駅を出たところに看板があるだけ。
駅から少し歩くと蛙が鼻築堤跡があります。水攻めにするために堤防を築いたのですが、この堤防の土塁が今も残っています。
土塁を発掘したことろ一番下には土留めに使われた木杭や土を入れた俵の跡などが見つかり、しっかり基礎をつくってから土を盛ったようです。発掘現場も展示されていました。残っている築堤跡は高さ3~4メートルほどで、江戸時代の地誌類では高さ8mとあります。この堤防を延々と3kmも築き、高松城を水攻めにしました。わずか12日で完成したという話ですが、本当ですかねえ。
水攻めは中国の歴史書には出てきますが、日本では高松城が本邦初。水攻めの策を考えたというのは黒田官兵衛と言われています。
去年、大河ドラマが黒田官兵衛でしたので、それにあやかって「黒田官兵衛 備中高松城を水攻めにする」という記事をAll Aboutに書いたのですが、現地を見たのは今回がはじめて。(笑)書いた内容はだいたいあっていたので一安心。
→ 黒田官兵衛 備中高松城を水攻めにする (戦国武将に学ぶシステム作りシリーズ)

知的生産の技術研究会・岡山 発足17周年

知研岡山
知的生産の技術研究会・岡山が発足17周年を迎えるということで岡山へ行ってきました。
知的生産の技術研究会は1969年に発刊された梅棹忠夫先生の名著『知的生産の技術』(岩波新書)の影響を受け、1970年に発足した研究会。本部は東京で今年、45年目を迎えています。全国に支部があり、岡山が発足して17年目を迎えました。
17周年ということで記念講演会が行われ、講師は轡田隆史氏。元朝日新聞記者で夕刊「素粒子」を執筆され、ニュースステーションのコメンテーターもされていました。
私は行けなかったのですが東京で行われた知研の総会でも講演をされ、終わった後の懇親会で、岡山まで来てくださいよと依頼され、また周りがぜひ行ってあげてくださいよと、酔った勢いで言うものだから、轡田氏も酔って引き受けてしまったそうです。(笑)
岡山の寺の門に焼夷弾の跡が残っていた話から永井荷風が岡山へ疎開した話になって、また居酒屋で飲んだ話も重り、鳥取の詩人・尾崎放哉の俳句「墓のうらに廻る」につながっていきます。結局、ジャーナリズムとは何ぞやということで、全部がつながっていきます。めちゃめちゃ面白い話でした。
さて知研関西もやっていますので、ぜひどうぞ!
次回は「知って損なしコンビニ裏話!何でセブンイレブンが圧倒的に強いのか?業界3位のFマートで全国1位になった元SVが語る」という長いタイトルです!
6月26日(金)19:00-20:40
場所:大阪産業創造館 5階 研修室C
http://tiken-kansai.org/

本町の曲がり

本町の曲がり
大阪府よろず支援拠点のすぐ西側を東横堀川が流れています。
もともとは豊臣秀吉が大坂城の西惣構堀として掘った堀川。ちょうど上町台地が終わるところで、防御上のメリットもありました。この東横堀側が大坂城の西の境界にあたり、大坂冬の陣では徳川側の蜂須賀と豊臣側の塙団右衛門が激突した激戦地となります。東横堀川が本町橋を過ぎたところで曲がっていて、上を通っている阪神高速も曲がっています。
てっきり横矢をかけるために堀を曲げたのかなと思ったのですが、どうも当時あった浄国寺という寺を避けるために曲げたようです。ここが「本町の曲がり」とよばれるようになり、江戸時代は誰もが知っている自殺の名所で、恐ろしい化け物が行き交う場所だったそうです。曲げたことで水流が岸にあたり、渦となるので水難事故も多かったことが原因だったかもしれません。
上方落語「まんじゅうこわい」では、暇な連中が集まって嫌いなもの、怖いものを言っていき、なかの一人が「俺はまんじゅうが怖い」と言い出すことから話が展開していくんですが、冒頭で皆が怖いことを言っていくシーンで、この「本町の曲がり」が出てきます。
「南農人町(のうにんまち)から本町の曲がりへかけて、そりゃ夜は人も通らん寂しいとこやった」と幽霊の話になっていきます。ビジネス街だし、この辺りはあまり店もないので、今も夜になると寂しい通りなんですが、江戸時代は心霊スポットだったんですねえ。

八宮巡りコンプリート

七宮神社
生田裔神八社で最後まで残った七宮神社。これで一宮神社から八宮神社まで完全制覇、八宮参りコンプリートです。とりあえず厄除けはこれで大丈夫。他によいことないかなあ。(笑)
七宮神社は兵庫港の近くにあり、阪神・阪急の新開地駅かJR神戸駅から少し歩いたところにあります。七宮神社の隣を阪神高速が走っていて交通量が多いところ。主祭神は大己貴命なんですが、他にも大国主命、大物主神、葦原醜男、八千矛神、大国玉神、顧国王神と七つの名前のある神様ですので、それで七宮神社というそうです。へ~え。
平清盛が日宋貿易の拠点である大輪田泊を作り、この時に七宮神社の社殿を建てました。清盛が遷都した福原京も近くにあり、当時は大いに賑わったでしょう。大輪田泊は中世には兵庫津となり、信長に反乱を起こした荒木村重を破った池田恒興が兵庫津に城を造り、これが兵庫城となります。七宮神社のある兵庫津周辺が当時の繁華街でした。淡路出身の高田屋嘉兵衛が拠点をかまえたのも兵庫津です。
ところが幕末となり、兵庫津のお隣の神戸は寒村で土地もあったので、勝海舟が海軍操練所をつくり坂本龍馬や陸奥宗光が学びます。開国で神戸港が外国船の停泊地に指定されたのをきっかけに、神戸が発展。三宮神社周辺が居留地となります。いまや神戸の中心地といえば三宮ですが、本来は七宮だったんですね。

