サンパルの風車

サンパル
ひょうご産業活性化センターで窓口相談。
ひょうご産業活性化センターは神戸・三宮にあるサンパル6Fに入っています。サンパルの隣がダイエーで、2階でつながっていて、そのまま三宮駅までもつながっていて、なかなか便利。
このサンパルに昔あったのが「サンパル古書のまち」。5階に6店舗ほどあったそうなのですが、その時代は知らず3階に万陽書房と2階にロードス書店が入っていた時代しか知りません。万陽書房は伊勢市が本社の古書店で「超書店MANYO」という名前で大きな古書店を各地に展開していました。サンパルでは3階の全部と他の階の一部が店舗でしたが、確か2010年3月頃に閉店。たまたま神戸へ行く用事があり万陽書房へ行ったら閉店セール中で、ラッキーでした。
ひょうご産業活性化センターで窓口相談するようになってから昼休みに2階のロードス書店にはよく寄っていたんですが、こちらも2013年8月末に閉店となってしまいサンパルに古書店がなくなってしまいました。残念。
サンパルには3階に不思議な広場があって、「非常時以外立り禁止」と張り紙がしてあります。ネットで調べるとサンパルができた1981年から、ここに風車があったそうです。なんでそんな風車があったのか不思議ですが、けっこう大きくJRからも見れてサンパルのシンボルマークになっていたそうです。
ところが老朽化から風車の羽が取れだして、最後は羽なしの風車になってしまい、2008年に風車は撤去されたそうです。そのまた昔は屋上に遊園地もあったそうで、サンパルはいろいろとあったんですねえ。

津駅前チャム 明日、リニューアルオープン

チャム
津駅にある商業施設チャム、長らく改装工事をしていましたが明日、リニューアルオープンします。
ホームページを見ると名古屋ステーション開発株式会社というJR東海100%子会社がチャムの運営をしているんですね。チャムはJR側の改札にあります。
津駅はJRと近鉄の全国でも珍しい共用駅になっており、東京みたいに改札は分かれておらず、まさしく共用になっています。三重県内では桑名駅、松阪駅、伊勢市駅も共用駅になっています。
ですので、津へ出張したビジネスマンなどがよくJRの改札で「近鉄はどこから乗ったらいいですか」とたずねる光景をみることができます。JRの改札には近鉄の切符を通りますので、そのまま入って、陸橋をわたると近鉄のホームになっています。反対に山側(西側)は近鉄の改札になっていますがJRの切符でそのまま出られます。
少しややこしいのが伊勢鉄道。ワンマン運転なので津駅で降りるときに車内で支払って運転手さんから整理券をもらい、それで改札を通ります。乗る時はJRでも近鉄でもどちらの改札からも入れます。

ベネッセコーポレーション個人情報漏洩事件

企業のIT活用
「進研ゼミ」、「こどもちゃれんじ」などを運営するベネッセコーポレーションで個人情報漏洩事件が発生。
漏洩したのは通信教育サービスを利用している子供、保護者の名前、住所、生年月日、性別など760万件~2070万件の個人情報です。個人情報を漏洩したのは39歳のシステムエンジニア。ベネッセコーポレーションのシステム開発、運用をシンフォームという100%子会社が行っていましたが、このシンフォームが顧客データベースの保守管理を外部のITベンダーに再委託しており、ここで働いていたシステムエンジニアです。不正競争防止法違反(営業秘密の複製)の疑いで逮捕されました。
前提としていた性善説で守るのが難しくなるなか、どう対策すればよいのでしょうか
本日、アップしたAll About「企業のIT活用」ガイド記事です。
→ ベネッセコーポレーション個人情報漏洩事件

半日ドッグ

法善寺横丁
朝から近くの病院へ半日ドッグに行っていました。
独立以来、年に1回、健康診断を受けるようにしています。37,800円は痛いんですが、個人事業主は体が資本ですので、体にガタがきていないかチェックするようにしています。ですがバリウム飲んでゴロンゴロンするのはしんどいですね。土曜の午前中なので少し混んでいましたが、昼過ぎには終了。
健康診断も終わったし、夕方からは千日前へ出て、ファイティングコンサルタンツの面々と宴会。法善寺横丁のすぐ近くにある牧水というお店です。3時間飲み放題のコース料理で5000円はなかなかリーズナブルですね。結局、3時間以上宴会をしていました。

事業可能性評価委員会

事業可能性評価委員会
名古屋市新事業支援センターで事業可能性評価委員会が開催されました。
事業可能性評価委員会とは応募事業者の事業プランに対し審査を行い、成長性・将来性が高いと認められた事業プランに対し、継続的な支援を行う事業です。今日は外部専門家で構成された評価委員でのプレゼンでした。
応募企業についてはマネージャが担当となりプレゼンのお手伝いをします。私も2社のお手伝いをしたのでオブザーバーで委員会に参加していました。
事業可能性評価委員会でよい評価を受けると9月26日に行われるビジネスプラン発表会で発表が行えビジネスマッチングの機会が得られるのと、は東京や大阪で行われる展示会への出展補助(小間料と装飾等経費の一部を補助)が行われます。
東海地域では愛知県、岐阜県、名古屋市で行われています。都道府県等中小企業支援センターが全国に設置された時にできた事業ですが、三重県だけは全然やっていませんね。

