全国にたくさんのお城がありますが、個人が所有しているお城として有名だったのが犬山城。
江戸時代、犬山城の城主だった成瀬家が明治以降も代々、所有していたのですが、現在は財団法人犬山城白帝文庫が所有・管理しています。成瀬家の時代、不動産登記には「城郭」と記載されていたんですかねえ。
30年ぶりぐらいに犬山城を訪ねました。天守に上がると遠く稲葉山城(岐阜城)が見れます。川をはさんだ向こう側にこんもりとした山が見え、ここの頂上にあったのが伊木山城、また犬山公園駅を出て川を渡った岩山には鵜沼城がありました。
犬山城は国宝の天守が有名ですが、三光稲荷神社の裏手に戦国時代の空堀が残っています。あれだけ見事な空堀が残っているのも珍しいですね。ただ案内板もないので、観光客は素通り、もったいないなあ。もっとも案内板があってもタダの土の堀ですので、結局は素通りするだけでしょう。(笑)
■犬山城城主
犬山城を造ったのは織田信康(織田信長の叔父)。目的は美濃攻めで、犬山城の下を流れる鵜飼で有名な長良川を超えれば美濃で。犬山城は国境に造られたお城でした。
織田信康が稲葉山城攻めで討死にすると、信康の子である織田信清が城主となります。ところが途中で信長と仲たがいし美濃の斉藤龍興と手を結んだことから、犬山城は丹羽長秀に攻められて落城。美濃攻めの拠点となります。
小牧・長久手の合戦では秀吉方の池田恒興が犬山城を攻略して入り、小牧山城の家康と対峙しました。池田恒興は美濃攻めの後、犬山城の城主でしたので勝手知ったる城だったのでしょう。
大判焼き?回転焼き?
最近は御座候が幅をきかしていますが、回転焼きのことを何と呼んでいますか?
全国的には今川焼、大判焼きと呼ぶそうです。広島では二重焼きとも呼んでいます。今、調べてみたら回転焼きの代名詞ともなりつつある御座候ですが、関西を中心に出店していて、東京で御座候と言っても通じないこともあるとか。
へ~え、あれだけ駅前にお店があるので、てっきり全国展開しているのかと思ったら関西一円だけなんですねえ。気になって「おはぎの丹波屋」を調べたら、こっちはもっと集中していて京都、兵庫、大阪にしか店舗展開していません。
えーと、本題の話はAll About「企業のIT活用」ガイド記事でして、ホームページに織り込むキーワードで悩むのが、ヘッドフォン、ヘッドホンのようにどちらが正しいともいえない曖昧な言葉。
ワイシャツ、カッターシャツのように地方によってモノの呼び方が違う場合もあります。回転焼きも同じです。そんな時、検索ボリュームを調べるのに便利なのがGoogleトレンドで、Gooogleトレンドの活用法を紹介しています。
→ 大判焼きor回転焼き?Googleトレンドでボリューム確認
※最初のタイトルは「大判焼き、回転焼き、2重焼きは同じなの?」だったんですが、ITの話だと分からないと担当からダメダシをくらい、タイトルを修正しました。(笑)
セミナー「ITを使った自社PR」(大垣)
岐阜県の大垣市郊外にソフトピアというIT企業の集積地があるのですが、会議室やホールなどがあり、セミナーができる会場にもなっています。
岐阜県・労働雇用課が主催の「中小企業採用力パワーアップセミナー」がソフトピアで開催されました。岐阜県内3ケ所で行われる経営者、採用担当者向けセミナーで私は西濃会場(大垣)と岐阜会場を担当しています。担当テーマは「ITを使った自社PR」ということでホームページの採用へのいかしかたなどを話してきました。
ついでに朝から犬山城と大垣城を巡ってきました。(笑)大垣は水の都と呼ばれており、そこらへんに自噴水があります。写真は八幡神社境内にある自噴井『大垣の湧水』。コンコンと地下水が湧き出しており、飲むと甘露です。
魅せるPowerPointビジネスプレゼン
昨日は知的生産の技術研究会・関西のセミナー
「すごプレ中級編 魅せるPowerPointビジネスプレゼン」というタイトルでMicrosoft MVP AwardのPowerPoint部門を2011年より4年連続受賞されていノヴェル・プレゼンテーション代表 河合 浩之氏にお話しいただきました。
タイトルと箇条書きが多いパワーポイントによるプレゼン。聞いているうちに退屈な内容に聴衆は寝てしまいます。
海外では「Death by PowerPoint」と言われ、日本では「パワポ死」と呼ばれる現象。あまりに経済的損失が多いためスイスではアンチパワポ政党まで発足しています。
聴衆を寝かさないために必要なのは「おもしろみ」。パワーポイントでは相手を惹きつけるプレゼンの技があり、いろいろなテクニックを伝授いただきました。
中級編で色々な技を教えていただきましたが、これがメチャクチャ役立つ内容。来週水曜にちょうどパワポでセミナーをしないといけないので、準備は終わっていたんですが、この土日は今日、教えてもらった技を織り込まないと!
