大阪府よろす支援拠点が入っているマイドーム大阪周辺には、なぜかスパイスカレーのお店が集積しています。ランチでカレー店を制覇しようと考えていますが、なぜか中華ばかりに行っています(笑)。
本日、行ったのが松屋町筋と本町通との南西角2階にある中華料理の美味香(BIMIKA)。窓に「食べ放題、飲み放題2980円」とあったので、それにつられて入りました。入口には開店祝いの花などが置いてあったので、オープンしてから、あまり経っていないようです。お昼はランチをやっていて750円前後でコーヒー付。夜は3人以上から食べ放題、飲み放題になります。
他にも食べ放題の店があるそうで本町橋界隈はカレーと同様、中華が激戦地区になっているんですねえ。先週、行った飲み放題、食べ放題の香や本町橋にある中国料理・姿州府では店員さんと厨房で中国語が飛び交っていましたが、美味香も同様でした。華僑のネットワークでもあって創業が続いているんですかねえ。
大阪の大正区は沖縄出身者が多く、沖縄料理の集積になっています。鶴橋・生野界隈はコリアタウンがあり、韓国料理の集積となっていますが、本町橋はこれから本格中華の集積地になるんですかねえ。それともカレーが勝つかなあ。
BLAST研究会

昨日は大阪産業創造館でBLAST研究会。
2002年度、大阪地区で実務研修した仲間が中心となってスタートした中小企業診断士の研究会で、新制度に変ってからの診断士で組織。ニュータイプと呼んでいます。(笑)
年に3回ほど研究会を開催しています。
昨日のコンテンツは
・「女の子の夢と大人の悪夢、プリキュアの魅力と魔力」玉島さん
・「リノベーションスクールって何?」川崎さん
で、私は「史実から紐解く参加メンバーの名前の由来」を担当。
発表なんか面倒なんで、する気なかったんですが、ヤレという流れになって、しかも題名まで決まっています。(笑)セミナーといえば、大体、今までのコンテンツをつなぎあわせて新しいコンテンツをくっつけてやればよいので、それほど時間はかからないのですが、”史実から紐解く参加メンバーの名前の由来”なんて、全部新規コンテンツ。しかもいろいろと調べないといけない!おまけに間際に申込するメンバーもいて、大変。コンテンツ作りに時間がかかりました。
さて、セミナーを始めて一番最初に紹介した名前のメンバーが途中で帰っていて、いない!オイオイ!
市街地に奇跡的に残る交野城(私部城)

織田信長が石山本願寺攻めなどに活用した若江城や古市にあった高屋城など市街地にある城は住宅地されるがほとんどですが、奇跡的に市街地に残っているのが交野城(私部城)。京阪交野駅からちょっと歩いた私部に残っています。
もっとも多くは住宅地や畑などになっていますが、郭の形がわかる形で残っていて、交野郵便局の隣には土塁跡も残っています。少し高台に堀で囲まれた形で奈良の筒井城に似ています。
交野城(私部城)は城主が分かっていて河内の武将だった安見右近が築城。松永久秀の配下で、松永久秀の命令で交野城(私部城)を築城したようです。やがて松永久秀とともに織田信長の配下に入り、三好三人衆を交野城(私部城)で牽制していました。ところが松永久秀が信玄の動きにあわせて信長を裏切ります。そうとは知らない安見右近は松永久秀に多聞城に呼ばれて殺されてしまいます。
その後、すぐ松永久秀は交野城を攻めますが、なんとか持ちこたえました。この時に松永久秀が造った陣城が国見山の津田城という説があります。柴田勝家、佐久間信盛らがかけつけて松永久秀軍を撃退します。
いつ城が廃城になったかは分かりませんが、本能寺の変のあとではといわれています。以来、400年以上も城跡が奇跡的に残りましたので、今後も残していってほしいですね。
食べ放題、飲み放題のお店