百五銀行

百五銀行
津の実家から三重県産業支援センターまで30分歩いているんですが、途中にあるのが百五銀行本店。岩田川のすぐ横に建っています。
古いビルで耐震性の問題があるし、岩田川の水位があがると、よく店舗に水が流れ込んでいました。中心市街地に移転することとなり、今、新しいビルを建てています。移転場所は三重会館の前で昔、ジャスコがあった跡地。基礎工事前に津城の内堀の石垣が見つかったのですが、ぶっ壊して工事をしてしまいました。(泣)本店の隣でも工事をしていて、こちらは営業店を作っているそうです。
百五銀行はナンバー銀行で明治時代は第百五国立銀行。ナンバー銀行というのは設立順に番号をつけた明治の国立銀行で、第一国立銀行は第一勧業銀行から、現在のみずほ銀行になっています。
松阪市には第三銀行がありますが、こちらはナンバー銀行ではなく、熊野市で誕生した合資会社がスタート、途中で第三相互銀行となり、ここから第三銀行となりました。三重には他に四日市本店の三重銀行があり、地方銀行が三行ありますが、地域No1は百五銀行になります。
津には、みずほ銀行と三菱東京UFJ銀行(昔の東海銀行)がありますが、三井住友銀行がなく不便しています。

インターネット講座の終了証が届く

>gacco
MOOC(大規模オープンオンライン講座)の日本語版Gacco.。
「日本中世の自由と平等」東京京大学 史料編纂所 本郷教授の講座を受講した後に「インターネット」慶應義塾大学 村井教授の講座を受けていたのですが、こちらも無事に終了し、終了証が届きました。講義の内容と小テストの内容があまり連動していないため、調べまわらないと回答できない難関講座で苦労しました。
6月はちょっとバタバタしたので、「インターネット」の後の講座は受講してませんが、これから開講される
「歴史都市京都の文化・景観・伝統工芸」(立命館大学)
「マンガ・アニメ・ゲーム論」(明治大学)
は面白そうですね。
「戦国時代の山城を考える」という講座、ないかなあ(笑)

あとの祭り 関の山

綾傘鉾
京都では祇園祭がスタート。
今年の見どころは「あとの祭り」の復活。山鉾巡行が毎年17日(木)に行われますが、これは昭和41(1966)年から一本化されたもので、それ以前は前祭りと後祭りに分かれていたそうです。って50年も前の話なんで、後祭りは見たことはないんですが(笑)
後祭りの巡行は前祭りの1週間後24日(木)に行われます。前祭は23基が巡行、後祭は10基が巡行しますが、後祭りの一番最後に登場するのが大船鉾。幕末に長州と幕府・薩摩郡が激突した「禁門の変」の時に燃えてしまい休み鉾になっていたのを復活するそうです。蛤御門の変という言葉が出てくるのは、いかにも京都らしいですね。
「今さら悔やんでもあとの祭りだ」と言ったりしますが、この語源が祇園祭というのが有力だそうです。祭りにまつわる言葉としては「関の山」もあります。これは三重県関町の祭りに出る山が立派で、これ以上の山は作れないだろうということから、限度を「関の山」というようになりました。
祇園祭では綾傘鉾の棒振り囃子が好きなのですが、こちらも江戸時代の大火で鉾が燃えてしまいましたので、現在は棒振り囃子の形で祭りに参加しています。曳き鉾での復活が望まれますね。

ITC維新会361勉強会

ITC維新会
森ノ宮にあるアネックスパル法円坂という難波京の跡に建てられた会館でITC維新会361 第23回勉強会。
だいぶ前にインストラクターを担当したITコーディネータ研修生を中心に作られた勉強会です。幹事の尽力もあり23回も続いているのはすごいですね。時間がある時はなるべく参加するようにしています。
皆さん、ITベンダーでバリバリに活躍されている方ばかりなので現場のいろいろな情報が入るのがありがたいのです。発表が4本あったのですが興味深かったのが同志社女子大学の加藤先生のお話し。ICSBという中小企業を研究する国際組織があり、その日本委員会の副委員長を勤められています。大学の先生が中心になった組織で60ケ所以上にあるそうです。
日本全体の情報分野の開業率は4.7%で廃業率は6.7%あります。これを都道府県単位で分析されたデータを発表されていましたが、地域によっていろいろと特徴があるんですねえ。

信長が2度攻めて落とせなかった高岡城

高岡城
鈴鹿にある高岡城跡。鈴鹿川沿いの標高50メートルほどの高岡山に築かれた山城です。
ここは信長の伊勢侵攻を2度もくいとめた城です。城主は神戸友盛の家老である山路弾正。滝川一益を大将として信長が攻めてきましたが、城はなかなか落ちません。
美濃三人衆の謀反の動きが出てきたこともあり、信長は兵をひきます。翌年にも攻めましたが落ちません。仕方ないので信長は三男・信孝の養子を条件に和睦をすることとなりました。織田信孝は神戸家に入り神戸信孝と名乗りますが、北畠などと同様に結局は信長に乗っ取られます。
高岡城から川向こうを見ると楠城が見えます。直線距離は1.8kmほど。反対側の方にあるのが采女城で、こちらも3kmしか離れていません。楠城、采女城ともに滝川一益に攻め滅ぼされましたが、高岡城からよく見えたでしょう。
郭跡と堀跡が残っています。