→ すごプレ中級編 魅せるPowerPointビジネスプレゼン
枚岡祭り
枚岡祭りは河内一ノ宮・枚岡神社の秋郷祭で、各町内から太鼓台23台が宮入りします。10月14日、15日の曜日固定で、今年は運悪く、名古屋と津で仕事の日。ちなみに地元では企業の多くは社員が担ぎ手で、お休みになる所が多く、学校も休みになります。
津から枚岡へ着いたらちょうど20時。祭は夜遅く(宮出は23:30頃)までやりますので、全然OKで神社内を太鼓台を練り歩いていました。
小太鼓は中高生が担いでいることもあり、21時ぐらいに帰りだしますので、それについて出ます。ウチの子供が小太鼓を担いでいた頃から宮を出た所で、4台の小太鼓が掛け合いをするようになり、これが見所になっています。
写真は掛け合いが終わって4台の小太鼓を持ち上げているところで喜里川の太鼓台。
そのまま家に帰ったら誰もおらず、家族は最後まで見るつもりですなあ(笑)さあ、歴史秘話ヒストリアを見ようっと!
ITC三重 定例会
三重県産業支援センターでITC三重 定例会を開催。出席は13名でした。ITC三重というのは県内のITコーディネータなどを中心に構成している団体。
■コミュニティFMのIT事情 株式会社サンアイ代表&いなべFM局長 多湖ITC
三重県の最北端にあるのが「いなべ市」で隣は岐阜県、滋賀県。
もともとは防災無線の老朽化からデジタル化しないといけないが多額な費用がかかるため、もっと安い方法はないかというところからコミュニティFM作りがスタート。しかし開局するには苦労の連続でした。そんな苦労話や放送の裏側などいろいろなお話しをうかがいました。
→ いなべFM サイマルラジオはインターネットで聞くことができます
■PIA評価について 三井システム企画 村阪ITC
「行政手続きにおける特定の個人を識別するための番号の利用などに関する法律」(番号法)が成立したため各自治体には年1回、PIA(プライバシー影響評価)の政府に対する報告が求められるようになりました。PIAが求めるもの、ITコーディネータがどう関わっていくのかというお話。
九条駅の名前の由来
三宮にある「ひょうご産業活性化センター」へ行くのに地下鉄・中央線の九条駅で阪神電車に乗り換えています。
でも、なんで九条駅なんですかねえ。奈良には近鉄・九条駅がありますが、ここは平城京の九条通りのあった所。京都市地下鉄の九条駅も同様に平安京の九条通りがあった所です。大阪には難波京がありましたが大阪の九条駅は難波京からずっと西にいったところですから、位置的には一条です。
ネットで調べると諸説ありました。もともとは衢壊(くじょう)というまったく読めない地名だったそうです。漢字が難しすぎ読めないので九条にしたようです。そもそも衢壊(くじょう)という地名は淀川の河川工事で、このあたりの衢(みち)を切ったことから衢壊(くじょう)と名づけられたそうです。
他にも洪水で京都の九条家の笏(しゃく)が流れ着いたからという説がありますが、笏に持ち主の名前が書いてあったんですかねえ。条里制からつけられたという説もありました。西成郡に十八条村があり、一条からずっとありましたが、現在は十三(じゅうそう)、九条が地名として残ったという説です。十三は13番目の橋だからと名づけられたという話を聞いたんですが、どっちが本当ですかねえ。
九条ですが昔は川の砂洲が散在する地帯で九条島だったそうです。九条駅の次の駅が西九条駅で、なんで西九条があって東九条がないのかも不思議です。