津駅前のアスト津地下に萬力屋という中華料理があり、ここが食べ放題、飲み放題、時間制限なしのお店。
ただ18時ぐらいから終電近くまでずっとねばる客がいたせいか、時間制限なしは無くなってしまいました。価格は男性3,990円、女性2,990円で、とってもリーズナブル。こんなお店が大阪にあったら絶対につぶれるなと思ったら堺筋本町にありました。それが中華料理店「香」。
大阪府よろず支援拠点で4月から4名新メンバーが増えたので、昨年度からのメンバーも含めて親睦会を中華料理店「香」で開催。2時間食べ放題、飲み放題で男性2980円、女性2,780円。めちゃくちゃ安いですね。
店は50名ほど入りますが、予約客で満杯。絶対に予約していかないと無理ですね。ホールを3人でまわしていましたが、さすがに50名の客ではテンテコマイ。いっそうのことセルフサービスにしないと、そこは大阪府よろず支援拠点なので、勝手に皆で店のコンサルをやっていました(笑)。
よく飲んで食べました。満足!
とても眺めがよい津田城

連休最後の水曜日、近場の山城へ行こうとJR学研都市線で津田駅(枚方市)へ。津田駅から少し歩いて国見山を目指します。国見山は生駒山地の北方にあり、名前の通り山城、摂津、河内の国を一望できます。遠くは比叡山も見え、目の前は高槻から山崎あたりです。山頂には鯉のぼりが泳いでいました・
この国見山にあったのが津田城。津田氏が造った城と言われ、すぐ近くの飯盛山城から畿内に号令した三好長慶と結んでいました。三好長慶亡きあと、津田氏はもともと本願寺勢力とも通じていたため、織田信長に攻められ落城。発掘調査で焼土層が見つかっており、織田信長の焼き打ち跡ではといわれています。
津田城は、ちょっと変わった城で、長い土塁があり、普通の城とは違い、土塁から標高が下っていく方に郭が造られています。一説には交野城を攻めるために古代寺院の跡地を利用して松永久秀が造った陣城ではないかともいわれています。ただ城跡をみてみると交野方面への防御力が弱く、堀切もないし、どうですかねえ。
本来は国見山の麓に本城があったのですが、こっちは住宅地の開発で壊滅してしまいました。国見山は見晴らしもよくハイキングコースになっていますので、ハイカーがたくさん登っていました。城目当てで土塁の端や郭に登っているような酔狂な人物は誰もいませんでした。(笑)
汗をかいたので帰りに大阪王将でビール&餃子の定番コースを頼み、今年の連休は終わってしまいました。
鎌倉幕府が滅ぶ原因となった千早城

金剛山の登口から急な石段が続いており、この石段をひたすら登ると千早神社境内。ここが、日本史で必ず習う千早城跡。
千早城跡を通って、そのまま金剛山へハイキングできますので、訪れる皆さんは山城マニアではなく、ほとんどがハイカー。神社にお参りしてから神社裏の登山道を通って金剛山を目指します。神社の境内を見て回っているのは私ぐらい。(笑)
神社の裏手に本郭跡があるんですが、神域となっているため立入禁止。本郭以外の郭跡をめぐっておりました。それにしても広い郭ですねえ、大きな郭が4つほどあり、かなりの兵が常駐できました。太平記には1,000名の手勢で立てこもったと出てきますが、十分に常駐できそうです。
郭を歩き回っていると入口の郭から20メートルほど下のところにも郭があるのを発見。崖を降りてみると、かなり広い帯郭でした。後で調べると「馬かけ場」という名前がついていました。千早城は四方が絶壁になっていて、裏手から金剛山へ抜ける道があるだけ、守りやすい城になっています。
後醍醐天皇が笠置山に挙兵。倒幕運動に呼応し、楠正成も挙兵します。鎌倉幕府軍が攻め寄せ、下赤坂城、上赤坂城が落城するなか、楠軍は千早城にたてこもり1,000人の兵で幕府軍100万を相手にしたと太平記に出てきますが、そんなことはなく、1000対数万でしょう。攻めあぐねた幕府軍は向かいの山から100尺(300m)もの橋を掛けて、攻め入ろうとしましたが楠軍に火をかけられてしまいます。楠正成が千早城でがんばっていることで倒幕気運が高まり、新田義貞が鎌倉を攻め、足利尊氏が六波羅探題を攻め、鎌倉幕府が滅亡してしまいます。
太平記の舞台 楠木本城(上赤坂城)