モバイルフレンドリーの対応終了

モバイルフレンドリー
Googleから「あなたのサイトにモバイル ユーザビリティ上の問題が検出されました」というメッセージが届いて、ほったらかしにしていたんですが、ようやくサイトをモバイル対応しました。
スマホの普及がすすみ、サイトへのアクセスではスマホがパソコンを上回る状況になっています。サイトの条件としてスマホやタブレットなどモバイルできちんと表示されることが重要となっているため、Googleでは4月21日にアルゴリズムを変更。モバイル対応していないサイトの検索順位を下げています。(PCでの検索には影響はありません)
なんせ管理しているサイトが5つもあるので、水谷IT支援事務所のサイトだけ対応して他の4つのサイトは面倒だとほっておいたのですが、ようやく重い腰をあげて対応。スタイルシートやら、なんやかいじくって、DreamWeaverと格闘し、ようやくGoogleのテストを合格しました。とりあえず終わった!終わった!
いろいろとノウハウはたまったので、事業者からのモバイル対応にもバッチリ!
最初のホームページを立ち上げたのが1995年なんで、Google誕生以前からホームページを作っています。ですので2007年に登場し、まだ10年も経っていないスマホなんかの対応までさせないでほしいなあ。(笑)
とはいいながら、Googleが言い出しているSSL(セキュアなサイト)対応もしていかないといけないし、頭が痛いなあ。

伊勢の国では、まだまだお木曳が行われています

宇治橋
伊勢神宮の式年遷宮では、木遣り歌を歌いながら台車に乗せた神木を引っぱるお木曳きが行われ、テレビなどで放映されました。
内宮、外宮の式年遷宮は終わりましたが、伊勢の国では、まだまだお木曳きが行われています。行われたのは関宿(亀山)と桑名。
関宿には東海道と伊勢別街道に分かれる東の追分があります。京や近江からお伊勢参りに行くには東の追分で伊勢別街道に入り伊勢を目指します。ここが伊勢神宮への西からの玄関口にあたります。東の追分に建っているのが鳥居。
鳥居の近くには、「これより伊勢へ」「外宮まで15里」と刻まれた石の道標が建っています。式年遷宮の際に、内宮の宇治橋が建て替えられますが、この宇治橋の鳥居の旧材を活用して、東の追分の鳥居が建て替えられます。つまりリサイクル。宇治橋の鳥居も、さらに20年前は内宮正殿の棟持柱でした。
江戸を出て熱田神宮の宮宿から七里の渡しを船で渡り、上陸するのが桑名。ここに伊勢国一の鳥居が建っていて、ここが伊勢へ向かう東側の玄関口になります。この鳥居も宇治橋の鳥居(おはらい町側)のリサイクル。さらに20年前は外宮正殿の棟持柱でした。
つまり棟持柱が20年建つと宇治橋の鳥居になり、さらに20年建つと伊勢への入口のとなる鳥居へリサイクルされます。土曜日に関宿で、日曜日には桑名でお木曳きが行われ、鳥居が建て替えられました。関宿などの旧鳥居はさらに全国の神社などへリサイクルされます。阪神大震災後で神戸の生田神社の鳥居が被災しましたが、この時は関宿の鳥居が使われました。

中小企業診断士試験の申込締切

大阪府商工会館
中小企業診断士の1次試験が8月8日(土)と9日(日)に行われますが、受験生はまず受験申込をしなければなりません。受験申込の締切は明日、6月2日(火)。
受験生は全国ですので、郵送で申込書は請求できます。郵送請求受付は先週、5月26日で終わりましたので、あとは直接、中小企業診断協会へ申込書を取りにいくしか方ありません。というわけで、今日は受験生が朝からたくさん申込書を診断協会へ取りにきていました。
大阪府中小企業診断協会の隣に大阪府よろず支援拠点があるので、間違えて大阪府よろず支援拠点の窓口に来る受験生も3人ほどいました。こんな間際に申込書を取りに来て、試験は大丈夫かなあと思って眺めていました。マイドーム大阪の1階にワゴンを置いて、中小企業診断士試験の申込書を100円で販売したら今日は儲かったかも。(笑)
写真は昔、本町にあって大阪中小企業診断協会が入居していた大阪府商工会館。
受験生の皆さん、1次試験まで2ケ月となりました。最後の追い込み、がんばってください。

リブロ池袋本店が閉店へ

池袋駅で待ち合わせする時に必ず行くのが西武百貨店に入っているリブロ池袋本店。7月末に西武百貨店との出店契約が終了するため、近日閉店するそうです。ただし、池袋駅周辺への移転を検討しているそうです。
リブロの入口付近でよくフェアをやっていて、並んでいた本が面白かったですね。1975年、池袋に登場したリリブロは親会社がコロコロ変わり、西武→西友→ファミリマート→パルコとなり、今では日販の持株会社になっています。
入居している西武百貨店はセブン&ホールディングスの傘下になりますが、鈴木敏文会長が日販のライバルであるトーハン出身だから、契約解除とともに追い出したという見方もあります。もっとも書店に来る客が百貨店の客になっていないというような分析があったのでしょう。
リブロはセゾングループの創業者・堤清二(小説家・辻井喬)によるセゾン文化を体現する場所で、特に人文・社会系の品揃えには定評があります。書店入口のワゴンに1点の本をたくさん積みあげる陳列がありますが、業界では「トットちゃん積み」といっています。「窓ぎわのトットちゃん」がベストセラーになった時にリブロの中村氏が始めたそうで、講談社の営業マンがその陳列を見に来て、これはよいと全国の本屋に広がりました。