新幹線が止まる
台風の影響で家を出る時は風と雨がすごかったですが、新大阪に着くと雨も降っていなく遠くには青空が見えています。と思って改札に入ると新幹線が止まっています。(泣)
静岡近辺で大雨なんだそうで全線運休状態。東京ではなく途中の名古屋まで動いてもらったらいいんですが、電車が団子状態になっているので、それも無理。
新幹線の中で1時間ほど待っていましたが、いっこうに動く気配はありません。しょうがないので名古屋市新事業支援センターに電話すると、今日は相談予約が入っていないということ。休みにして別の日に振替してもらいました。
新幹線を降りるとホームや改札は人であふれ、混雑する様子をテレビ局や新聞社が取材に来ていました。とりあえず家へ帰って、「隣の人間国宝」を見ています。(笑)さあ、セミナー準備をしなきゃあ!
松ヶ島城
松阪にある松ヶ島城跡。
畑のど真ん中に小山が残っていて、ここが天守閣跡。松ヶ島という名前がついていますが、、現在の海岸線は500mも先。戦国時代には海のそばにあって島になっていたとは、とても思えません。
松ヶ島城を造ったのは織田軍に備えた北畠氏。やがて織田と北畠で和議が結ばれ、北畠(織田)信雄が城主となります。本能寺の変の後に織田信雄は清州城に移り、家臣の津川義冬にまかせますが、秀吉と織田信雄が対立すると、秀吉は信雄の家臣が吉に寝返った流言を流し、まんまと信じた信雄は津川義冬を殺してしまいます。
次に松ヶ島城をまかされたのが滝川雄利。北畠家の一族、木造氏でしたが、北畠と織田の和睦を斡旋。また滝川一益に気に入られ娘婿として迎えられます。これで名前が滝川になります。織田信雄の家老となりますが、信雄が没落した後も秀吉に気に入られ、豊臣秀次事件も乗り切り、関ヶ原の戦いでは西軍で戦い、敗れて出家。ところが家康に呼び出されて領地をもらい御伽衆の一人になっています。戦国時代を見事に乗り切った武将です。
滝川雄利は小牧長久手の戦いの時は織田信雄の家老でしたので、秀吉軍と松ヶ島城に籠城して戦いましたが落城。秀吉の命で蒲生氏郷が入ります。やがて蒲生氏郷は現在の松坂城を造り城下町ごと移転、松ヶ島城は廃城になります。松ヶ島城から山の方を見ると松坂城の森を見ることができます。
伊勢・川方城
近鉄名古屋線の久居駅-伊勢中川駅の間に桃園駅という普通電車しか止まらない駅があります。
桃園駅近くに住宅街が広がっていて地名が川方。住宅街の中にあるのか伊勢・川方城です。城の遺構はほとんどなくなっていてマンションの裏手の竹藪の中に土塁が残っているだけ。案内板もなにもないので、これが城の遺構だと気づく人はほとんどいないでしょう。
伊勢川方城を作ったのは木造城主だった木造政宗。久居に戸木城があり、戸木城と木造城を結ぶ線上に造られた城です。小牧・長久手の戦いで秀吉と北畠(織田)信雄が争った時は、戦場となり木造は北畠側でしたので秀吉側の蒲生氏郷に攻められて落城します。
それにしても不思議なのは城の場所。久居は南側が崖になっている台地で、伊勢川方城は、この崖を利用して造られています。南には強いですが北からの攻撃は台地続きなので弱くなります。
実際、蒲生氏郷も北側から攻めています。戸木城も同じ崖の上で、北側に出城として造った宮山城を蒲生氏郷に奪われ、高台から攻撃されています。ここに造るしかなかったんですかねえ。考えると不思議な城です。