大阪府にある唯一の村・千早赤坂村の赤坂の方にある上赤坂城へ行ってきました。
鎌倉幕府が倒れる原因をつくった楠正成の戦いに登場するお城。出城が下赤坂城、拠点となる本城が上赤坂城、詰城が千早城でした。晴天のゴールデンウィーク、まさか、こんな山城へ来ている観光客はいないと思ったら、いてました。(笑)山城入口に小さな駐車場があるんですが1台留まっています。こちとら暑い中、バス亭から歩いてきたのに。
さて城に入ると堀底道がずっと続きます。神戸の滝川城や高取城と同じ感じですね。一の木戸跡から四の木戸跡まであるんですが、どう考えても上から狙われる構造になっています。鎌倉幕府軍が攻めるのはさぞ、大変だったでしょう。
四の木戸を過ぎると土橋になっています。堀切も見えていて、これが鎌倉時代の城?えらく技巧的だなと思ったら、戦国時代も使われていて改変されているようです。ようやく一番上の本郭にたどりつくとアベックがおりました。駐車場の車の主のようです。デートで山城に登るとは、さすがですなあ。(笑)本郭からの眺めはよく、北摂から神戸の方まで見渡せます。こりゃ、幕府軍の動きもよく分かります。
本郭の周りには広い帯郭がありました。二の丸と書いてある方にも登ってみましたが、こっちには小さな帯郭がいくつも築かれ、堅牢な城に仕上がっていました。上赤坂城は楠正成の死後、正成の三男である楠正儀らが籠城し、落城しました。この時に焼けた建物跡などが発掘調査で出てきたそうです。金剛山の尾根上にあるので、落城しそうになったら、金剛山方面に逃げることができる造りになっています。
オンデマンドで行う動画表現のためのワークショップ

無料オンライン大学講座Gacco。
「日芸がおくる実践型動画制作入門講座~オンデマンドで行なう動画表現のためのワークショップ」という日本大学芸術学部が提供する講座を登録していたんですが、バタバタしていて受講できず、連休なので3週分をまとめて受講。
オンデマンド授業なんで、こういう時はありがたいですね。シナリオの作り方やカット割りの仕組み、アニメーション、メディアアートをどう作成するかという盛りだくさんの内容で、講師もたくさん出てきます。
カット割りの話では黒澤明監督の若い時のエピソードが出てきます。若い助監督時代に、他の助監督は居酒屋なので、あのシーンはよかったなどと話をしていますが、黒澤明は映画のフィルムを見て、自分が気に入ったシーンは、どれだけのフィルムの長さだったのか、何カットで撮られたのか、ひたすら分析していたそうです。そういった視点が映画を作る上で重要だったんですね。
河内湖

よく家から枚岡神社-枚岡公園-石切商店街-石切神社-額田戎神社と巡っています。中臣の神さんと物部の神さんを巡る、1時間の散歩コースとなります。
この散歩コースは生駒山の麓を巡るので大阪平野を一望できます。大阪平野を見ると考えてのは、神武天皇の東征時代は河内湖で、水の底だったこと。一部、上町台地だけは水から出ており、台地の上に難波京や四天王寺ができました。住吉大社も境内の前まで海でした。
河内湖の水を抜くために造られた排水路が「難波の堀江」。仁徳天皇が工事を行い、難波の堀江が現在の大川と言われています。これで大阪平野は湿地帯になりましたが、さらに水の流入をとめるため大和川の付替に和気清麻呂が挑みますが、失敗。近鉄・南大阪線に河堀口駅(こぼれぐちえき)がありますが、ここが掘り始めた場所と言われています。
また大坂の陣で家康が本陣を置いた茶臼山古墳(天王寺公園の中にあります)の河底池は和気清麻呂の工事跡と言われています。
中華料理屋でボヤ

マイドーム大阪7階にある大阪府よろず支援拠点で窓口相談。
マイドーム大阪は松屋町筋(まっちゃまちすじ)にあり、ランチが食べられるお店が多く、陸の孤島だった名古屋市新事業支援センター(吹上ホール)とはだいぶ違います。
お昼は中華でも食べようかなと、めちゃくちゃボリュームがある定食が出てくるお店に入ろうと思ったのですが、午前の相談がトレーニング器具を開発した事業者の相談で、健康の話題で盛り上がっていたことを思い出しました。
「いかん、いかん」と中華をあきらめて、内平野町食堂(まいどおおきに食堂)へ。ここは自分でオカズやご飯を取って最後に清算するスタイルのお店で、もともと大阪の会社なんで、関西にはたくさんの店舗があります。
食事が終わって道を歩いていたら、さっきの中華料理屋の前に消防車が4台ほど止まっていました。どうやらボヤ騒ぎがあったそうで、あのまま入店していたらボヤ騒ぎで昼飯を食いはぐれるところでした。